30.殺人事件の続きは異世界で2
【魔歴593年07月02日12時00分】
「げ」
僕の横から、到底女子が発してはいけない響きが聞こえる。ルミは僕とは反対側を向いて固まっている。
「モニちゃん」
「げ」
今度は僕が声を漏らす番だった。ルミの奥にいる二人を見て、彼女の嫌気を刺す気持ちがよくわかる。
僕を呼んだのは、昨日以来の再会となる赤髪の少年、オル・スタウだった。彼は僕たちの方向にとことこと近づいてくる。そのキラキラとした瞳からは、僕たちに会えたという純粋な喜びを感じ取れた。
ルミはオルを見向きもせず、少年の奥にいる大人を見ていた。額からは汗が流れ、手の動きもいつもになく忙しない。今にもこの場から逃げ出しそうに、彼女は慌てる。
少年の背後に立つ男、ヘルト村一の魔法使い、警備隊隊長、そして、ルミとオルの父親。
ラス・スタウは僕たちを見つつ、苦々しげな溜息をついていた。
「昨日の今日で、異物探索とは…、元気すぎるのか、それとも単に馬鹿なのか」
「と、父さん」
「お前、ショックの余り事情聴取出来ないんじゃなかったのか。これでも、あの手この手の配慮をしていたのだが」
「こ、これは、その、えーと」
そういえば、昨夜の事件直後、現場の説明をラス隊長にしていたのは僕だった。精神的に参ってしまったらしいルミとオルの代わりに、僕が引き受けた。ラス隊長も娘達の心配をしていたのを覚えている。
オルの事は知らないが、ルミは事情聴取の直後僕がいた仮眠室に侵入していた。その後も明るく僕を慰めてくれたし、とても精神的に参った様子は無かった。
「情報はあって損はない。モニちゃん、こいつは預かるよ」
「ちょ、待って。モニも一緒に!」
「ルミ、異物探索については見なかったことにするって言ってるんだ。モニちゃんを巻き込むのは辞めなさい」
「は、はい」
ーーこ、怖い!
暴力女も、父親の前だと赤子のように扱われる。いや、実際にラス隊長の子供赤子だから仕方がないんだけど。
それにしても、僕たちの異物探索がラス隊長にもバレていたとは。ラ―シーを恫喝して手に入れた虚偽申請書がバレていたのか?どちらにせよ、僕たちの違法行為を見逃してくれるのは、助かるが。
ルミには犠牲になってもらおう。
「オル。モニちゃんを任せたぞ」
「うん」
ーーこいつも、随分とぴんぴんとしてるな
オルは最初に死体を見つけた第一発見者だ。死体に躓いて転んだわけだし、そのショックは計り知れない。にも関わらず、彼は僕を見て目を輝かせるばかりだった。
ラス隊長がルミを連れて姿を消す。転移魔法でも使ったのだろう。それなら、僕たちも自宅まで送ってくれても良かったのに
もしかして、オルが父親に頼んだのだろうか。僕と二人きりになるために。
彼は辺りに僕たち以外いないのを確認した後、そっと距離を詰めてくる。
「昨日は大変だったね。モニちゃんは、大丈夫だった?」
「大丈夫って、まあ、大丈夫じゃないけれど…。オルは?」
「俺は一晩寝たら元気だよ」
オルは唇を少し尖らせながら、胸を張る。
オルと二人きりになるのは随分と久しぶりだった。特段仲が悪いわけではない。僕たちは幼馴染だし、親友ルミの弟となると切っても切れない存在だ。幼少期は二人で遊んだこともあった。
三年前、僕が13歳でオルが10歳の時の話だ。ルミに呼び出されて夕方の大広場に足を運んだ時に、オルは一人で待っていた。そのまま、赤い花を手渡されてプロポーズをされたわけだが…。
勿論、断った。
モニ・アオストとして生きてはいるものの、佐藤ミノルと地続きの人格だ。身体が女性になったからといって、男を好きになるわけじゃない。未だに僕は女性に性的な魅力を感じる。
そういった理由を、オルに伝えるわけにもいかない。だから、『大人になったら考える』という最悪な言葉でオルを振ったのだ。
一つ誤算があったとしたら、オルの純粋さだ。この太陽のように明るい少年は、僕の振り文句を『大人になったら付き合ってもいいよ』とポジティブに解釈したのだ。それ以降、オルは犬のように僕によってくるし、より密接になろうとする。
だから、意図的に距離を取るようにしていた。二人きりで過ごす時間は避けていたし、会うとしてもルミを呼んでいた。
オルは、ルミの弟としか見れない。それだけの関係だったら、親友にもなれたはずなのに。
ーー気まずい
そんな雰囲気を感じているのも僕だけだろう。オル少年は僕の隣で楽しそうに鼻歌を歌っている。
まあ、僕みたいな美女が隣にいたら舞い上がる気持ちはわかる。可愛すぎるのも罪だ。
沈黙を楽しむオル少年と、我慢ならない僕。どうにか話題を探している時、僕のポケットにあるものを思い出した。
「そうだ、これ」
「あー!」
僕は黒い物体をくるくると取り出す。永遠の筆者、つまり唯の万年筆だ。
「聞いたよ。ルミに強請ってぼこぼこにされたんだって?」
「そうなんだよ!お姉ちゃん、本気で殴ってくるからびっくりしちゃった」
「まあ、万年筆はかっこいいからなぁ。僕も欲しい気持ちはわかるよ」
僕はうんうんと頷く。そうか、この路線だ。
少女の気持ちよりも少年の気持ちのほうが理解しやすい。何がかっこいいとか誰が好きとか、この年齢の男の子は、単純な考えが大半だ。
僕も13歳の時は…、七連続女性刺殺事件の翌年だから、そこまで阿保じゃなかったか。僕は例外とする。
「そうだよね!モニちゃんからお姉ちゃんにも言ってくれないかな。僕、本気でその万年筆が欲しいんだよ」
「そうねぇ」
ーーさっき渡した万年筆は、オルにあげてくれ。あたしの遺品として
魔獣の大群が来る直前にルミが言った言葉だ。彼女は、なんだかんだで弟のことが大好きだ。今の彼女ならば、万年筆くらい弟にあげそうだと思う。
「家着いたら、僕と一緒に話してみよっか」
「本当に!?ありがとう」
オルの純粋な喜びが心に染みる。彼の燃えるような赤い髪が快晴の空に映えている。
「本当に大切な万年筆だったんだよ」
「うんうん」
「だって、その万年筆、モニちゃんが高校の進学祝いで買ってくれたものと同じだよ」
僕は一瞬息を飲んだ。「そんなことあったっけ?」と言葉にする前に、私の脳は異常な反応を起こしていた。
何のことだ、と考えるうち、答えが見つかった。けれど、その答えが私をさらにパニックに陥れる。
「これで日記でも書けよ、って言ってたじゃん」
その言葉が耳に入ると、僕の心臓は一瞬止まった。そうだ、なんで今まで忘れていたんだろう。
この異物は、僕がマキにあげた万年筆だ。だから、すぐに何かわかったんだ。
直後、体に衝撃が走る。全身に力が入らず、膝を地面に付ける。
「もう、お兄ちゃんってば。忘れたの?」




