45.姉弟邂逅2
【魔歴593年07月02日19時05分】
薄暗い牢獄の中、わずかな光に反射する二つの赤があった。炎のように明るいその赤髪と対照的に、絶望を内包した黒い瞳を持つ少年は、冷たい言葉でいった。
「邪魔しないでよ、お姉ちゃん」
その言葉を嚙み締めるように頷くルミの姿は、さっき見た時と様子とは大きく変わっていた。弟が転生者だと知り、焦りと恐怖に飲まれていた表情は欠片もない。いつものように、にやにやと人を煽るような笑みを浮かべていた。
僕との空間を邪魔されたからか、それともルミの笑みが癇に障ったのか。オルは顔を歪ませながら、僕の首元の手を離した。
「ぐえ」
重力に従い音を立てながら地面に伏せる僕を見ることなく、彼は檻の外に出た。
酸素がゆっくりと脳内に浸透してきたが、僕の体は動かない。情けなく地面に這いつくばりながら、目線だけスタウ姉弟に向ける。
「親友を助けに来たつもり?モニ、モニって依存しすぎてて怖いよ」
「ふん、そこに倒れている女のことか?知らないな、誰だこいつ。モニとかいう馬鹿は、ついさっき絶交したばかりだ」
「あっそ」
ルミは僕の方をチラリと見て、ハッと鼻で笑った。どうやら、僕を助ける気はないらしい。彼女の呆気ない態度に、動かない体のまま僕は笑うしかなかった。
その余裕に溢れた態度がオルの神経を逆なでしたのは明らかだった。彼は声をよりいっそう低くしながら、姉を睨みつけた。
「おお、随分と男らしい目つきになったじゃねーか」
「いつまでも姉貴ずらするな。部外者は消えろ」
部外者呼ばわりされても、彼女は動じることはなかった。肩をすくめながら、止めていた足を一歩前にだす。
「私の名前は入江マキ。もう、オル・スタウじゃない。佐藤家の邪魔をするなら、お前を殺すことになる、ルミ・スタウ」
それは、弟から姉に向けられた警告ですらなかった。目の前の外敵に対する、宣戦布告だった。彼の言葉が響き渡ると、オルはルミに向かって腕を振り上げた。
「ルミ、逃げろ…」
僕はかろうじて動いた口で言葉を漏らす。だけど、その言葉はルミ本人の足跡によってかき消されるほど小さかった。
入江マキはやると言ったら最後までやり遂げる女だ。一度宣言したものは覆さないその性格は、頼りになるリーダーシップとして発揮されていた。太陽のように輝く、僕の自慢の妹だった。オル・スタウとして接していた今までも、軸のある優しい少年という印象だった。
だが、今は違う。
マキは、壊れてしまったのだ。佐藤ミノルという兄を失ってから、変ってしまった。
今までは、オルという仮面を被っていたから普通に振舞うことができていた。だけど、イアム・タラークが死んでからオル・スタウという皮を捨てた。入江マキとして、前世の記憶のままに動くと決めた。
それはつまり、人殺しだとしても、最後までやり遂げるということだ。殺すといったのならば、血のつながった現世の姉でも殺す。彼女の決意が見て取れた。
「へぇ」
話を聞いていたのかいないのか、ルミは興味探そうに笑う。その表情に危機感はなく、ありのままの彼女だった。いつものように、スキップをしているほどの軽い足取りでオルに近づく。
その無神経な姉の行動にオルも行動で返事をした。
オルの拳が動き出す瞬間から、すべてが静止したように感じた。それはまるで、僕がその一撃を見逃すことなく見届けるようにしているかのようだった。
時間が遅く進む中、オルの筋肉がふくらみ、力が集中していく。その拳が振りかぶられ、目標であるルミへと向けられた瞬間、牢獄内に張り詰めた空気が震えた。オルの拳が空気を切り裂き、無慈悲にもルミの腹部へと突き進む。その一撃は、音もなく、しかし確かにルミの身体に深く突き刺さる。
「ルミ!!」
思わず僕は声を上げる。彼女の元に行こうとするが、体がまだ思うように動かない。腕が数ミリ動いた程度で、僕には何もできなかった。
僕の最愛の妹が、僕の親友を殺そうとしている。
僕のせいなのか。
雪山山荘に行かなければ。マキを置いて死ななければ。僕が、もっと早くオルがマキだって気が付いてあげれたら。
すべては手遅れで、今更後悔しても遅いのに。僕の思考は懺悔をすることを止めなかった。
痛みに歪むルミの顔、その一瞬後に広がる血の花。赤い液体がルミの体から噴き出し、部屋中に飛び散る。その血の粒子は、赤髪の姉弟と相まって、異様な美しさを放っていた。
ルミの体は後ろへと弾かれ、壁に打ちつけられる。彼女の体が壁にめり込む音、それはまるで重い鐘が鳴るようだった。その音は室内に響き渡り、ルミの痛みと絶望を伝えた。臓器を損傷したのか、夥しいほど流れる血液は、ルミの生命の終わりを表していた。
次は、今度こそ僕の番だ。僕はオルに殺される。そして、最後にオルは自分で命を絶つだろう。絶望の末に、マキは心中の道を取った。
これが、本当の終わり。僕の二度目の人生は、最悪の結末で幕を閉じるのだ。すべてを失った僕は、とうとう地獄に向かうことができる。
僕が瞼を閉じ終わりを受け入れたのは、オルの上擦った声と同時だった。
それは、姉を殺してしまった後悔の声でも、今から僕を殺すマキとしての声でもなかった。拳を振る加害者としての声でもない。ライオンに狙われた、被捕食者のような、恐怖に飲まれる一人の少年の悲鳴だった。
「バケモノ…」
恐る恐る開いた僕の瞼には、お腹に大きな穴をあけた一人の姉の姿があった。腹部から赤黒い液体を滴らせながら、弟の元に向かってゆっくりと進んでいた。
「ハッ、姉の腹貫く弟の方がバケモノだろ」




