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殺人事件の続きは異世界で  作者: 露木天
二章.翼をください
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47.翼をください

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【西暦2023年02月04日22時05分】


 重い扉を押し開けると、三日ぶりの外界が広がっていた。この雪山山荘から外の世界に出るのは、吹雪が始まってから初めてだった。先ほどまでの勢いは見る影もなく、無数の雪片がゆっくりと舞い降りていた。


 重い足取りのまま、一歩、また一歩と進む。背後からくる熱気に押されながら、私はそりを引きずった。


 兄ーー佐藤ミノルが死んでから、12時間が経過した。彼の体は重く、そりに乗せて運ぶのが精いっぱいだった。

 

 彼の顔は穏やかで、眠っているようにも見えた。しかし、その胸はもう動かず、どれほど声を枯らしても、彼を呼び起こすことは叶わなかった。

 私の頬を伝う温かい涙が彼の冷たい手に落ちる。彼の笑顔、彼の温もり、彼が私にくれた全てを思い出しては、胸が締め付けられるような絶望に襲われた。



「はやく、でてこい」



 ぼんやりとした空に混じる赤と黒の煙。その威勢は、月明かりさえも飲み込みつつある。巨大な火の玉が空に昇り、それが破裂するたびに新たな火花が舞い散り、落ちる場所全てが焼かれていく。かつての山荘はもう見る影もなく、その業火があたりの雪を溶かしていく。

 



***



 母親が目の前で殺された瞬間を忘れたことはない。

 胸から溢れる血液、光が失われていく瞳、冷たくなっていく体温。私ーー入江マキの母親は、呆気なく死んだ。

 鬼塚ゴウが引き起こした七連続女性刺殺事件直後、私は壊れてしまった。母親の死に耐え切れず、私という存在は消える寸前だった。心の器の底には大きな穴が開き、どろどろと抜け落ちていった。


 だけど、私は救われた。一人の少年が、器の穴を塞いでくれた。零れ落ちていく心を掬い、満たしてくれた。


 

 佐藤ミノル。兄という役割を背負うことで、私を救った男。



 肉親のいなくなった私のために、新しい家族になってくれた。兄として振舞う少年の姿は眩しく、心の闇を消し去った。

 彼の包容力に抱かれて、私は少しずつ壊れていった心を繕うことができた。彼の存在が私に幸せをもたらしてくれた。

 

 そう、幸せだった。人生の点数をつけるとしても、百点だと胸を張って言えるほど、満たされていた。それだけで、十分だったはずだ。


 それでも、私は求めてしまった。今が百点なら、次は過去へ。過去の清算をして完璧になろうとした。母親がなぜ死ななければならなかったのか、鬼塚ゴウは何を考えていたのか。開けなくてもいい箱の中身が、気になってしまった。


 雪山山荘に向かう道中、兄は『帰ろう』といった。兄は、過去よりも未来をみる人だった。いつも慎重で、頼りになる最愛の家族。彼は私を止めようとしたが、私は彼を連れて行ってしまった。死神が待ち受ける地獄へと。



 全て、私のせいだ。

 私がわがままだったから、日常は崩れた。



 私の傲慢さが、兄を殺した。




 隣を歩く兄は、突然前方に倒れこんだ。苦しそうにせき込み、口から大量の血を零した。体を痙攣させながら、目線だけを私に向ける。何かを訴えかけるような眼差しに、私は固まった。

 彼の目から光が抜け落ちるときに、ようやく現状を理解した。私が動き始めた時には、もう兄は動かなくなっていた。



 そこから、しばらくの記憶はない。


***

 

 冷えきった空気が、喉を突き上げる。息は震え、手は白くなっていた。一人ぼっちの雪山、木が燃える音だけが響き渡る。

 兄が死んだあと、山荘の中で手がかりを探した。もう誰も生きていない。この雪山山荘の招待客は、私一人だけだった。


 それでも見つかったのは、ただ一本の包丁だけ。その赤い柄の包丁は完璧な状態で、傷一つなかった。それが私を殺すために用意された、最後の一本だということはすぐにわかった。犯人は、殺人事件を続けようとしている。


 このゲームは、まだ終わっていないということに、私は歓喜した。殺人事件が終わっていないのならば、私が復讐する相手も残っているということだ。犯人は、この山荘のどこかにいる。



 山荘に火をつけた。どこに隠れていたとしても、必ず殺人鬼を引きずり出す。この山荘に巣くう犯人を、この手で見つけ出すつもりだった。この狂った集会を開いた差出人を捕まえ、必ず報復する。



 しかし、山荘は焼け落ちてしまった。煙と火花だけが舞い上がり、見覚えのある場所は何も残らなかった。中には誰もいなかった。



 煙が薄れていく中、見慣れた山荘のあった場所は何も残らず、焼けつくされていた。その内部にはもう誰も存在しない。火災が全てを飲み込み、唯一の犯人であるべき存在も、煙のように消え去っていた。復讐をすることすら、私には許されなかったのだ。



 「あーあ」



 冷たい風が頬を撫で、やがて心まで凍えさせる。



「翼が欲しい」


 雪雲はどこかへ消え、空には星々が光り輝いていた。彼らは静かに、しかし確実に存在を主張し、闇夜を照らし続けていた。遠くで見る星は、その小さな光でさえも美しい。数えきれないほどの星が瞬き、まるで私を見守るかのようだった。 



「神様。お兄ちゃんに、会いたいです。私に翼をください」



 でも、こんな時まで他人頼りだなんて、私はいつまでたっても大人になれないんだ。ずっと子供のまま、変わらないまま。



「最後くらい、自分で動くか」



 私は小さく笑い、兄の存在を感じる静寂に声を投げかけた。



「今から、会いに行くよ、お兄ちゃん」



 再会を願い、最後の選択をした私の心は、驚くほど静かだった。

 首に縄をかけ、樹木の枝に身体を預ける。足元にある兄の死体を見ながら、重力に従い首元が締め付けられる。


ーー天国へ行くために地へ落ちるなんて、なんだか可笑しいね


 そんなくだらないことを考えながら、私は一人、生と死の境を越えていった。私の終焉は、静かに、そしてあっけなく訪れた。


 苦しみの先に、意識の消失があった。気が付けば、落下する感覚に襲われる。




 果て無く、深く、沈む。心の奥底からひたすら闇が侵食していくような、恐怖に襲われる。

 体の感覚も薄れていき、私自身が解けていく。私の存在を繋ぎとめている紐が、一本、また一本と解けていくようだった。



 

 入江マキは死んだ。

 今死んだ。




 肉体的にも、魂的にも、確実に死んだ。





 それなのに、意識だけは残っていて。

 次第に闇の中から一筋の光が見えてきて。

 命を感じさせる音が聞こえてきた。


 ゆっくりとドクン、ドクンという音が耳に響く。


 それは、生命の始まりだった。

 私は、失ったはずの肉体を動かし、瞳を開く。

 




「おぎゃ」

 


【魔暦580年7月1日07時05分】



 同時に、生まれた命がある。

 スタウ家の長男、オル・スタウは大きな産声をあげる。



 私は、転生した。

 


 新たな人生の始まりは。

 呪いの続きを意味していた。



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