51.語るまでもない4
【魔暦593年07月02日19時31分】
「俺はもう協力できない」
既に酔いはさめているようで、いつもの自信に満ちた表情だった。
異世界での生き方を教えてくれた恩人であり、一番頼りになる存在。そんな父親に拒絶された僕の心情は、意外にも落ち着いていた。
お人好しの彼が人を助けないなんてことはないし、何よりも娘である僕を第一に考えている。その彼が、僕に協力できないというのはそれ相応の理由があるに決まっている。
「そう。じゃあ、こっちで勝手にやらせてもらうわ」
「はぁ。物分かりが良すぎて、逆に困るな」
ロイは眉を下げながら、ため息をつく。
「じゃあ、理由を教えてくれるの?」
「それは無理だ。探し人を見つけたお前には関わってほしくない事件になった、とだけ言っておこう」
「お互い様ってことね」
『娘には荒事に関わってほしくない』というのは、ロイが一番考えていることだろう。僕がマキと合流できたなら尚更だ。
『妹に会いたい』という佐藤ミノルの思いは解消できた。あとは、安全圏から事件が解決するのを待てば、それでいい。
だが、僕は怒っている。どうしようもなく、殺人鬼に怒りを感じている。前世の因縁を、呪いを生み出した存在を暴かなければならない。そうでないと、この怒りは収まらない。
その感情すらも、ロイは理解しているのだ。だから、『僕に事件にはもう関わるな』と強制しない。
ーー語るまでもない、か
僕とロイは、お互いの気持ちを汲み取り、その結果話し合いにすら発展しなかった。これが、コミュニケーションの最終形態なのかもしれない。
「じゃあ、俺はもう行くわ。ラスと話さないといけないことがあるし」
寄りかかっていた壁から離れ、ロイは背を向ける。
僕たちに協力できなくなった。ラス隊長と話さなくてはならないことがある。この二つの情報だけでも、ロイがこの先何をしようとしているか、予想ができる。
「って、危ない。これを渡し忘れていた」
ロイは先ほどのまじめな様子から一変、慌てた様子で僕に近寄る。彼は胸ポケットから何かを取り出し、僕の掌に載せる。ズシリと重い、白い箱だった。
「誕生日おめでとう」
***
【魔暦593年07月02日19時40分】
オルがくれた魔道具のローブを着ていると、黒く闇に溶けていきそうな気がした。アオスト邸の外はそれほど暗く、日はすっかりと落ちていた。
空を見上げると、星空が広がっていた。雲ひとつない夜空に月が光り輝いている。
空だけを見ると、日本にいるときと同じ感覚に陥る。星空だけで異世界と判別することはできない。僕は夢を見ているだけで、山から降りると東京の街並みが広がっているのかとさえ思った。
それは、隣に前世の家族がいるからかもしれない。
「なんだか、佐藤さんを思い出しちゃった」
空を見上げながら、ぽつりと呟いた。夜に紛れて表情がよく見えず、本当にマキが隣にいるかのようだった。
「ああ」
「いいお父さんを持ったね」
「恵まれてる。前世も、今世も」
地球に残された、父親のことを思い出す。僕たちの気持ちは僕らにしかわからない。そう思うほど、家族の結束は固かった。本当に、偉大な父親だった。
「ラスさんはどうなのよ?」
「もちろん、大好き。それに、俺が異人だって気が付いてるんじゃないかな」
「え、そうなの」
「見透かされているんだよ。そういう人なんだ。魔法学の由緒ある家系だからね。異人という存在を否定しなければならないから、話してはないけど」
ラス隊長もまた、ロイと同じく広い価値観を持っている。頼りになる大人の代表のような存在だ。その彼だったら、オルの正体を見抜いていても納得できる。
「家族だったら、意外とわかるもんだな」
「俺もモニちゃんがお兄ちゃんだって気が付いてたけどね」
「ちなみに、いつから?」
「おしえなーい。お兄ちゃん、いつになっても気が付かないんだもの」
ーー痛いところだ
僕が『オル=マキ』という等式を成立させるのにかかった年数は13年。しかも、あちら側が解答をぶら下げてきて、やっとわかったのだ。兄として、情けない。
次はもう間違えないと、何度も心に誓う。
僕の枷は解かれた。マキが殺人鬼と断定するのが怖くて、答え合わせをするまで時間をかけすぎた。もう、何も恐れるものはない。
ただ、真実を追い求める。それだけに、すべてを注げばいい。
犯人を捕まえる。
雪山山荘の真実を明らかにする。
呪いを、完全に解く。
この3つだ。それだけを考えて、前に進めばいい。
ロイの協力が得られなくなったのは痛手だが、仕方がない。僕たちだけでも、やりようはいくらでもある。
ーーあいつとはやく仲直りしないと…
僕が考え込んでいると、玄関から大きな音が聞こえる。ドアの開閉だけでそこまでの音が出るのかと、呆れるほどだった。見なくてもあいつが来たとわかる。
月光に照らされ、赤髪が大きく燃えて見える。赤を宿した少女は実際に怒っていた。彼女は外に出るなり、声にならない声を叫び、森を揺らした。
そのままの勢いですぐに駆け寄ってくる。が、僕と目が合った瞬間に、立ち止まる。
「くそ!」
「どうしたのよ。そんなに顔を赤くして」
「お前さ。あたしたちは絶交したんだぞ。気安く話しかけてくるな」
ルミは僕を貫くような目線で睨みつける。
弟が殺人鬼かもしれないという疑問を抑え、僕を助けることを優先したルミ。その彼女を、妹と話したいがために裏切ったのだ。
兄妹と姉弟の関係で、お互いが天秤にかけた。僕は自分を優先してしまった。オルと和解したとはいえ、僕たちの溝は埋まっていない。
「おっと、そうだったそうだった。ごめんね、ルミ。ところで、どうしたの」
ーールミと喧嘩している場合じゃない
オルの呆れた目線を無視し、僕は真剣な表情でルミに問いかける。最初は睨みつけるような眼をしていたルミも、ゆっくりと地面に目線をそらし、ため息をつく。僕と口論することが無意味だと気が付いたのだろう。
「で、何があったのお姉ちゃん」
「父さんのやつ、お前らとは関わらないって投げ出しやがった!事件についての情報も、支援も何もしないだとよ。完全に見捨てられた。ふざけるな!」
ーーまあ、普通はこんな反応だよな
ラス隊長はかなりまじめな人だから、理路整然とルミに説明したのだろう。感情に流されやすい彼女にとっては逆効果だったようだが。
やはり、ロイとラスは僕たちと決別したようだ。ロイは冷静に僕たちを諭し、ラス隊長は情熱的にルミに告げたのだろう。
「あの人たちは、自分たちだけで事件を解決しようとしてるんだよ」
「協力したほうが、早いだろうが。情報共有すらしないって、犯人を野放しにする時間が増えるだけだろう!」
ーーそれはそう
ーーだけど、そんなことはロイ達もわかってるんだよ
ーーわかった上で決別したんだ
「思ったより、事件は複雑かもしれない。多分、権力とか世間体とか、事件に一緒に関わるだけで不都合になることが発生したのよ。僕たちを守るためなの」
今朝までは、ロイは非常に強力的だった。時間的には、僕が監禁されている間に何かあった。ロイとラス隊長だけが知っている、新しい情報が彼らをそうさせた。
ーー最悪、人が死んでるな
二人目の被害者は、すでにいるのかもしれない。それが、ロイとラス隊長の知り合いだったか、それともどこかのお偉いさんか。どちらにせよ、僕たちがやることは何も変わらない。
「一度、事件のおさらいをしよう」




