15.七連続女性刺殺事件1(2015)
【七連続女性刺殺事件報告書1】
報告書
事件名: 都内X駅付近における七連続女性刺殺事件
報告者: 警視庁 特別捜査本部
事件の概要:
【西暦2015年06月30日】
18:00:
都内X駅一番出口付近の大通りで被害者女性Aが包丁で刺される。、心臓に達する胸部の刺し傷により即死。通行人による通報により、警察官数名が集まるが、加害者は既に逃走。捜索が始まる。
18:15:
都内X駅付近の路地裏で胸部に赤い柄の包丁が刺さった被害者女性Bを通行人が発見。通報時、既に死亡。
死因は胸部の刺し傷。被害者女性Aの死亡現場との距離、殺害方法の一致などから同一犯と断定。
18:20:
二つの事件から、警視庁が特別捜査本部を設置。
18:30:
都内X駅付近の住宅街で新たな死体発見。被害者女性Cは包丁で刺され、胸部の刺し傷により即死と見られる。下校中の女子高生によって通報。
捜査本部は都内X駅を封鎖。警備網を広げるが、犯人は未だ見つからず。三件とも凶器は現場に残されていることから、犯人は包丁を多数所持しているとされる。
19:00:
住宅街の入り組んだ路地で、被害者女性Dの死体発見。近隣住民によって通報。
被害者女性Dの死亡推定時刻は、40分ほど前だった。
19:05:
都内X駅付近の裏路地で血を流しながら倒れている被害者女性Eを発見。住宅街の入り組んだ路地で、被害者女性Eの息子が発見、通報。
通報時、既に死亡。死因は、同じく赤い柄の包丁による刺殺。
***
【西暦2015年06月30日21:00】
母親が死んだ。
以上。
僕が語ることはもうない。
「…」
それだけで終われないのが人生だと、被害者女性Eの息子ーー佐藤ミノルは理解した。
ゲームオーバーというわけでも、電源が切られるわけでもない。
母親が死んだとしても、人生は回り続けるのだ、と。
だって、母親は他人なのだから。僕の人生が終わったわけじゃない。
それに、現実感がない。
12歳の今まで、母親と離れたことはない。旅行も常に一緒だったし、家に帰ったら必ずいた。
目の前の扉が開いて、いつものように笑顔で僕を迎えに来るのではないか、そう考える。母親は海外旅行に行っているから、しばらく帰ってこない、そういう設定じゃなかったかとさえ思う。
でも、母親は死んだ。これは事実だ。もう二度と、会えることはない。
地下の病院は、酷く静かで不気味だった。物音ひとつしないし、人影も誰もいない。夜勤に切り替えられたのか、働いている人たちの生気もない気がする。
地下に普通の病室はないというのも要因の一つだろう。機械がたくさん置いてある部屋や、防災センターなどがチラリと見えた。そう言った、患者が来ない部屋が、地下に集まっているのだろう。
僕もまた、患者の来ない部屋の前の椅子に座っていた。
正確には、患者だったものが集まる霊安室だが。
死体解剖やら何やら。警察官も大変である。
ーー解剖するまでもないだろ
だって、心臓のあたりに包丁が突き刺さっていたから。誰が見ても、死因は明らかだった。僕も母親を見つけた時に、すぐに死んでいると気がついた。
ーー…
全く泣けない。涙が一滴も出ない。
決して、母親と仲が悪かったわけじゃない。むしろ、仲はかなり良い方だった。中学一年になった今でも、一緒に買い物に行くくらいだ。
何なら、帰りの遅い母親を心配になって、外に探しに行くくらいだ。しっかりと、死体になっていたが。
大丈夫。まだ、僕は現実を理解していないだけ。
死体を見たショックで気を動転しているだけなんだ。だから、僕は泣けてないだけだ。心の無い人間なんかじゃ無い。
そう自分に言い聞かせることしか、今の僕にはできない。
