37.家族にしかわからない7
【魔歴593年07月02日17時34分】
今日の振り返りから、これからのこと、村長と話したいことは尽きなかった。
しかし、さすがにあたしも疲れ果てていた。何より、一度魔力が尽きてしまったのだから、その後も動き続けるのは無理があった。
モニの顔を一目見ておきたかったが、坂を登る気力も残っていなかった。アオスト邸のある森林の道中。スタウ家へと続く道の境目であたし達は別れた。
リーチの表情もそうだが、シエラの話も中々に精神に響いた。体力的にも精神的にも、今日は限界だ。
「ただいまぁ」
情け無い声が口から漏れる。家に着いた安堵感と、厨房から漂う暖かな匂いにあたしの集中力は完全に切れた。
あたしの声に軽い返事をしながら、赤髪の少年が笑顔で近寄ってくる。弟のオルは、鼻歌を交えながらあたしを待っていた。
「おかえり!お姉ちゃん」
ーーテンション高いなこいつ
イアムの死体を一番最初に見つけたのはオルだ。死体に足を引っ掛け、そのまま上から覆い被さる形で倒れた。全身は血だらけになっていたし、最も近くで死を実感したはずだ。
だと言うのに、こいつは立ち直ったらしい。我が弟ながら、随分とタフである。
ーーいや、そうか
「どうだった?久しぶりのモニとの帰り道は」
あたしが父さんに転移させられたから、オルはモニと二人きりになったんだった。
最近は、モニの方がオルを避けていた。あたし抜きで二人で話すのは、数年ぶりなのではないだろうか。弟の恋事情は昔から気になって追ってしまっている。
「ちゃんとお家まで送ったよ」
「ふーん?」
「ん?何もないよ」
オルは首を傾げ、唇を少し尖らせてそう言った後、ゆっくりと厨房に戻った。
ーーははーん、これは何かあったな
オルは嘘をついている。
こいつが唇を少し尖らせる時は、何かを隠している時だ。その癖が、今使われていた。
モニも女だ。弱っている時に男に優しくされたら、揺れてもおかしくない。さては、二人の帰り道で告白でもしたか?
全く懲りない弟だ。だけど、あたしはモニとオルがくっつけばそれはそれで良いと思っている。二人の性格は相性が良い。価値観が近しいというか、会話が成り立つというか。
こいつらが結婚でもすれば、あたしもモニと家族になれるわけだし。
そしたら、もっと面白くなるだろう。
「お姉ちゃん、もうご飯食べる?」
オルの声が厨房から聞こえてくる。歩を早めてその方向へ進むと、香ばしい匂いが鼻をくすぐった。不思議な香りだが、なんとも懐かしい感じがする。
「今日の晩御飯、何?」匂いを嗅ぎながら、キッチンの方へと声をかける。
オルがにっこりと笑いながら答えた。
「クリームシチューさ」
「くりぃむしちゅー?」
未知の食事の名前に興味津々で尋ねる。オルは料理が得意だが、中でも創作料理の絶品さは群を抜いている。
「白のソースで煮込んだ肉と野菜の料理だよ。パンにつけて食べるととっても美味しい。心の芯まであったまる自信作だよ」
「ふーん、おいしそう」
台所に立っている彼の姿は、いつもと違って何とも頼もしい。姉弟ではなく、料理人と客の関係になるのだ。オルはペラペラと料理の説明をし、あたしは聞き流しながらもお腹を鳴らす。
料理の概要や作り方、見た目など拘りをいくら言われても興味がない。それでも、オルが楽しそうならまあ良いかと思う。彼の講釈が、スパイスになるのだ。
くりぃむしちゅー。私はその名前を繰り返し、その美味しそうな香りに期待感を抱く。
「よく思いつくよな。こんな料理」
「普通だよ」
「普通か。あたしが料理とかやらないからわからないのか?」
「そうかな?」
相変わらず謙虚な奴だ。店でも開けば良いと何度か提案したことはあるが、「家族に振る舞うのが良いんだよ」とばかり言う。
こういうところも、モニと相性がいいと思う理由の一つだ。自分の優れているところを見せびらかせることがない、頼りになる性格。
『異人は独自の常識を持っている』
ーーあれ?
机に並ばれた二つの深皿からは、湯気がのぼる。オルはスプーンを片手に持ち、声を高らかに上げる。
「いっただきまーす」
「うん、美味しい」と呟く弟は、いつものような笑顔を見せる。
そう、いつもと変わらない日常。なのに、突如としてあたしの心臓は鼓動を早めた。
ーーいや、いやいやいや
思い浮かべたのは、過去の記憶。オルが生まれるその日に、あたしはモニと会った。彼女は、家出の真っ最中だった。確か、モニも3歳の誕生日だった。二人の誕生日は、同じだった。
『魔法を使えないオルを守れるのは、ルミ、お前しかないんだ』
昼の隊長室で、父さんが言った言葉が、なぜか頭に流れる。
オルはなぜか生まれた時から魔力を扱うことができなかった。魔法学の名門、スタウ家としては異例の事態だった。
モニが魔法を使ったところも、見たことがない。
オルとモニは共通点が多すぎる。
ーーあ
「なあ、オル。モニはどこだ?」
「家じゃない?」
唇を少し尖らせながら話す弟の顔が、まるで別人に見えた。




