53.語るまでもない6
「ちょっと待てよ」
「ぶえ」
僕とオルの熱い討論に冷や水をかけるように、ルミの声が夜に響いた。いや、実際に水をかけられた。水を生み出す魔法がオルの脳天に直撃し、彼は地上で溺れる。
オルの悲鳴が情けなく漏れる。既に日は落ちているので、服が乾くのにも時間がかかるだろう。
「今までの話はギリついていけたが、これは頂けないな」
「お姉ちゃん!!何してんだこら!」
「『外傷はない』だと。『突然血を吐いて倒れた』。じゃあ、モニはどうやって死んだんだよ」
人差し指に水の球体を生み出して、ルミは文句を垂れる。
「まるで、魔法じゃないか。ニッポン?ってところは、魔法がないんじゃないのかよ」
もちろん、日本に魔法はない。ルミのように水を生み出すことも、雷撃を飛ばすことも、透明になることもできない。
「そう。その前提は絶対だよ。魔法はありません」
僕は口を大きく開いてそう断言する。その可能性まで考えてしまったら、話し合いなんてすべて無意味だ。地球は科学によって発展した星。この異世界とは違う歴史を辿ったのだ。
僕は、赤い柄の包丁で心臓を一突きされたわけじゃない。それなのに、僕は死んだ。口から血を吐いて、倒れるようにして。それこそ、魔法を使われたかのように。
ーーああ、なるほど
「毒殺、か」
***
考えてみれば、単純な話だ。僕は一瞬で殺された。対して、マキは僕をみているだけだ。彼女に危害が加えられた様子はなかった。僕だけが死んだ時点で、そういうことだったのだ。
「遅効性の毒を仕込まれた」
それだけで、疑問は全て解消される。朝起きた時に飲んだ水か、夕食に仕込まれたのか、ドアの取っ手に付着していたものを手で運んでしまったのか。
それを解明する手段はもうない。だけど、到達してしまえばそれ以外の可能性が無くなるくらい、説得力のある話だった。
僕は毒殺されたのだ。
「毒殺ってなんだ?毒?」
「体に入ったら健康に有害を与える物質…、といっても、健康も病気もないこの世界に、毒なんてないかもね。なんせ、回復魔法が常時働いているのだから」
ロスト山での騒動を思い出す。全身から血を流して倒れたルミは、瀕死に陥っていた。彼女は睡眠による回復を行った。
対して、数分前のルミも全身に風穴が開いていた。ロスト山以上の負傷をしていたにも関わらず、彼女はピンピンとしていた。
この二つの違いは、魔力切れだ。ロスト山の時は、ルミが魔力切れになっていたため、回復が遅かった。逆に言えば、魔力切れさえ起きなければ人間は死なないのだ。
病気が存在しないのもよくわかる。体に有害と判断された瞬間、正常な状態に戻る。
勿論、日本に回復魔法なんてない。毒を盛られたら、呆気なく死ぬ。何の訓練もしていない一般人の僕は、まんまと毒殺されたわけだ。
「でも、なんで」
殺人鬼は、なんで僕の時だけ毒殺を選んだんだ。
村田アイカ、如月ラン、平井ショウケイ、立花ナオキ、青木ユイ。僕より前に死んだ5人は、赤い柄の包丁によって殺された。それは僕が自分の目で見たから間違いない。
確かに、模倣犯ではない。殺害方法という最も特徴的なものから外れて仕舞えば、それはただの殺人だ。七連続女性刺殺事件とは関連性がない。
一貫性の無さは、僕の考える鬼塚ゴウ像とは大きくかけ離れている。
雪山山荘に鬼塚ゴウ名義で僕たちを集めた。模倣殺人を完遂させるわけではなく、途中で殺害方法を変更した。
しかも、僕の死後、犯人を見つけ出すためにマキが山荘に火をつけたのだ。つまり、死体も丸ごと焼けてしまったということだ。赤い柄の包丁によって生まれた5人の死体は、全て灰になった。
自らの殺人を誰かに誇示するわけでもない。
ーーだめだ、さっぱり
「意味がわからない」
殺人鬼は雪山山荘で何がしたかったんだ。殺すだけして殺して、煙のように消えた。動機も方法も、全く想像がつかない。
