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第1章

「あー……神様仏様アッラー様、どうか俺に、三次元の美少女とイチャイチャできるリア充な毎日をくださいませ……!」


 ゴロゴロゴロ……。

 

 地鳴りのような雷鳴が、安普請のアパートを揺らす。

 窓ガラスがビリビリと震え、まるで世界が終わる前のドラムロールみたいだ。


 そんな終末的なBGMの中、俺、影山拓海かげやまたくみ、十七歳、高校二年生は、パソコンのモニターに映る二次元の女神たちに向かって、もはや日課となった敬虔な祈りを捧げていた。


 部屋には、食べかけのカップ麺の匂いと、一日中回しっぱなしのPCから吐き出される熱気がこもっている。

 モニターの光だけが、俺の薄暗い六畳一間の城を照らし出す唯一の光源だ。


 画面の中では、俺が人生の全てを捧げていると言っても過言ではない美少女ゲーム『聖エリーゼ学園』のヒロインたちが、勢揃いで微笑んでいた。

 

 完璧主義の生徒会長、天宮雪乃。

 元気いっぱいの幼馴染、桜井美月。

 ミステリアスな文学少女、月島詩音。

 小悪魔な後輩、相馬千夏。

 そしてゴージャスなお嬢様、白石凛。


 まさに絵に描いたような、男の理想を詰め込んだ夢のハーレム。


「はぁ……現実でもこんな風にモテてみてえなぁ」


 溜息と共につい本音が漏れる。

 

 現実の俺は、クラスでは空気。

 休み時間は寝たフリ。

 

 女子とまともに会話したのは、中学の卒業式以来ないかもしれない。

 そんな俺にとって、この『聖エリーゼ学園』だけが、唯一無二の心の拠り所であり、逃避先だった。


 ちょうど今、五人全員のエンディングを見終えたところだ。

 

 エンディングクレジットには、見慣れない「S.Sawai」という開発者の名前が淡々と流れていく。

 まあ、誰だっていい。

 この神ゲーを生み出してくれたことに、ただただ感謝だ。


「さて、二周目いくか……」


 俺がマウスに手を伸ばした、その時だ。


 ピカッ!


 世界が真っ白に染まった。

 一瞬遅れて、鼓膜を内側から突き破るような、凄まじい轟音が鳴り響く。


「うおっ!? 」


 心臓が跳ね上がり、椅子からずり落ちそうになる。

 

 次の瞬間、部屋の明かりがプツンと音を立てて消えた。

 停電か。


 辺りは完全な闇に包まれ、静寂が耳を圧迫する。

 唯一の光源であるPCモニターが、チカチカと激しく明滅を始めた。


「なんだよ、壊れたか?」


 画面には意味不明な文字列が走り、ヒロインたちの好感度を示すハートマークが、まるでウイルスに感染したかのように、画面の端から端までを爆発的に埋め尽くしていく。

 見たこともない異常な光景だ。


 そして、俺の身体に、今まで経験したことのない、鋭い衝撃が突き刺さった。


 バチチチチチチッ!


「ぐ、ああああああああああああああッ!?」


 マウスを握っていた指先から、青白いプラズマが迸る。

 電撃が腕を伝い、背骨を駆け上がり、脳天まで一気に突き抜けた。


 身体の自由が利かない。

 全身の筋肉が意思とは無関係に収縮と弛緩を繰り返し、激しく痙攣する。


 口の中に鉄の味が広がり、髪の毛が焼けるような焦げ付いた匂いがした。

 薄れゆく意識の中、明滅するモニターの向こうで、狂ったように増殖するハートに囲まれたヒロインたちが、ただ静かに微笑んでいるのが見えた。


 それが、俺の最後の記憶だった。


 ◇


「……ん……うぅ……」


 意識がゆっくりと、しかし確実に浮上してくる。

 泥水の中から顔を出すような感覚。

 瞼が鉛のように重い。全身が気怠く、指一本動かすのも億劫だ。


 アレはなんだったんだ?

 雷が家に落ちたのか?


 生きてるってことは、まあ、運が良かったんだろう。

 俺はのろのろと瞼を開け、見慣れたはずの自室の天井を――見上げることはなかった。


 視界に飛び込んできたのは、染みだらけの安っぽい天井板ではない。

 精緻な彫刻が施された、やけに豪奢なシャンデリア。


 磨き上げられたクリスタルが、窓からの光を反射してキラキラと輝いている。


「……いててて」


 混乱する頭のまま、軋む身体を起こす。柔らかなベッドの感触。

 シーツからは、太陽と石鹸の清潔な匂いがする。


 そして、周囲を見渡した俺は、完全に言葉を失った。

 そこは、どう見ても俺の六畳一間ではなかった。

 

