88.とある男について6
【魔暦593年07月03日13時17分】
「聞きたくない」
と、いうか。
「聞く必要がない」
僕は言い回しを変え、立ち上がる。
雪山山荘殺人事件の犯人の名前?
昨日の僕だったら喉から手が出るほど欲しい名前だった。転生し、モニ・アオストとして生まれた日から解くことができない問題だった。物理的にも、感情的にも。
『昨日までの僕だったら』、だ。
彼の表情が変わったのはこれが初めてだった。スカーは目を大きく開き、ぱちぱちと瞬きをする。
「驚いた。君も見たのかい?犯人を」
「いいや、見てないわよ。でも、わかる」
ラーシーの死体から、僕が読み取った情報はそこまでですごくはない。一つの、小さな仮説が生まれた程度だった。
読み取った、と言うのは語弊があるか。読むと言うよりも、話したと言う方が適切だ。対話。
「僕は自力で犯人がわかった、といえばいいかしら。ヘルト村の美少女探偵とは僕のことなの」
「ふぅん。それはすごい。もしかして、地下二階に来たのも探偵としての活動かな?」
「そうよ。生まれた仮説を、確信に変えるために僕はここに来た。だから、スカー。君の提案は魅力的ではあるけれど、僕は『百聞は一見にしかず』という言葉を推しているのよ」
「俺の話は百分の一程度にしかならないってことかな。ははー、それは残念だ」
ちっとも残念そうでない表情で、スカーも席を立った。僕たちはお互い顔を見合わせる。
「協力できないわけじゃない。同じ犯人を追う仲間なんでしょう?だから、僕の仮説の裏どりが完了したら、また話し合えないかしら」
「今のままだと、俺と情報量で釣り合わないと思っているのかい。優しいんだね、モニは。そんなこと気にしなくてもいいのに」
ーー全くもってそんなことは考えていない
だが、僕は申し訳なさそうに微笑むだけにしといた。気のいいやつと勘違いしてくれるだけで、僕にとって損はないからだ。
前世の中で最も信頼できる男がいて、尚且つそいつがイケメンだった。それだけで、僕にとっては収穫があったと言える。
午前中に友達の死体を見てしまったとは思えないほど気分がいい。死体と目と目を合わせて語り合ったと言うのに、気分爽快だった。
とまあ、僕が気持ちよくなっていたのならば、それと反する少女がいてもおかしくはない。
側から見たら、僕とスカーはお互い心が通じ合っているように見えるし、それを面白くないと思うだろう。
勿論、側にいる少女、ルミ・スタウだ。
「いやいやいやいやいや、まてまてまてまて。答えがあるなら、教えろ。今すぐ教えろ」
犯人の名前を知っています。でも教えません。
目の前からご馳走の香りがするのに、待てを命じられるような状況だ。躾の済んだ犬ならともかく、彼女は狂犬だ。暴力女、ルミ・スタウだ。
我慢など、彼女から最も程遠い感情である。
彼女は一人で椅子に座り、それを僕とスカーが上から覗くという状態だった。席を外す、と言う言葉があるが、その逆を行く彼女は議論を続けたいようだった。
僕は彼女にキスをするかの如く顔を近づけ、スカーをチラ見する。彼は僕の意図をすぐに汲んでくれたようで、一歩、二歩と僕らから離れてくれた。
内緒話という奴だ。
「あのね、ルミ。重要なのは対話なのだと、ラーシーから学んだんだよ、僕は」
「死人が喋ったのか?」
「まさか。それでも人の話を又聞きするよりは、得られる情報はあった。人の話だけで事件を解決しようとする安楽椅子探偵みたいなことは、今回に至ってはうまくいかない。それは、ルミが一番わかっているでしょ」
「はぁ、モニ。お前は回りくどいんだよ。直接言え」
「ルミは僕の言葉を鵜呑みにした結果、入江マキが犯人だと勘違いしたじゃない。弟を、僕の話だけで疑った。それが危ないって言ってるのよ」
