72.対話1
【魔暦593年07月03日12時00分】
ロイからもらった防衛手段を披露することはなく。
ルミが回復魔法で完治するよりもはやく。
オルの僕を守るという強い思いが発揮される前に。
ラーシーは死んだ。
ラーシーは死んでいた。
歪ませた口、目の前の真実を受け入れられないかのように大きく開かれた瞼、外へ向かう途中だったかのように、扉に向けた足。
普段のおちらゃらけた様子とは程遠い、絶望に満ちた表情。そこに映るのは、希望からの裏切りか、決して振り向かない神への当てつけか。彼の死体は瞼を閉じても消えないほど劇的だった。
この世界に来て、初めての知り合いの死。イアム・タラークよりも現実的で、鮮明に僕の視界に映った。
ーー誰だっけ、これ
この死体はラーシーであると、断言できる。居住地も、服装も、顔も、全てが記憶の中のラーシーも同じだ。
だが、僕の知っている彼はこんな表情を浮かべるだろうか。この家の中もそうだ。色とりどりの花と、作りかけの彫刻が散らばり、奇妙と言う他ない。
ラーシーが花を愛でるのも、彫刻のような繊細な作業を行うのも。僕の想像のラーシーとはかけ離れている。
ーー誰だったっけ、これ
これがラーシーという男の本質だったのだろう。異人の人格隠蔽技術をロイが警戒していたように、前世の人格とは乖離しているのだ。
佐藤ミノルがモニ・アオストであろうとするように、彼もまたラーシーを演じていた。
僕は彼のことを何も知らなかったのだ。
『わからない』は怖い。
未知とは恐怖である。
僕らは表面上の彼しか見ていなくて、何も知らなかった。そして、知る方法はもうない。彼は死んだ。
ラーシーという男の、未知さは確定した。
だって、死体は喋らないのだから。
『殺人とは対話である』
『そして、死体は記録である』
「対話…?」
死体をじぃと凝視する僕を置いて、玄関の先の部屋に入っていたオルが反応を示す。
「お兄ちゃん、なんか言った?」
「別に」
「ふうん。でさ、やっぱりこっちの部屋も誰もいない。うん。この家には誰もいないっぽいよ。裏口もないし。現状、この家の中は安全ってことになるかな」
「じゃあ、殺人鬼は玄関から出ていったということね」
「うん。密室殺人ではない、ってだけで良かったけど」
全くもって良くはない。人が死んでいるのだから。
オルは「大丈夫?」と言いながら僕の隣に立つ。
「気分悪いなら、お姉ちゃんのところ戻る?あっちも心配だし」
「いや、問題ない。オルは平気そうね」
「そりゃ、ラーシーが死んで悲しいよ。でも、お兄ちゃんが死んだわけじゃない」
だから、取り乱すこともない。ぶれることもない。
佐藤ミノルの死を経て、オルは変ってしまった。人生の価値観の、『最悪の状況』という実績が解除されてしまった。この家に死体以外の誰もいないことが証明された今、彼の心は平穏そのものになったのだ。なぜなら、僕が死ぬ可能性がないから。
「俺はさ、ラーシーのこと好きだったよ。気の良い近所の兄ちゃんって感じで。でも、異人だなんて知らなかった」
「うん」
「もっと早く気が付いてれば、前世の話とかもできていたかもしれないのに。雪山山荘の話とか、突き詰めれば色々対策ができたと思う」
「そうだね。僕たちは何も知らなかった。知らなすぎた」
「知ろうともしなかった、か。何か、前もこんな話したよね」
「前って?」
「覚えてないならいいや」
「思い出したくもない話だし」、そう言ってオルは僕の横を通り過ぎる。そのまま玄関の扉を開けて、姉の元へと向かった。
ーー覚えてるよ、勿論
僕ら異人は、前世の記憶を鮮明に残している。死ぬ間際の記憶力がそのまま保存されているかのように、いつでも佐藤ミノルに戻れる。
バックアップが取れている。だから、雪山山荘で話した内容など、当時の光景すら思い出すことができる。
未知とは恐怖である。
わからないは怖い。
だが、無知は罪だ。
知らないは通じない。
知らなければならない。
『その点、殺人鬼はお前らよりはマシだ。人を殺すことによって、対話を試みているんだから』




