46.姉弟邂逅3
【魔歴593年07月02日19時06分】
「だから、私はオルじゃない!!入江マキだ!」
閉ざされた空間の中、オルの獰猛な攻撃がルミの体に次々と叩き込まれていった。ルミの深紅の血が室内を赤く染め上げていく。それは美しくも、かつ悲惨な光景だった。オルの拳は鋭く、まるで戦闘機のように無情にもルミの身体に突き刺さる。その一撃一撃が、ルミの体をより深く、より痛烈に切り裂いていく。傷は深く、血は流れ続ける。
しかし、ルミは口から血を垂れ流しながらも、笑みを浮かべていた。反撃もせず、弟の拳を全て体で受け止めた。
「全く、どうしてこう暴力的になったのかなぁ」
ーーああ
ーーいいのか
ーーまだあきらめなくて
どれだけ血を流そうとも、ルミは呆気らかんとしていた。痛みを感じていないわけでもなく、時折顔を歪めながらも、笑っていた。
絶望に染まっていた僕のもとに落ちてきた、一本の光。
ここは、異世界だ。真っ当な殴り合いで人が死ぬわけがない。血が流れても、臓器が消し飛んでも、魔法があれば元通りになる。
「あのな、オル。お前が一人で抱え込んで、暴走するのは勝手だけどな」
ルミが一歩進むたびに、オルは一歩後退する。一歩、また一歩と続くが、それは彼の背中が壁に当たることで終わりを続けた。
「来るな!」
オルはルミを押しのけようとしたが、彼女は力強く彼の腕をつかみ、弟の瞳を見つめた。
「大事なモニちゃんを守りたいんだろ」
ルミの声は穏やかで、しかし力強いものだった。
「だったら、姉を頼れよ。あたしたち、家族だろ。」
オルは彼女の言葉に一瞬、固まった。その目には戸惑いが浮かんでいた。彼の口から発せられたのは、小さなつぶやきだけだった。
「私は、入江、マキなんだ」
「いいや、お前はオル・スタウだ。あたしはお前が生まれた時から知っている。泣き虫で、頑丈で、料理が上手で、甘えるのが下手な、あたしの大切な弟だよ」
ルミは、ゆっくりと弟の体を抱きしめた。オルもまた、血まみれの手で、たどたどしく背中に手をまわした。
それは確かに彼の心の中にある感情を表していた。そして、その感情が彼の内面をゆっくりと変えていく様子が見て取れた。
「だ、だって。殺人鬼が前世からやってきたんだよ」
「うん」
「また、私の大切な人が死んじゃうんだよ」
「うん」
「魔法がある世界で、包丁一本で殺してるんだよ」
「うん」
「一人は、怖い。また、一人になっちゃうんじゃないかって思ったら、頭がおかしくなりそうで」
泣きつくオル乱れた髪を優しく撫でながら、ルミは宣言した。
「安心しろ。お前にはあたしがついているんだから」
「う、ぐ、あ。お姉ちゃん…」
「前世に縛られなくていいんだ。お前はオル・スタウなんだから」
***
転生者、異人、魂の漂流者。
前世の記憶を持つ人間は、呪いとして前世に縛られて生きていく。自身が転生した理由を探し求め、『次こそは上手くやろう』と背伸びして生きることを強いられる。
前世に失ったものが多いものほど、多くのものを望み、多くのものに恐怖する。
貧困なものは、富を求める。
死を知っているもは死を恐れる。
だが、呪いは解かれる日は来る。前世のことを過去として精算し、現世を自由に生きていいと知る日が来るはずだ。
僕は三歳の時、ロイにそう教えてもらった。佐藤ミノルとしてではなく、モニ・アオストとして生きていいと知ったのだ。
オルにもそういう存在がいたのだ。入江マキとしてではなく、オル・スタウとして愛してくれる存在が。
「はぁ」
未だに地に付している僕は、天井を見つめながらため息をつく。
結局、またルミに助けられることになった。取り返しのつかない過去も、彼女がなんとかしてくれる余白を作ってくれた。僕に、後悔する時間を与えてくれた。
彼女に感謝しても仕切れない。
ルミとオルが家族になれたように、僕もマキとの溝も埋められるのだ。
僕たちはまだ若い。時間はたっぷりあるのだから。
「これにて、一件落着、か」
ーーおいおいおい
俯瞰して僕のことを見ている佐藤ミノルが、ため息混じりで言葉を漏らす。
ーー何が解決したって?
