58.最高なサマリー5
【魔暦593年07月03日09時55分】
この世界には誕生日を祝う文化がある。公用語は日本語だし、湯船に浸かる習慣もある。日本のパラレル国家だと考えて良い、という話は以前しただろう。
とはいえ、文化が歪に紛れ込んでいるこの世界でも、流石に土下座は浸透していなかった。土下座の歴史はインドが発祥で、行為自体は昔からあった。それに最上位の謝罪の意味が付いたのが、日本特有の感覚によるものだ。
この世界ではそれがなかったのだろう。他人に謝罪、懇願するのは首を垂れるお辞儀が主流だ。
それでも、ルミのお辞儀は土下座に匹敵するほどの誠意を感じられた。セリュナーの表情を覗くこともない、一切の迷いない態度には彼女の本気度が伝わった。
なにより、暴力女と揶揄されるルミが頭を下げるところなど見たことがない。彼女が懇願するなんて、天変地異が起きるのではないか、と。
暴力ではなく、言葉の力を知ったのだ。
その驚愕はセリュナーにも届いたようで、彼女は眼鏡の位置を正す。
「ちょ、何よ」
「セリュナーには辛い思いをさせるかもしれない。それでも、あたしは頼みたい」
「辞めてよ。ルミらしくない」
「このままだと、また人が死ぬ。でも、それは無関係な人じゃない。次に殺されるのはオルかモニなんだよ」
「なんで?」
「理由は言えない。だけど、断言できる」
更に深く腰を落とす。
「だから、あたしの大切な人たちを助けてください」
***
ーー泣き落とし、か
まあ、ルミは泣いているわけではない。プライドの高い彼女の懇願は、女の武器にも匹敵するということだ。
いつも無茶振りをしてくる弟子の、初めての誠意あるお願い。それは、セリュナーの心を揺らしているようだった。
セリュナーはルミの情けない姿を見たくないようで、目を瞑る。しかし、目を逸らすわけにもいかない。ルミは、セリュナーに向かって話しているのだ。その葛藤が、彼女の表情から読み取れた。
頼んでいるルミよりも、セリュナーの方が追い詰められているようだった。
「あなたが頭を下げるのが、友達と家族のためなんてね。人は変わるというか、ようやく大人になったというか。馬鹿な弟子の成長を喜ぶべきか…。ああ、もう!わかった、分かったわよ!顔をあげてよ」
「ほ、ほんとう?」
「そんな顔しないでよ。いつもみたいに、自信満々なうざったくしてよ」
「なんだそりゃ」
これこそ『一生のお願い』だろう。今まで貯めた自分の価値を天秤にかけた、渾身の願い。二度と使うことができない。
だからこそ、彼女の心を動かすことができた。
やはり、人の心を動かすことができるのはルミみたいな人なのだ。僕のような、損得感情で動く人は誰かの胸を打つことはできない。
「ありがとう」、そう言ってルミは席についた。
ーー最高な着地点だ
サイコメトリーを使えるならば、それに越したことはない。それに、奴に借りを作ることも無くなった。僕にとっては理想的な終わり方だった。
それに、気にならないわけがない。イアム・タラークがどのように死んだか。加えて、なぜ彼女はあんな辺境な地にいたのか。
早速、殺人現場に行こうじゃないか。そう思い立ちあがろうとするが、セリュナーの行動は違った。彼女は懐に手を突っ込み、何かを取り出す。
「でも、犯罪の片棒を担ぐのは嫌だからね」
「へ」
「申請書を出す時間もないでしょ。聞くわよ直接」
ゴトン、と軽い音を立てて机に置かれたのは、黒い四方形の物体。
大きめのサイコロほどの大きさで、全てが黒塗りにされている。何かの容器でもないのに、ボタンや液晶があるわけではない。
触って操作する機械ではない。特定の行動を起こすことで魔法が起動する魔道具だ。僕ですら持っていない高価なそれは、警備隊員である証拠でもある。
伝達魔法が刻まれている魔道具ーーつまり電話機だ。機能としては、登録されている同じ形をした魔道具に、音を送るというもの。
携帯電話ほど利便性はなく、誰とでも連絡を取れるわけではない。飽くまで、警備隊員が情報共有を行うためだけにある。
申請書を提出するのではなく、直接聞く。つまり、この村で魔法の使用管理を行なっている人物に伝達魔法を飛ばすということ。
セリュナーの伝達先が誰かは、聞かなくてもわかる。そして、その伝達先は僕たちにとって非常に都合の悪いものだった。
彼女が口元にそれを運ぶと、黒い靄が魔道具を包む。魔法が起動したのだ。
魔力を伝え、音は距離を無視して届けられる。魔道具からは、やけに聞き馴染みのある男の声が鮮明に聞こえた。
『こちら、魔法学院警備隊ヘルト村支部隊長スタウ』
「セリュナーです。今お時間いいですか」
『手短に頼む』




