134.最後の異人4
【魔暦593年07月04日18時00分】
その男の特技は、隠密魔法だった。音なく魔法を使い、風景に溶け込む。周囲の人間の認知を歪め、自動的に補完してもらう。魔法使いに科学を当て嵌める時点でナンセンスかもしれないが、科学的にいうならば、盲点を与えるといったところか。
それほど彼の魔法は優れていた。といっても、魔法の繊細さや精度だけが褒められるべき点では無い。隠密魔法が最も効力を発揮するのは、その男の自己主張の無さに起因していた。
パラス王国郊外の村だというのに、ヘルト村には優秀な人材が多い。距離を自在に操る魔法学院の名門ラス・スタウは言うまでもないが、唯一無二のサイコメトリーの使い手、セリュナーの存在も大きい。
非公式だが、ルミ・スタウも天才魔法使いのカテゴリに含まれるだろう。見て盗む才能は、無免許だからこそ柔軟に扱えている。(唯一無二のサイコメトリーすら、ルミは模倣できている)
その天才魔法使い達の尾行すら、この男は可能としていた。ラス隊長の背後に張り付き、隊長室まで侵入したことだってある。
それなのに、誰もこの男に注目していない。もしその魔法の才能が公になっていたら、速攻で魔法学院にスカウトされていることだろう。
幼い頃、親友から魔法の使い道を学んでから、今まに至るまで、自分のために魔法を使ったことはない。
全ては、正義のためだった。
今日も今日とて、隠密魔法を使う。ここ一年間は同じターゲットの尾行を行っているが、尻尾を全く出さない。情報はある程度は手に入るが、肝心の内容は口にすらしない。
人気のない学校で、照明をつけることなく歩き続けるこの男の目的が見えない。たまに教室に入っては、『掃除が行き届いてますなぁ』とか『落書きがありますなぁ』とか、訳のわからないことを言っている。
自分の魔法がバレている、と言うことはない。相手は天才魔法使いでもなければ、ケイウィ・クルカのような勇者でもない。極めて普通の、少し頭が回るだけの教師だ。
ケイウィ・クルカの逮捕と言う衝撃的な結末を迎えた今だからこそ、気の緩みが生まれているはず。そう思っていたが…。やはり、油断ならない。
男は、ターゲットが教室の扉を開けたのを確認し、自身の体をスライドさせる。扉が閉まる前に、自分も中に入らなければ…。
「あの」
「うっぎゃあ!!」
自分が尾行されている可能性など一ミリも考えていなかったデルタ・サランは大きな声で尻餅をつく。ターゲットは不思議そうに後ろを振り向き、男の顔を見つめる。
「あ、あー!」
隠密魔法が解けた。一年間、一度たりともバレたことはなかったのに、とうとう顔が割れてしまった。ターゲットに言い訳の出来ないほどの醜態を晒した。その上、魔法の才能があることもバレた。
真っ先に男の脳内によぎったのは、親友のことだった。金髪の青年、スカー・バレントになんて言い訳をすれば良い。スカーは何でも許してくれるだろうが、それはそれで辛いのだ。
一呼吸おいて、後ろを振り向く。後から思うと、隠密魔法を貫通して声をかけてきた時点で、背後の人物には最初からデルタが見えていた訳だが、そんなことは思考の外に飛んでいた。今はただ、自身の積み立ててきたものをぶっ壊した犯人に文句を言ってやりたい。その一心だった。
罵声を浴びせようとしたデルタの口は、そのまま静止した。
「元気ですね。デルタ先輩」
黒と赤。
デルタの視界に映ったのは、その二色だった。二人の少女が、彼を上から見下ろす。思いがけないその存在に、戸惑いを隠せない。
何で、この二人がここに…?
その疑問を口にするよりも前に、今度は後ろから足音が聞こえる。ターゲットと、二人の少女に前後を挟まれたデルタは、頭が真っ白になっていた。
「おやぁ、デルタ・サラン君、ルミ・スタウ君。そして、名探偵モニ・アオストじゃないかぁ。こんなところで会うなんて奇遇だねぇ」
と、偶然なんてありえないシチュエーションで、ターゲットだった代弁教師アンダーソンは言った。
「中に入りなさい。話があるんだろう?」