「ミノル!!!!!」
「もう、病院で大声を出さないでよ」と、母親が居たら言っただろう。父親は息を切らしながら前に現れ、僕を強く抱きしめる。呼吸ができなくなるほどの抱擁は、父親らしく無い様子だった。
「お父さん」
「大丈夫か、何も怪我ないか、怖い思いしてないか」
「まあ、うん。大丈夫」
「そうか…」と染み染み言葉を漏らした後、再び抱擁の力を強める。普段だったら暑苦しいそれも、今では少しだけ心地よかった。
ゆっくりと手を離した父親は視線を霊安室の扉に移す。
職場の服装のまま、駆けつけてきたのだろう。髪は乱れ、呼吸も荒い。
ーー父親も、泣いてない
まあ、父親はドライな男だ。甘々な母親とは性格も真反対だし、二人は絶妙な関係だった。
その様子に少しホッとしてしまった。
だが、直後の父親の行動は僕の予想を超えていた。涙が流れているかどうかなどどうでも良いほどの動きを、彼はした。
霊安室の扉を勢いよく開き、中にずかずかと入っていく。病院中に響き渡るほどの大声で叫び回る。彼の奇行に中の職員は戸惑い、顔を見合わせる。僕も口をぽかんと開けながら、父親について行った。
部屋の奥には、何人もの警察官がこちらを見ていた。殺人事件ということもあって、たくさん人が集められていたのだろう。そのうち数人が、父親を部屋の外に出すべく取り押さえる。
しかし、父親は人々を投げ飛ばし、奥へ奥へと進んでいく。
「捜査本部の面子くらい覚えとけ!妻に会わせろ!」
公務執行妨害どころの騒ぎじゃない。傷害罪もついてしまうだろう。
父親の暴挙に唖然とした僕と、慌てる警察達。
部屋の奥から、更に一人警察官が現れる。かなり歳をとった、老兵のような面構えをした男だった。父親の奇行に眉を顰めながら、ゆっくりと歩く。彼が出てきただけで、部屋の雰囲気が変わった。父親も、その老警官を見据えて、立ち止まる。
「佐藤警部、ついさっき、君は捜査本部から降ろされた」
「はあ!?」
「しばらく休暇を取ってもらう。これ以上暴れるなら、同僚ではなく警察官として話すことになるが、どうする?」
佐藤警部ーーつまり僕の父親は、この事件の捜査本部の一員だった。通り魔を捕まえるために、都内を探し回っていた時に、妻の訃報が来たわけだ。
しかも、自分が追っていた事件の五人目の被害者として。
僕は父親がドライだとか、泣かないのかとか思っていたが、全て訂正させてもらおう。
彼は、怒り狂っていた。
事件を起こした殺人鬼に、それを未だ捕まえられていない警察に、なにより、自分自身に。
「俺が、捜査本部から?」
「そうだ。もう十分仕事はした。あとは我々に任せろ」
老警官は、父親の知り合いなのだろう。彼もまた、捜査本部の一員で事件を追っていた一人ということだ。
彼は、静かに言葉をかける。怒り狂った父親の熱を覚ますように、ゆっくりと。
「冷静じゃないお前がいても、邪魔なだけだ。息子を連れて、家で待て」
「ふざけんな!今も人が死んでるかも知らないんだぞ!!殺人鬼野郎を野放しにできるか!!」
「それは、捜査本部の仕事だ。信用しろよ。それに、まだ被害者の調べが…」
「被害者じゃない!俺の妻だ!!」
父親は警察ではあったが、同時に被害者遺族だ。亡くなった五番目の被害者『佐藤楓』の夫だ。
殺されたのは、僕たちの家族だ。
その言葉を叫んだ瞬間から、父親は震え出し膝をつく。燃えるような怒りに水をかけられ、気がついてしまったのかも知れない。
僕たちの母親は死んだ。その実感が湧いてきてしまった。
声にならない嗚咽を吐きながら、地面に顔を伏せる。思わず僕は駆け寄り、小さな父親の背中に抱きつく。
父親の泣いた姿など見たことがなかった。
僕もまた、母親が死んだという実感が湧いてきてしまった。




