73.対話2
【西暦2023年2月3日18時30分】
雪山山荘殺人事件、三日目の夕方。
生存者の五人が食卓を囲む。昨夜見た二人目の死体、如月ランの吐き気を催すような歪んだ表情が脳裏から離れない。
静寂は包み込み、誰もが料理を前に手を止める。空腹に加えて、マキが作ってくれたというのに。僕は料理を一口も口に運んでいなかった。
誰もが、というのは語弊があった。一人を除いて、だ。
平井ショウケイは何度もクリームシチューを咀嚼した後、ゆっくりと口を開く。
「殺人とは対話である」
何の脈絡もない、そして意味の分からない発言。彼は全員の顔を見渡し笑みを浮かべるが、相槌すら打つものはいなかった。
それでも、彼の独り言は止まらない。
「人と人が出会うから物語が始まる。手を差し伸べられたから握手をする。包丁を差し込まれたから、命を失う。何かするから何かが起こる。殺人鬼と被害者の二人の対話だ」
そう。これは独り言だ。彼も誰かの反応を待っているわけではない。唯、自分の考えを述べて、表情の変化を見て楽しんでいる。
『対話』という題材なのに、やっていることは尋問のようだった。平井ショウケイは対話するつもりが全くない。それなのに、彼は止まらない。
「特に、今回のような刺殺は素晴らしい。最も、対話に適している殺人方法だと言える。例え、心臓に包丁を突き立てられたとしても、それが心臓に一直線にたどり着いたとしても、命を散らすまでには、少しだけの時間が残される。真正面から胸部を一突きというのもポイントが高い。少なくとも、死亡寸前には、顔を見合わせてお互いが誰か認識しているのだから」
平井ショウケイは、クリームシチューで口の渇きを満たしながらそういった。彼は満足げにスプーンを空の皿に置いた。
「目と目を合わせる。そこに、言葉はいらない」
だから、会話じゃないのだ。
丁寧に手を合わせて、料理人のマキに視線をずらす。「ご馳走様」という彼の表情は、不気味な程笑顔だった。隣に座るマキの、僕を掴む手の力が強まる。
目で見て。
包丁で触れ合って。
血と共に感情を吐露させる。
「これが対話で無くて、何だというのだ?」
***
【魔暦593年07月03日12時03分】
「はぁ」
嫌な記憶を呼び戻してしまった。
僕は平井ショウケイが嫌いだった。常に何かを知っている風な余裕さ、人が焦っている様子を見て笑う性格の悪さ。
そして、死体を躊躇なく触る道徳の無さ。医科大学出身で医療知識を持ち合わせている彼は、死体を解剖と表して傷つけ、侮辱していた。
僕は心底軽蔑していた。恐怖すら感じていた。
ーーだけど、今ならわかる
ーー平井ショウケイは、あいつだけは
ーー殺人鬼と対話を試みようとしていた
僕らは、殺人鬼に怯えていただけ。特に僕なんか、妹さえ守れれば良いとさえ思っていた。
立花ナオキもそうだ。彼は、新たな被害者を出さないために、見張り番をしていた。他の奴らも、どうやったら密室の雪山山荘脱出できるか消極的だった。
守るために、犯人を探していた。
平井ショウケイは違う。誰かのためではなく、自分のために動いていた。殺人鬼のことを少しでも知ろうと、死体に触れていたのだ。
僕はラーシーの死体の前に立つ。ゆっくりと膝を曲げ、彼の顔に近づく。体勢はややずれているが、これでもかなり近いはずだ。
虚空を見つめ濁り切った瞳に、口を開けて固まった男の顔は、とてもじゃないけど直視したくない。
僕は自分の頬を叩き、瞼を開ける。対話をするならば、目を背けることなどできない。
「殺人とは対話。最後の瞬間、殺人鬼とラーシーは目と目を合わせて、向かい合ったはず。つまり、この表情は死ぬ直前に浮かべた、最後の感情が詰まっている」
僕は両手を広げて、ゆっくりと赤い柄の包丁に手をつける。心臓に突き刺すにはこうやるのか、と納得するまで何回も持ち方を変えた。
そのまま、包丁に力を入れる。
「ラーシー。お前は最後に、何を見たの」
目で見て。
包丁で触れ合って。
血と共に感情を吐露させる。
僕は知るべきだ。ラーシーについて、殺人鬼について。
二人の対話を、隣から聞かせてもらおうじゃないか。殺人鬼と同じ角度で、僕はラーシーを見た。