 使い込まれて味の出たアンティーク調の机と椅子。

 壁には趣味の良い風景画。


 そして、床まで届くほど大きな窓の外には、まるで絵画のように完璧に手入れされた、色とりどりの花が咲き乱れる庭園が広がっていた。

 非現実的なほど美しい瑠璃色の蝶が、ひらひらと舞っている。


「なんだここ……夢?」


 それにしては、感覚がリアルすぎる。

 頬を思いっきりつねると、普通に涙が出るほど痛い。


 窓から吹き込む風は、甘い花の香りを確かに運んでくる。

 さっき見た蝶も、CGじゃない。


 自分の服装に視線を落とす。見慣れたヨレヨレのスウェットじゃない。

 寸分の狂いもなく身体にフィットした、上質な生地のブレザー。


 胸元には、見覚えのあるエンブレム。

 『聖エリーゼ学園』の制服だ。

 

「嘘だろ……マジかよ……」


 ラノベや漫画で百万回は見た展開。

 ゲーム世界への転移。

 そんな非科学的なことが、この俺の身に起こるなんて。


 頭のどこかで警報が鳴り響いている。

 これはヤバい、と。


 だが、心の大部分は、別の感情で埋め尽くされていた。

 期待と歓喜だ。


 もしかして、あの時の祈りが、マジで神様に届いたのか?


「影山拓海さん♪」


 思考の渦中に、まるで音楽のような、鈴を転がすような声が割り込んできた。

 声のした方へ弾かれたように振り返る。


 そこに、一人の美少女が立っていた。


 陽光を浴びて輝く、滑らかな銀色のロングヘアー。

 吸い込まれそうなほど澄んだ、青い瞳。


 背筋をすっと伸ばした完璧な立ち姿は、それだけで芸術品のようだ。

 ゲームで、モニター越しに百度以上は見た顔。

 

 聖エリーゼ学園の完璧主義生徒会長、天宮雪乃あまみやゆきのその人だった。


「あ、あまみや……ゆきの……さん?」

「はい、雪乃とお呼びください。私たちはもう、そういう関係なのですから」


 雪乃は、聖母のように完璧な微笑みを浮かべると、優雅な足取りで俺の隣まで歩み寄る。

 そして、あまりにも自然な動作で、俺の腕にそっと自分の腕を絡ませてきた。


「え、あ、ちょっ……!?」


 腕に伝わる、信じられないほど柔らかくて温かい感触。

 ふわりと鼻腔をくすぐる、上品なフローラル系のシャンプーの香り。


 近い。近すぎる。

 顔と顔の距離が二十センチもない。


 俺の人生において、女子との最短接近記録を大幅に更新した瞬間だ。


「ふふ、照れていらっしゃるのですね。そんなところも、とても可愛らしいですわ」


 俺の狼狽ぶりを、雪乃は心の底から愛おしむような目で見つめてくる。

 

 なんだこの状況! 俺の心臓、仕事しすぎだろ!

 ドッドッドッと、ドラムソロみたいにうるさい!


「あ、あの……ここは一体……?」

「私たちの愛の巣、聖エリーゼ学園ですわ。さあ、拓海さん。ぼんやりしている暇はありませんよ」


 雪乃はそう言うと、どこからか一枚のタブレット端末を取り出した。


「今日のあなたのスケジュールは、この天宮雪乃が、一秒の無駄もなく完璧に組ませていただきました。まず、7時30分から8時までは、私と二人きりで朝食。メニューはあなたの健康を完璧に考慮した特製オーガニック薬膳です。8時から8時30分は、生徒会室で今日一日の行動理念についてディスカッション。もちろん、議題は私が完璧に用意してあります。その後、授業が始まりますが、休み時間の過ごし方、昼食のメニュー、会話する相手も全てリストアップ済みです。放課後は……」

「ストップ! ストップ! ストップ!」


 延々と続く完璧すぎるスケジュール説明を、俺は慌てて遮った。

 最初は、夢にまで見たヒロインとの密着に舞い上がっていた。

 俺の願いが叶ったんだ、と。


 だが、何かがおかしい。

 

 完璧すぎる笑顔。完璧すぎるエスコート。

 そして、完璧すぎるスケジュール管理。


 まるで、俺という人間を「影山拓海」というプロジェクトとして管理しているかのような、徹底した効率主義。

 その違和感の正体を探ろうと、俺は目の前の美少女の顔を、もう一度まじまじと見つめた。


 綺麗に弧を描く唇。優しげに細められた青い瞳。

 その瞳の、奥の奥。

 どんなに光を当てても、決して輝くことのないような、底なしの暗い沼のような光が、確かに揺らめいていた。


 俺は、ほんのわずかな、しかし確かな悪寒を背筋に感じていた。



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