81.地下二階4
【魔暦593年07月03日13時07分】
扉を抜けると牢獄が広がっていた…、というわけでもなかった。再び、長い廊下が続く。事務室やら待合室といったところか。暗闇の中ではあまり見えないが、ほとんど埃をかぶっている。
影のように闇に紛れながら、ゆっくりと進む。再び廊下の終点についたのは一分ほど歩いた後だった。
突き当たりの扉は閉まっていた。しかし、ドアノブは何も詰まることなくがなく回すことができた。僕はゆっくりと扉を開けようとして、隣のルミに止められた。耳元で囁かれ、息がくすぐったい。
「嫌な予感がする。さっきの男の顔見たか?」
「あまり見えなかったわね」
「奴の名前はアンダーソン。カウエシロイ教室の代弁教師の一人だ」
その名を聞いて、一度ドアノブから手を離す。
「アンダーソン?村民名簿で見たことあるけど、パラス国都市部に行ったからこの村にはいないはず…、帰ってきたのかな?」
「奴が誰かはどうでもいい。モニ、カウエシロイ教室に聞き覚えはあるのか?」
「カウ…、何だって、エロい?」
卑猥な教室だろうか。嫌な予感がするのも理解はできるが、聞いたことはないな。
「チッ」
僕の場違いな聞き間違いに、ルミは大きく舌打ちをした。しかし、それでも僕を見捨てることなく、結論だけを教えてくれた。
「絶対に捕まりたくない連中ってことがわかればいい」
それは、誰が相手でもそうなのではないか。それとも、村民のルールが適用されない機関なのか?捕まったら、そのままパラスに連れていかれるとか。
どちらにせよ、猪突猛進の権化とも言えるこの少女が警戒を抱くような相手だ。いつ関わりを持ったかは知らないが、気を付けておくほかない。それをいうなら、中に入らない事が一番安全ではあるが。
と、僕らが思考を巡らせていると、突如として廊下に音が鳴り響く。ルミが何か物を落としたのかと思ったが違うらしい。思わず口元を抑えて壁に寄った。
擦り寄った。己が壁であると自分に言い聞かせるように、成り切った。
「ん、誰もいねーじゃん」
「それはそうですよ。アンダーソン先生がいるのは、階段下の扉ですからね」
「ああそうか。この廊下が地味になげーんだよなぁ」
「なんか不気味ですよね」
扉から当然のように出てきた二人の男達は、他愛もない会話をしながら去っていく。彼らが完全に見えなくなるのに数十秒かかり、僕の顔は真っ赤に染まっていった。
「ぶはっ。あ、あぶなっ」
「かなり人数が中にいそうだな」
「くっ、ルミはいいね、透過魔法があって」
「モニもなかなかいい隠れ方だったぞ。滑稽で」
壁に大の字で張り付き、前髪を完全に下ろす事で僕は闇に溶け込んだ。男達は気が付かなかったようだが、少しでも壁の方に視線を寄せられたら、バレていた。
僕は刺々しいルミの言葉を無視し、今度こそ扉を開けた。
***
【魔暦593年07月03日13時11分】
薄暗い通りの左右に、鉄格子が並ぶ。目視できる範囲で人はおらず、僕らは安堵のため息をついた。
その光景は、僕が監禁された牢獄とそっくりで、何だか首元が痛くなってきた。幼馴染、加えて前世の妹に本気で殺されそうになったのは、やっぱりトラウマになっている。
それにしても、ここまで牢屋を並べて何の意味があるのだろう。ある程度の魔法使いならば、小枝の如く折れるであろう鉄格子では、収監することはできないだろうに。
それこそ、僕のようなか弱い美少女しか捕まえられないだろう。全く鍛えていない、魔法もつかない異人程度しか。
ーーいや、それが本当の理由だったりして
魔王の正体が異人ならば、鉄格子で十分、ということかもしれない。地下に閉じ込めたい存在は、本当に異人だけ。その考えを否定できる材料は今のところない。
僕らは音を立てず、けれど素早く移動した。
とは言っても、地下二階はそこまで広くなかった。牢屋が八つ。小部屋が四つ。光が扉の隙間から漏れていることから、小部屋に何人かいることはわかる。
勿論、牢獄の中に、誰かが収監されているわけではない。もぬけの殻どころか、使われた形跡すらない。
「誰かが捕まっていた?そいつを、カウエシロイ教室が外に出した?」
「どうかしら。これを開けたのが彼らなのは間違いないだろうけど」
僕たちは、最奥の牢屋の前で立ち尽くす。唯一、鉄格子の開かれた牢屋があったのだ。その中も、空だった。
ーーこの牢屋だけ、埃がない
ーー清潔感…、いや、直前まで何か置かれていたな
ーーというか、この懐かしい匂いは…
「ルミ、逃げよう」
「はぁ? あんだけ死体を見たい見たいって言ってたじゃんか。何も得られてないぞ」
「死体はあった。あったんだよ。この牢屋の中に。ここに安置されていたんだよ」
「あたしには何も見えないけど」
「場所を移動させられたんだ。下手したら、罠かもしれない」
この場所に死体はあった。それは、はっきりと断言できる。僕は何度も見てきたのだ。
自慢じゃないが、前世では死体を運ぶ役回りをしていた。マキに触れさせたくなかったというのが大きいが、僕がやるしかなかった。だからこそ、死体の残り香のようなものがわかる。
匂い、と断言していいものだろうか。ともかく、感覚的にここに死体があったことはわかる。
用はないと牢屋を背中に一歩踏み出すが、引き止められる。というか、吸い込まれるように牢屋の奥へと引っ張られていく。
「おーい。そっちの作業は終わったか?」
足音が響き渡る。一切の遠慮なく、隠れる気概もなく、音は反響する。それはそうだ。僕らのようにやましいことをしているわけではないのだから。
先ほど廊下ですれ違った男が、一人で戻ってきた。彼の声に反応するかのように、小部屋から何人か出てくる。
「はい、終わりました」
「じゃ、さっさと切り上げようぜー」
「みんな、戻っていいってさ」
「ふいー。やっとかい。仕事に文句を言うつもりは全くないけど、流石にここは辛気臭いよな。一体、何をここにしまっていたんだろう」
「変なことを言いますね。牢屋なんだから、『誰を』の方が適切なんじゃないですか?」
「変なことを言うのはお前だろう。こんな場所に人が住めるわけないだろう」
「ああ、それもそうですね」
ローブに顔を埋め、口を抑える。
壁になりたい。空気になりたい。この場から消え去りたい。
聞こえる声だけでも、男女四人以上はいる。
彼らが少しでも牢屋に向けば、見つかってしまうだろう。一対一ならば、言いくるめられる自信があるが、この人数はきつい。
死体を秘密裏に移動させた、謎の集団。そいつらに捕まればどうなるか、想像することもできない。
ーーここに来て神頼みか…
まあ、そうなった時点で僕の負けだった。神なんて信じてないし、どちらかというと恨んでいるくらいな僕だ。手を差し伸べてくれるほど、都合は良くない。
「この牢屋、なんかおかしくないか?扉開いているけれど」
視線が、僕のいる牢屋へと向けられた。
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