入江マキに至っては、殺人鬼の手にかけられてすらいない。
未知とは恐怖。わからないものは怖い。過去を知れば知るほど、殺人鬼の得体の知れなさが増す。
謎が謎を呼び、僕の脳内は混乱に陥っていった。そんな僕を呆れた目で見つめるルミが、僕の言葉を繰り返す。
「意味がわからない。それはこっちのセリフだ。毒殺?で死んだのがわかったなら一歩前進じゃん。でも、それってそこまで重要か?」
「重要も何も、殺人鬼の手掛かりは過去にあって」
「手がかりって言っても、モニとオルの記憶力次第だろ?魔法を使って記憶を再現できるわけでもないし。結局、妄想の域を越えられない」
「それはそうだけど」
「でも、ここはニッポンじゃないんだぜ」
水の球体を弾け、ルミの指先は次第に赤い炎を生み出した。夜の闇を払うその光は、ルミの顔を強く照らした。
「あたしの知り合いに、適任者がいる。サイコメトリー。魔力の残滓から、過去を再現する天才魔法使いだ。イアムが死んだ瞬間を直接見に行けばいい」
***
【魔暦593年07月03日00時14分】
夜更かしは美貌に悪い。ピチピチの肌を維持するには、睡眠は必要不可欠だ。だから、日を跨いで起きることはほとんどない。
地球と違って、夜中にできることは少ないというのもある。昼間の活動で充分に満足しているので、夜に取り戻す必要もない。
なのに、僕はベッドから降りた。
かぐや姫のように、美しく生きる。モニ・アオストとしての行動指針だったそれが揺らいでいた。肌荒れよりも、怖いことが生まれた。
ここから先の行動は、一歩も間違えられない。もう、誰も失いたくない。そのために、僕は動かなければならない。
ドアノブにゆっくりと手をかけ、音を立てずに扉を開ける。ロイや母親はとっくに寝ているだろうが、ばれたら面倒くさい。いくら協力できないといったロイでさえ、夜中に外に行くことは許してくれないだろう。
そんな僕は、横に立つ少年の姿に全く気が付いていなかった。
「お兄ちゃん。どこいくの?」
「ぎゃあ!」
物音どころか、大きく尻餅をついて倒れる。その様子を心配そうに見るオルの姿に、僕はため息をつくしかなかった。
「なんで僕の部屋にいるのよ!」
「何でって、俺はオルだけど、お兄ちゃんの妹であることに変わりはないよね。だから、アオスト邸のどの部屋にも自由に入れるんだよ」
「意味わかんない」
「大丈夫。ヴァニさんにも許可貰ってるから」
「お母さんはオルに甘いからなぁ」
ヴァニ・アオストは、オルとルミをとても気に入っている。自分の娘や息子のように接しているし、それほど仲がいい。合同誕生日パーティーを開くくらいだからわかるだろう。
だけど、僕の自室に入ってくるのは関係なくないか?プライバシー侵害という話もあるが、今は僕が女でオルが男だ。性犯罪未遂、不法侵入、その他諸々で警備隊に突き出してやろうか。
ーーまあ、今は後回しだ
大きな音を立てている心臓を抑えながら、僕は再びドアノブに手をかける。今度は物音ひとつ立てずに外に出ることができた。
後ろを振り返らずとも、オルがついて来ているのはわかった。夜空の下に着くと、寒気で体が震える。
「大丈夫、大丈夫だよ」
オルの優しい声が風に乗って僕の耳に届く。どこかで聞き覚えのあるその言葉は、雪山山荘に行く直前にマキが言ったものだった。
『お兄ちゃんが守ってくれるんでしょ』
そう微笑んだ入江マキは、転生し、男として生まれ変わった。オル・スタウは他人に守られる道を捨て、自らが力を得ることにした。
「俺がお兄ちゃんを守る。今度は、俺の番だから」
強い意志を持った瞳は、ただ僕だけを見つめていた。
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