83.とある男について1
【魔暦593年07月03日17時00分】
「突然だが、男性諸君に朗報である」
ざわ、と年甲斐もなく湧き立つ教室。その前振りから予想されるあらゆる展開が、男達の妄想を暴走させる。脳内のイメージは物語を紡ぎ、連鎖的に夢が広がる。
そして、次第に「どちらだ」、という疑問が脳内を埋め尽くす。男達に朗報なんて、女か厨二心を擽るもののどちらかに決まっている。美女かロボか投票すれば、2グループできてもおかしくない。
先生役を担っている三十代ほどの女性も、何やら口が緩んでいる。彼女のその姿勢から、教室内の女性も顔を見合わせる。
これは、前者であると。男性だけでなく、女性にとっても利になる話だ。
「この教室に、転校生が来る」
来る。
教壇に立つ女性は、普段は真面目を体現したかのような性格なのだ。その彼女がここまで溜める。普通じゃありえない。
そう。
これは、とんでもない美女が来るに違いない。
ーーだけど、良いのだろうか
ーーこんなにも規律の整った教室に
ーー美少女を放出してしまって
宛ら、外来種の肉食魚を川に放流するようだ。あらゆる人間関係を壊し、男の心を奪い、女の憎しみを買う。
全くもって良くない。そういう、危うさを孕んでいるということは、教壇で理解しているだろうか。
まあ、仕方がない。
突然の美少女の転校生が来て、気が動転しているのだろう。僕がその立場でも、同じようにそわそわしていたに違いない。
全く、どこの美少女だ。やっていることは、体育会系部活動を恋愛でぶち壊す、サークルクラッシャーと同じじゃないか。
最低だ。存在が罪だ。迷惑極まりない。
どれ、犯罪者のご尊顔を拝見してやろうじゃないか。
腰まで伸びた艶のある黒髪、
やや吊り目の大きな瞳、
身長百六十五センチとやや大きな身長、
自信に満ち満ちた、活気のある表情、
そして、漆黒のローブで全身を纏った美少女。
僕だった。
「謎の美少女転校生、モニ・アオストだ!」
だー、だー、だー…
教室の風紀を乱す美少女の声は、ただ虚しく教室の中に響き渡る。その誰もが反応に困っており、ワンテンポ遅れて拍手が聞こえる。パチ、パチパチと次第に広がるそれは、僕の心の涙が地面に落ちる音と連動していた。
歓迎の声も、歓喜の声も、黄色い歓声もない。観衆たちは、僕を見てどう対処すれば良いか困っているだけだった。
教室を包んでいた高揚感は、既に霧散していた。「なんだ、モニちゃんか」という落胆の声すら聞こえる。
そう。僕はただの美少女じゃない。この村を治めている、誰しもが尊敬する村長ロイ・アオストのぐれた一人娘。
いくらここが最先端の教育塾だとしても、生徒はヘルト村の村民だけだ。僕のことを知らない人間はいないし、僕のことを見たことがない人もいない。
つまり、見慣れた美少女というわけだ。
こうなることは分かりきっていたが、いざ目の前にするときついものがある。僕はローブを口元まで上げながら、俯き、現実から目を背ける。
ーーどうせ僕は腫れ物だよ
冷たい目線から逃げるように、僕は指定された席へ着く。負ったのは精神的火傷だったが。寒暖差で心が腐敗してしまいそうだ。
いくら、『目立つ』ということが目的でも、ここまでやらなければならなかっただろうか。『悪目立ち』だと、本来の狙いからずれてしまっている気もする。
「さて、改めて。本日の教師役を務める…」
美少女転校生が来たというのに、誰も話題を引っ張ることもなく、淡々と講義が始まった。
転校生の机の周りを囲むイベントは、ライトノベルの世界の話なのだ。現実は淡白で、何の色味もかかっていない。僕の妄想とは違い、教壇の女教師は気まずそうに僕をチラ見しながら言の葉を告げる。
十七時から始まる授業。生徒が日替わりで教師役を務め、自分が習った知識を講義形式で発表を行う。
内容は国語数学などの学問に偏らず、魔法学、経営論、心理学など幅広く扱っている。生徒も年齢問わず、六十を過ぎた老人でさえいる。僕が、最年少だ。
まるで、日本の大学のようだった。義務教育で習うさらにプラスアルファ、専門的知識を学び、翼として世界は羽ばたけるように。
パラス国の統治形態に疑問を持ちかねない、社会の仕組み自体を揺るがすような教育を行う。革命家や詐欺師を育成しかねないその方針に疑問を持つ者も多いだろう。
『根源的破壊者』と恐れられる教育機関。
カウエシロイ教室に僕は入学した。




