31.家族にしかわからない1
ルミ目線
【魔歴593年07月02日12時10分】
「ぐぇっ」
視界がゆらゆらと揺れ、酔いが収まるまでに時間がかかる。あたしは思わず、近くの壁にもたれかかる。
辺りを見渡すと、見覚えのある部屋の中だった。
魔法学院警備隊ヘルト村支部。その最上階にある隊長ラス・スタウの私室。書類や本が整然と並べられ、壁には様々な仕事道具が丁寧に掛けられていた。それはこの部屋の主人の几帳面な性格を如実に表していた。
ラス・スタウーーつまり父さんの転移魔法によって、ロスト山からヘルト村大広場まで転移した、ということだろう。あたしも転移魔法は使えるが、数メートル程度だ。父さんが隊長という役職につけているのも、超長距離転移魔法を使える才能を買われているからだ。
といっても、万能ではない。それ相応の反動が来るのは当然だ。いつになっても頭の揺れるこの感覚に慣れない。
父さんの座る大きなデスクの前に立つと、酔いを見せない真剣な表情で彼は言った。
「ルミ。オルとパラス王国に行け」
予期せぬ発言に一瞬呆然とする。あたしは一息ついた後、問いかけた。
「どういうこと?」
「魔法学院の推薦枠を手に入れた。留学に行け、と言っているんだ」
魔法学院への留学。その気持ちがなかったわけではない。魔法を学ぶ教育機関としては最高峰だし、魔法学の実践経験も詰める。
だが、今さら、何故?
急に、何を言っているんだ?
というか、モニとの楽しい談笑を遮ってまで話すようなことか?
父さんはあたしから目を逸らすことなく、あたしの返事を待っている。
どうやら、聞き間違いではないらしい。冗談を言うような人でもない。
いつになくシリアスな雰囲気に逃げ出したい気分だが、あたしはいつものように茶化した。
「父さん、ぼけたのか?昨日の事情聴取はどうしたんだよ。世間話をしたいなら、また今度にして」
それでも、父さんは無言であたしの目を見つめ、ゆっくりと言った。
「私の魔法学院時代の親友がいる。面倒見もいいし、お前らと相性は悪くないと思う。オルも気にいるはずだ」
「はぁ」
「オルは後から私が連れてくる。だから、ルミは今すぐ転移所に行って、パラスまで行くんだ」
「ちょ」
「私の親友は魔法使いとしても超一流だし、師匠として申し分ない。都市部だったら魔法免許だってすぐ取れるだろう。無免許で魔法を使う事もなくなる」
「ちょっと、待ってよ!」
思ったより大きな声が出て、自分でも驚く。父さんの話は一方的で、どんどん進んでいく。
まるで、決定事項を共有しているかのようだった。あたしの意思は関係なく、次の瞬間には再び転移されているかもしれない。
あたしに超長距離転移魔法は使えない。このままパラスまで連れて行かれたら、帰ってこれないだろう。
「勝手すぎるぞ。父さんに何の権利があるっていうんだよ!」
「私はお前の父親だ。権利じゃない。家族を守る使命がある」
「は、はぁ?」
父さんの声は静かだが、その中には確かな決意が感じられた。
「今まではお前らに好き放題させていたが、これからはそうは行かない。魔法を使えないオルを守れるのは、ルミ、お前しかないんだ」
「はぁ?父さんがあたし達を守ればいいじゃんか。隊長様ともあろう方が、随分と弱気だな!」
「事情が変わった」
父さんの声が重く沈んだ。何か重大な事を告げる前の、その深い息遣い。それに気づき、あたしの頭は冷静になってきた。
ーーな、何かがおかしい
今日の父さんは何かおかしい。先ほども、ロスト山での悪行を見逃されていた。
父さんの性格からして、考えられない。事情聴取もしなければ、説教もない。ただ、ハルト村から出て行けというだけだ。
ーーまさか
バカと言われるあたしでも、流石にわかる。
父さんの様子がおかしい原因は、一つしかない。
「それどころじゃないのは、魔法学院も同じ」、これは副院長のセリフだ。呪異物の処理よりも、優先順位の高い案件が起きたと言っていた。
乾いた口のまま、あたしは尋ねた。
「そんなにやばいのか?今回の事件」
父さんは重々しく口を開き、その言葉が部屋に響き渡る。
「やばいなんて言葉じゃ済まない。あれは、魔王の仕業だ」
***
魔王。
この世界のあらゆる法に縛られない、自由な存在。
人に災いを与え、悪の道に引き摺り込む魔物の王。
生活を豊かにするはずの魔法を、人を傷つけるためだけに使う悪魔。
ーー本当にいたんだ
遠い国で、魔王と戦ったとか。魔法学院には魔王を討伐した勇者がいるとか。そういう話は聞いたことがある。
だけど、パラスに住んでいる限り関係がない話だと思っていた。
「そう。パラス王国周辺に魔王はいないとされていた。だが、死体がその常識を否定した」
「でも、これって、魔王なんかじゃなくて…」
モニの妹、入江マキが引き起こした事件のはずだ、と言おうとして、言葉を詰まらせる。もしあたしの予想が当たっているとすれば、事態は深刻だ。
モニの妹が、魔王に転生した可能性。
「数世紀前に、我々人類は回復魔法を魂にかけた。だから、私たちは寿命以外では死なない。すぐに回復するからな」
と父さんが静かに言った。
「ああ、あたしもさっき死にかけたけど、寝たら治った」
「んん、その話は後で詳しく聞くとして。寿命以外の例外として、人間の死因は3つしかない。魔獣に食べられるか、呪異物に関わるか。あとは…」
「魔王に殺される、か」
とあたしは口を挟んだ。父さんは深く頷いて、今まで以上の重さを持った言葉を放った。
「そうだ。イアム・タラークは包丁で刺されて死んでいた。だが、それはあり得ない。回復魔法が自動で発動するのは、体の構造上必然だ。魔法が効かず、無視する攻撃ができるのは、魔王だけだ」
「だから、殺人鬼が魔王だって言ってるのか」
「ルミ。お前がモニちゃんのために何かしようとしているのはわかる。お前が動く時は決まってそうだからな。だからこそ、今回はパラス王国へ行け」
「でも」
「ルミは魔王に殺されるのがオチだ」
父さんは、きっぱりと断言した。




