13.仮面の村4
【魔歴593年07月02日00時00分】
「会いたかったぜ、マキ」
僕は軽くステップを踏みながら後退し、椅子を手に取る。仮眠室に置かれている椅子は小さく、背もたれすらついていない。筋肉の少ない僕でも振り回せる。
ーー来いよ
僕が考えた対処法は単純だ。
椅子でぶん殴る。ロイの屈強な肉体ならば、死にはしないだろう。行動不能にさせ、凶器を取り上げる。話はそれからだ。
幸いここは警備隊ヘルト村支部。地下には牢獄があるだろう。マキとは檻越しで会話をすれば良い。
僕は一度殺されているし、マキの殺害方法は一番理解している。赤い柄の包丁で、胸部を一突き。不意の一撃でないと、決まらない殺害方法だ。
故に、間合いさえ取れれば怖くはない。扉を開けた瞬間に頭部に椅子を振り下ろし、狼狽えている時に後退する。ヒットアンドアウェイを繰り返せば、必ず倒せる。
「…」
不気味なほどの沈黙。物音ひとつすらしない。
僕の声を聞いて以降、扉の向こうにいるロイは急に一言も話さなくなった。まるで、部屋の中の様子を窺っているようだ。
息を潜め、全身に力を張り巡らせる。心臓の音はより強まり、脳内にこだまする。
そして…。
扉が、崩れた。
「なっ」
文字通り。ジェンガの真ん中のピースを抜き取ったかのように、粉々に崩れ落ちる。ゴロゴロという小さな四方系の塊になって地面に落ちたそれらに目線を奪われた僕は、慌てて顔をあげる。
ーーあ
死。
扉があった場所の先には、一筋の光。
ロイ・アオストは銀色のロングソードを構えて斬撃を飛ばしていた。風圧は僕の黒髪を靡かせる。そのまま、鋭い眼光を部屋に向け、地を蹴り一瞬で部屋の中に侵入する。
その瞬間、僕は彼に向けて椅子を振り下ろした。全身全霊のそれは、風切音を出す。
が、ロイの動きは目で追える速度ではなかった。一瞬にして目の前から彼は消えた。椅子は空を切り、地面に当たる。そのまま足が折れ、椅子はひしゃげて壊れた。折れた破片がくるくると宙を舞い、天井にぶつかって落ちた。
ーー嘘だろ!
早すぎる。人間のできる動きではない。
いや、それはそうだ。ここは異世界。魔法が支配する、常識の通じない世界。椅子で殴り付ける?そんな物理攻撃が通るわけないだろ。
赤い柄の包丁でしか殺してこない。その謎の信頼もあっさりと裏切られた。
思わず口を大きく開け、呆然とするも、直後に襲う軽い衝撃によって息を詰まらせる。
「ぐえっ」
瞬間移動ではない。横切っただけ。
扉を切り崩され、攻め入れられるまで3秒も経っていない。僕の胸元より少し前に銀色の輝きを放つロングソードが置かれている。背後には屈強な肉体が待ち構え、挟み込まれてしまった。
「何のつもりだ」
狼狽する僕とは対照的に、ロイの声は偉く真面目だった。普段のおちゃらけた父親からは想像できないほど冷たい。ロングソードは正面に向けられ、扉を粉々にした斬撃が今にも飛び出そうだった。首を切られるのか、そのまま胸部から一刀両断か。
彼は仮眠室の壁方向に向かって、ロングソードを突きつける。
どうやら、すぐに殺すつもりはないらしい。僕の体を片手で抑え、支えている。これで捕まえたつもりなのだろうか。
だが、それは甘い。
僕は足を後ろに蹴り上げる。つまり、後ろの父親の股下だ。僕は前世は男だった。だから、痛いほど痛みがわかる。わかっていながらも男の急所を下から突き上げた。
ロイは声にならない音を口から漏らし、思わずロングソードを手から離す。僕は咄嗟に前転して距離を取り、ロイの方を向き直す。
彼もまた、すぐに立ち直りこちらを見据える。流石、村一番の剣士と名高い村長だ。鍛えられた筋肉のおかげか、急所を蹴られたとしても、意思は揺らいでいないようだ。
「ぐっ、何のつもりだ、と聞いているんだ」
先ほどの質問を、ロイは繰り返した。
ーー舐めるなよ!
僕は前転をする際に掴んだロングソードを握りしめる。先程、ロイが落としたものだ。椅子と比べて酷く重く、持っているのが精一杯だったが、無いよりはマシだ。遠心力を使えば、扱えないこともない。
あの程度の攻撃では怯ませることはできるが、有効打にはならない。しかも、警戒されてからは難しいだろう。二度ではない。
それなら、正面からやってやろうじゃないか。このまま、無抵抗で殺されるのだけは御免だ。
そう覚悟を決めた僕に対し、彼の目線は様子がおかしかった。僕を見ているわけではなく、僕の後ろを見ていた。
ゾクリ。
背後の異変に本能的に気がついた。何もない、誰もいない空間だと信用していたこの部屋に、誰かがいた。
僕は慌てて、壁側を見る。部屋の入り口に背中を見せ、父親と壁両方が見える位置に着く。僕が離れた瞬間に、父親も両拳を握りしめ、ファイティングポーズを構える。
その行動に反応するように、壁側から女性の声が聞こえる。一人しかいないと思っていた仮眠室には、最初から人がいた。
「動くな」
声と共に、ゆらりと空間が歪む。ぐにゃっと水をかき混ぜるように埋めいた後、一人の女が現れる。僕と同じ白色のブラウスに紺色のスカート。燃えるように赤いショートヘア。彼女もまた、僕にとっては馴染み深い人だった。
僕の親友ルミ・スタウは、口元に異物の白笛を構えながら、僕たちを睨んでいた。彼女はイラつきを隠せない様子で、人差し指を突きだす。
ルミの人差し指は、光魔法を灯した時のように光り輝いていた。しかし、明るいというよりも、燃えているようだった。火炎魔法という奴なのだろうか。殺意の高い、その魔法は僕達に向けられていた。
なぜ、ルミがここに。というか、いつから、どうやって。
僕の脳内は疑問符で埋め尽くされ始める。父親がマキで、僕を殺すためにこの部屋に来た。だけど、最初からルミはこの部屋にいた。つまり、ルミは僕を殺すために部屋に忍び込んでいたのだということで。
ロイはそのルミを止めるために、僕の部屋に侵入した…、としたらロイはマキではない?
つまり、ルミがマキか?なんだ?この状況?
マキは誰だ?
「動かないのはルミちゃん、君の方だ。その魔法を消して、両手を挙げろ」
「村長、先にあなたの剣を下ろす方が先でしょう」
「いいや、先に魔法だ。君の正体はバレているんだ」
「正体がバレてるのは村長でしょ!扉も粉々に破壊したし!」
「部屋の中に透明化を使う怪しい奴がいたんでな。モニ、下がってろ」
「あたしだって、侵入者がいないか見張ってたんだ!モニ、あたしの後ろに隠れてろ!」
「「ああ?」」