ーーオルがマキだったってわかっただけだろう
それでいいじゃないか。僕は妹に再び出会えた。
『お兄ちゃんは慎重すぎだよ』とよくマキに言われていたことを思い出す。佐藤ミノル時代は何事も慎重に、俯瞰して、冷静に物事を判断しようとしていた。
今となって思えば、面白みのない男だ。妹との再会を素直に喜ぶこともできないのか。
佐藤ミノルは僕の反論をつまらなそうに聞き流した。
ーーマキが殺人鬼じゃないなら、誰が僕達を殺した
ーーイアム・タラークを殺したのは?
ーー鬼塚ゴウの手紙は、誰が渡してきたんだ?
そこまで脳内で自問自答した僕は、ようやく事の状況に気がついた。
ーー事件は一件落着どころじゃない
ーー振り出しよりも、さらに前に戻ったのだ
事件の全貌を理解していたつもりだったのに、それはただの勘違いに過ぎなかった。犯人の手掛かりも、目的も、全てが謎に覆われた。
殺人事件は、始まったばかりである。
***
【魔歴593年07月02日19時10分】
アオスト邸一階。
殺人事件以降、異人の可能性を排除するべく、ロイは使用人のすべてに休暇を取らせた。唯でさえ人数に反して大きい屋敷は、不気味なほど静かになっていた。
家主であるロイは、妻を自室に追いやり、身の回りの世話はすべて行った。特に夜は警戒レベルを高め、あらゆる可能性を考慮して殺人鬼と向き合おうとしていた。
「一応、俺はお前も信用してないんだが」
「なら、入り口で追い返すべきだったな」
魔法学院警備隊ヘルト村支部隊長、ラス・スタウを屋敷に向かい入れたロイは、頭を掻きながらため息をつく。
言葉の通り、ロイは家族以外誰も信用していない。前世の記憶があるということは、現世での行いを全て演じられるということだ。
何人かの異人とかかわりあいのある彼は、経歴で人を信用する愚かさを知っている。
だが、それ故に諦めている節もある。
「まあ、お前が犯人だったら、終わりだし…」
魔法学名門であるスタウ家当主を前に、彼は二度目のため息をついた。
ヘルト村全域を転移可能範囲とするこの男が殺人鬼だった場合、対策のしようがない。玄関から丁寧に訪問してくれただけマシである。
やろうと思えば、妻のいる寝室に転移し、殺害後何事もなかったように転移で逃げれるのだ。この村の誰よりも暗殺に特化した魔法使いなので、警戒しようがない。
だから、ラスのことは頼りにしている。ラスも、その娘のルミも。犯人だったら仕方がないと割り切って、協力関係にいる。
「で、なんだよ。こんな夜遅くに」
お茶を用意しようとキッチンに向かうロイを手で押さえ、ラスは神妙な顔つきをする。
「モニちゃんは?」
「寝室で寝てるってよ。そういえば、オルくんが部屋まで連れて行ってくれたって妻が言ってぜ」
「できれば彼女も交えて話したい」
「いや、今日は寝かせてやってくれ。あいつも疲れてる」
「なら、後で伝えておいてくれ」
そういって、席に座ったラスは、やけにそわそわした様子だった。冷静沈着な彼らしくもなく、重い口を開くのに時間がかかった。異常事態を察したロイは、焦ることもなくラスがしゃべり始めるのを待った。
ラスは深呼吸をして、何度も言葉を探した後、ロイに向けて話し始めた。
「二人目の死体が見つかった。イアムと同じく、赤い柄の異物で心臓を一刺しだ」




