146.続きの終わり1
【魔暦593年07月04日19時05分】
こうなることを予想していなかったわけではない。カウエシロイに会いに行くという口実を作り、スカーの正体を暴くという作戦の都合上、ラス隊長やロイを呼ぶわけにはいかなかった。
リエットやデルタがいる状況だと、僕という足手まといがいるルミだけでは、対抗できないかもしれない。かといって、スカーと二人きりになるのもリスクが高い。だから、この状況は僕にとっての最善であった。
最善ではあるが、最高ではない。予想だにしなかったことが、三つの誤算から引き起こされた。
一つ目の誤算は、スカーの行動の早さだった。対話に拘っていた彼が、すぐに手を出すわけがないと甘い考えを持っていた。しかし、僕たちとスカーは、すでに十分すぎるほど対話をしていた。語るまでもなく、行動を共にしていた。スカーの準備は既に完了していたことに、僕は気が付いていなかった。
二つ目の誤算は、赤い柄の包丁が異物であったこと。雪山山荘がこの世界に流れ着いたのと同じく、凶器となる赤い柄の包丁もまた殺人鬼の手に渡っていた。それはわかっていたはずなのに、僕は油断してしまった。
ルミさえいれば、どんな困難も潜り抜けられると、慢心していた。魔法が使えない僕だからこそ、空想科学を過信してしまっていた。
異物は、異人と同じ特性を持っている。地球産の魂に魔法が効かないのと同じく、異物に魔法は効かない。科学と魔法は混じらない。だから、ルミの体に刻まれた回復魔法は、包丁を排除することができない。
肉体に差し込まれたそれは、筋肉を崩壊させ、血液の流れを疎外する。心臓の肉を切り裂き、それが回復魔法で元の形に戻る物理的障害の役割を果たした。
つまり、肉体に差し込まれた赤い柄の包丁に対して、ルミは抵抗することができなかった。十六歳の少女の胸部に包丁が突き刺さったらどうなるか、いうまでもない。激しい流血ともに、致命傷を負った。
三つ目は嬉しい誤算だった。いや、全く嬉しくはないが。とりあえず、僕の誤算ではなかった。スカー・バレントの勘違い、と言った方が正確か。
彼は僕のことを入江マキだと勘違いしている。それは、語るまでもないだろう。
雪山山荘に兄を引き連れて、母親の死の理由を探し求めていた彼女と、この場にルミを連れて、ヘルト村連続殺人事件の犯人を突き止めようとする僕。加えて、僕が入江マキになろうとしていたという背景も重なり、疑う余地がなかった。
そして、それはルミ・スタウが佐藤ミノルだと勘違いしていたことでもある。僕らを見た時から、入江マキと佐藤ミノルが暴走ガールズとして暴れているようにしか見えていなかった。前世の記憶が、スカーに勘違いをもたらせた。
だから、スカーは順番を間違えた。
殺すとしたら、モニ・アオストからだった。包丁の投擲によって胸部を貫く、恐るべきコントロールは、最初にルミをとらえた。彼からしたら、入江マキを守る佐藤ミノルを先に殺すのは道理だ。だが、それは違う。
ーースカーの前に、オルを出さなくてよかった
最悪に備えて、オル・スタウを誰にも合わせていなかったことが功を奏した。彼が異人だと気が付いているのは、僕たちと、ラス隊長とロイくらいのものだ。
スカーは再び、包丁を投げる。二本目の赤い柄の包丁は、一寸の狂いなく僕の胸部に突き刺さろうとしていた。そして、肉体を突き破り、僕は死ぬだろう。
だが、そうはならなかった。その包丁は肉体に突き刺さり、辺りを赤色に染めはしたが、僕の赤じゃない。
白い笛を口に加え、胸部に赤い柄の包丁が突き刺さったままの赤髪の少女。地面に倒れこむ直前に足を前に出し踏みとどまり、上半身だけをずらして僕とスカーの間に入る。二本目の赤い柄の包丁は彼女の右目に突き刺さり、眼球を破裂させ脳細胞を破壊したのちに動きを止めた。
衝撃を殺すこともできず、僕の胸部に頭を打ち付ける。心臓と右目に包丁が刺さっているのにも関わらず、ルミは笑った。目線だけ上をみて、僕の無事を確認したのか、目を閉じる。
そう。ルミ・スタウに異物の包丁を刺したとしても、止めることはできない。彼女は少女であっても、弱くはない。その心は、既に魔法法則を超えていた。
直後、彼女の口元から笛の音が濃霧に鳴り響く。
そこで初めて、スカーの表情が崩れた。余裕のある笑みから、何かに気が付いたかのように一歩後ろに下がった。突如始まる、空間のゆがみ、風のざわめき、一面を照らすまばゆい光。
「く、リエット!!」
彼の声に合わせて、翠色の髪を持つ女性が空から降りてくる。その直後、光が収まる。
光の中から現れたのは、娘を抱きかかえるラス・スタウ。その後ろにロングソードを構える、ロイ・アオスト。
笛の音に合わせて起動する転移魔法が、ルミにかけられていた、なんてことはどうでもいい。瞬きの間に様々なことが場面転換が行われる。
「ラス!」
ロイの掛け声に合わせて、娘を抱きかかえたまま体をゆがませる。ラス隊長はそのまま虚空に消えていった。
残されたのは、大量の血痕と、アオスト親子。背中を向けるスカー・バレントと、その間に立つリエット・ジェラートだけだった。
この間、わずか十秒の出来事である。僕だけでなく、スカーも状況を理解するのに時間がかかっているようだった。目線を激しく動かし、後退りをする。その前に、リエットが立つ。
これは僕たち元日本人の理解の範疇を超えている。僕が生き残っているのが不思議なくらいだ。
何の状況説明を聞くことなく、ロイは前に出た。リエットもまた、スカーに何も聞くことなく、手に光を集める。
僕らは、全員が何も話さなかった。
ロイとリエットの戦闘を、僕は見ることはなかった。
殺人鬼、スカー・バレント。彼だけを、僕は見ていた。故に、彼が背中を向けて走りだしているのも、見逃すことはなかった。
殺人鬼は逃げる。
名探偵は追いかける。
そんな、普通の出来事が始まった。