前世の殺人事件を解決するにあたって、異世界の住人にそんなことを言うのはなかなか酷いかもしれない。だって、ルミは僕の話以外で情報を得ることはできない。彼女が日本の事件を観測する方法はないのだから。
しかし、それではダメだ。ルミは、僕ですら信じてはならなかった。危うく、入江マキーー今世のオル・スタウを殺人鬼と決めつけ、弾劾するところだった。
つまり、又聞きではダメなのだ。
『殺人とは対話である』
いよいよ、平井ショウケイがここまで見越した発言とすら思えてきた。勿論、奴が転生やら異世界やらを信じるような男ではないことはわかっている。
何はともあれ、会話ではなく、対話。雪山山荘殺人事件とヘルト村の殺人が同じ犯人ならば、死体と対話をするのが一番だ。
もう、間違えたくはない。
「だから、ここでスカーの話を聞いちゃダメなのよ。ここで新たな情報を得たら、今後死体と対話をする際に、辻褄合わせをしてしまう。情報ありきの答え合わせになってしまう。視野が狭くなってしまう。真実から遠ざかってしまう…」
「ああ、もう。いい。わかった、わかったよ」
僕の話に全く共感した様子は無いのに、彼女は話を終わらせた。
「モニに従う。それでいいんだろ」
「いや、それじゃダメだ。僕すら疑って欲しい」
「なるほど、わかった」
そう言って彼女は優しげに頷いた。どうやら、僕の複雑な意図をわかってくれたらしい。
ルミは何だかんだで地頭がいい。魔法の天才であるが故に、物事を分けて考えることができる。その特別な視点で、僕と対等に…。
グラッ
視界が大きく揺れる。と同時に、お尻に大きな痛みが訪れた。背中にゾクゾクと不快感を感じる。
脊髄の最下部に当たる尾骨が、硬い椅子の面と直撃したのだ。僕は情けなくビクビクと震える。
体と地面を繋ぐ両足を、ルミに蹴り飛ばされた。宙に浮いた僕は、そのまま強制的に着席する。熱血教師にも程がある。
「完全にわかった。モニ、お前は暴力で訴えないとわからない」
「痛ぁ…、舌を噛むところだったじゃない!」
「それは困る。今から洗いざらいその舌を回して話してもらうのだから」
彼女は天才魔法使いであると同時に、暴力女だった。暴言女と呼ばれる僕に対抗する術はない。言葉は力には勝てない。
溢れる涙を軽く拭き、命乞いした。情けなく、両手を上げながら。
「言う言う。言います。情報共有します。許してください、助けてください」
「良い景色だぜ」
最悪の景色だ。
ルミは僕の隣に着席し、席を寄せる。体が密着するほど、彼女は近づいてきた。普段なら喜んでハグでもしたところだったが、今はナイフを首筋に突き立てられているような気分だった。
何より、こんな情けない姿を金髪のイケメンに見られているのが恥ずかしい…、と思ったが杞憂だった。スカーは僕らが揉めるなり、背を向け走り出したのだ。
大広場を周回するようにランニングをしていた。流石立花ナオキ。引き際を理解しすぎて、怖いくらいだ。
「さて、話せ。まず、ラーシーの死体から何を学んだ。対話…、だっけ?意味わからんが。わかるように説明しろ」
「仮説じゃなくて、事実だけを話すよ。僕のスタンスは変えないからね」
「はいはい」
モニ・アオストの会話術を完全に対策されている。僕は最悪の聞き手に対して、ため息を漏らしながら続けた。
「ラーシーの死体との対話を通して得られた、数少ない情報の一つ」
前世の話をするにあたって、それが事実か証明する手段はない。仮説じゃない情報なんてないのだけれど、それでも線引きはして良いだろう。
そうやって、曖昧な尺度で物事を判別していくしかない。だからこそ、安易に人に話さない方がいいと学んだ。最愛の妹を殺人鬼と誤認識した僕は、成長したのだ。
僕はスカーが十分に離れているのを確認し、追加で声を顰めて、ルミに言う。
「如月ラン。それが、ラーシーの前世の名前なの」




