96.七人目の異人5
【魔暦593年07月03日19時20分】
三つ目は、最高学年が扱う教室だ。僕の二学年上で、日本でいう高校三年生に対する授業が行われる。中に入るのは初めてだったが、特段他の教室と変わりはなかった。
そう。死体は無かった。
踊ることはない。むしろ当然である。
数十ある教室の内、三つしか確認していない。元より運のいい方ではない僕だし、期待はしていなかった。というか、こんな手前の教室に死体を安置するわけがない。
ーーやれやれ
ーーここはスカーに従うしかないようだ
僕は万が一に備えて、教室をぐるりと一周した。金髪の男からしたら、諦めが悪い美少女にため息を吐きたくなっているかもしれない。勿論、机の陰に死体が隠れていた、なんてこともなかった。
「スカー?」
僕は小首を傾げながら、彼の名前を呼んだ。というもの、死体がない教室には、スカーの姿も見当たらなかったからだ。
僕が教室に入る段階では、隣に彼はいた。そして、室内を一周歩き回っている段階で、彼は消えた。
ーー見捨てられた?
僕らしくない女々しい発想ではあったが、それは直ぐに否定できた。
あの男に限って、この危険地帯にに美少女を一人で放置するようなことはしない。どころか、平井ショウケイのような嫌われ者ですら、彼は一人きりにさせないだろう。
ーー何かあった
ーースカーが、音もなく去るほどの何か
僕は慌てて教室の外を出る。長い廊下は月夜に照らされ、薄明るく広がって見える。
そこに、赤い柄の包丁も、吐き気を催すような血の匂いもない。
てっきり、廊下で殺されてしまっていると思ったが、そうでは無かったらしい。一安心と、胸を撫で下ろす。
「やっほー」
「うぎゃっ」
突如背後からかけられた声に、僕は体を跳ねらせた。ぴょんとうさぎのように飛び、そのまま足を挫いて倒れた。痛い。
スカーがふざけて僕を驚かしているのかと思ったが、そういうわけではなかった。そもそも声質から、性別からそれは違った。
「モーちゃん、おっはー」
心臓の音が鳴り止む前に、手が差し伸べられる。僕は片手で胸を押さえ、もう片方でその手を握った。柔らかく、それでいて力の強い手だった。
「ど、どうも」
僕は手に引っ張られるように起き上がる。そして、声の主を見てまたひっくり返った。
夏とはいえ、十九時を回るとあたりは真っ暗だ。まして、街灯どころか人が夜に訪れないヘルト村北部。闇に包まれた学校の廊下に、そいつはいた。
深海色の髪は眉毛で切り揃え、渦巻くような蒼瞳は僕を飲み込むように見つめている。その不気味さを振り払う純白ワンピース。身長は百三十近くで、呪われているかのように、笑顔を張り付かせる。
ーー座敷童?
ーートイレの花子さん?
「そんななっがいローブを着ているから、転ぶんだよ。モーちゃんはもっと可愛い服着ればいいのに」
「はぁ」
「首元の痣を隠しているのかな?それだけで、『首を絞められたんだな』なんて感想を抱く人なんていないよ。それこそ、異人でもない限り。普通は、首を絞めると死ぬなんて発想がないんだものねー」
と、何だか見透かされているような発言をしながら、再び手を差し出してくる幼女。僕が軽く手を引くと、小さなその体格からは想像できないほど重い。まるで壁に引っ付けた紐を引っ張るかのようだった。
今度こそ僕は立ち上がった。上から見下ろす形になり、上目遣いの幼女と目が合う。唯ならぬ幼女の雰囲気から、可愛いと子供を愛でる感情は湧かなかった。
「警戒されてしまったかな。困った。いつもだったら、この姿ってだけで信用されるのに」
幼女は自身の体をペタペタと触る。凹凸の全くない未発達のその体を愛おしそうに見つめる。「どうしたらいいかな」と、首を傾げる。
「誰ですか、貴方は」
子供に対して冷たい敬語を使った僕を責めないでほしい。この幼女には、生理的嫌悪を抱く何かがある。人形と話しているかのように、近寄りがたい。敬語という壁を挟みたい。
彼女は、「えー、忘れちゃったのぉ」と可愛く僕に近づく。いや、全く可愛くはないが。頭をぐりぐりとお腹に押し付け、首元の黒い痣がよく見えた。僕の痣とよく似ている。
ーー痣?
だが、別に痣があるから名前を尋ねたわけではない。村民名簿を熟読した僕が、見たことがないとはっきり言える、知らない顔。少なくとも、ヘルト村の住民ではない。
「まあ、忘れちゃってても仕方がないか。お姉さんからしたら少し前のことだけれど、モーちゃんからしたら人生のほとんどなんだからねぇ」
見た目十歳児の幼女にそう言われて変な気分だった。
だが、これで不気味さの正体は明らかになったと言える。この幼女の実年齢は、僕以上のものだ。敬語を使っていて正解だった。たまたまだけど。
「あう。会ったことありましたか。すみません。もしかして、僕が二歳くらいの時の話ですか」
見た目と年齢が一致していない、奇妙な幼女。一度会ったことがあるならば、忘れるはずがない。二歳までを除いて。
出会ったことがあって、僕に記憶がないとしたらその期間しかない。〇歳から三歳の誕生日までの間の暗黒期。僕がここを異世界と認知せず、さっさと日本に帰ろうと計画を練っていた時期だ。
僕はアオスト邸から一歩も外に出ていないので、自宅であったということだろう。つまり、村長ロイ・アオストの招待客。
馴れ馴れしさから、ロイの知り合いってところか。
「正解。ふぅん、聞いていた通り、えらく大人だね。落ち着きのない子供っぽさも持ち合わせている。そのチグハグさが、やっぱりといったところだね。まあ、いいや」
幼女は背伸びして、高らかにこう名乗った。
「お姉さんの名前は、異物協会勇者担当ケイウィ・クルカ。今はカウエシロイ教室の三人いる代弁教師の一人もやってるわ。改めてよろしくね、モーちゃん」




