129.自問自答2
【魔暦593年07月04日--時--分】
オルに首を絞められて死ぬべきだった。
妹は、兄を失う恐怖に耐えきれなかった。どうせ殺人鬼に兄が再び殺されるならと、自分で殺そうとした。そして、兄は、妹を殺人鬼だと勘違いしていたことを悔いて、死を受け入れていた。
被害者と加害者の総意。だから、僕は死ぬはずだった。あの日、あの場所で。
かぐや姫に、入江マキになろうとしていた十六年間。結局、マキの気持ちなんて一ミリも理解できなかった。だけどまあ、他人のことを考えるにしては、随分と長い期間だったとは思う。
「その全てが、無駄だったのかな」
「ああ?」
僕は立ち上がり、佐藤ミノルの前に立つ。椅子の上に座っているとはいえ、僕の方が身長は高い。上から見下ろす形で、彼を見た。
「無駄だっただろうさ。現に、お前は全て失ったじゃないか。自己を形成する要素は何も残っていない。佐藤ミノルの死体で、モニ・アオストの亡霊だ」
「これで、成仏できる?」
「そうなるな。生き恥を晒してないで、さっさと死ね」
冷たく、突き放すように、そう言った。
全く、なんてひどい夢だ。悪夢中の悪夢だ。明晰夢っていうのは、目が覚めるまで自分の妄想通りに夢を支配できるんじゃなかったのかよ。
あらゆる僕の人生を否定し、無意味だと貶し、さっさと終わらせろという。恐ろしい自己否定だ。
いや、佐藤ミノルは過去で、僕は未来だ。彼にとっては、まだ起きていないこと。過去の自分を批判するならともかく、未来に対してなら、他人みたいなものだ。
夢、ねぇ。
僕は考える。名前のない誰かは、夢の中で頭を回す。
これは果たして本当に夢なのだろうか。魔法と言われた方が納得できる。インフルエンザにかかった時でさえ、ここまで気分の悪いことは起きなかった。
自己否定による精神攻撃…、なんていうのは都合のいい解釈だ。魔力無効特性がある僕にとって、無縁な話なはず。
魔法でないなら、異人の特性。
魔力無効特性、記憶保持特性、人格隠蔽特性…。
「何黙ってんだよ」
「だいたいさぁ」、と佐藤ミノルがうだうだと話を再開させる。どうせ僕自身の考えだから、聞かなくても潜在的に理解できる。なのに、正面からこうも言われると、なかなか傷つく。
佐藤ミノルはこんな嫌なやつだったっけ。自己批判というより、自己愛の塊のような僕の前世とは思えない。まるで、別人のようだった。
まあ、そういうことなのだろう。
この夢は、夢じゃない。
人格隠蔽特性と記憶保持特性が織りなす、僕の心の中の葛藤だ。
目の前にいるのは、佐藤ミノルの姿をした自己批判精神そのもの、と言ったところか。僕が名前のない誰かだというのならば、目の前のこの男も、佐藤ミノルではない誰かだ。僕の裏側でしかない。
独り言もいいところだ。僕なんて何も残っていない、空っぽだと思っていたけれど、こうして自分同士で話し合いができるくらいには中身があるじゃないか。
「ふふ」
なるほど、と僕は呟く。ベッドから降り立ち、未だ自己憎悪に走る目の前の青年を見下ろす。
「ありがとう」
「ああ?」
「君のお陰で、僕は思い出したよ」
思い出した。
佐藤ミノル時代の話ではなく、モニ・アオストとして生きてきた十六年を、だ。
確かに僕は、入江マキを模倣したかもしれない。なりきることで、彼女の気持ちを理解しようとした。それは確実に失敗に終わったけれど、だからって過程が無くなるわけじゃない。
殺人事件が起きた時もそうだ。家族を守るためだとか大層なことを述べていたが、そのために何をしていた。事件を解決するために、動き回っていた。
目的を違えど、過程は一貫していた。
「転生後、僕は全てにおいて、『呪いを解く』というためだけに生きてきていたんだ。未知の呪いを、知ることで解呪する。だから、目的が無くなっても関係ない。その行動自体が、僕の正体だった」
「そのエゴのせいで人が死んだとして、そんなことを言えるのか? 殺人鬼の正体を暴いていても、自分が納得するために遠回りした。そのせいで、ラーシーは死んだと言っても過言でもないんだぞ」
今度は、青年が立ち上がる。転生後の方が身長が高いので、下から見上げられるというものだった。憎悪の籠った瞳が、睨むように突き刺さる。
「そうだ。僕は自分の納得を優先して人を殺せるようなやつだ。平気で人を疑い、罠に嵌められる。嘘をつける。そういうやつだ」
「それは、ありえないだろう。少なくとも、佐藤ミノルは、そこまで悪人ではなかった」
「だから、僕は安心しているのよ。君という、自己批判精神がちゃんと機能していることに。こんな最低な僕のことを、ちゃんと自分は嫌いなんだって」
少なくとも、佐藤ミノル時代ならありえなかった。でも、僕はもう佐藤ミノルじゃない。
この人格で、自分のことが大好きだったら大変だ。歯止めが効かない。
そうじゃない。僕は僕のことが嫌いで、それで良い。
憎悪を向けられて、初めて自分がどういう人間か気が付けた。僕は何も残っていないんじゃなくて、中身が空であって欲しいという願望だった。
だって、そうだろう。
僕は、ケイウィ・クルカが死んだことに、心底喜んでいる。殺人事件が終わっていないことに、歓喜している。真犯人の存在を、解くべき呪いがあることに安堵している。
大丈夫、まだ、知らないことがたくさんある。
「こんな僕を、ちゃんと嫌いな人格でいてくれて、ありがとう」
僕は手を差し出す。自己嫌悪の象徴、僕の精神のストッパー。佐藤ミノルの形をした青年は、乱暴にその手を振り払う。
「悪魔だよ、お前は」
「悪魔? 違うでしょ。この世界風に言うならば…」
魔王。
魔王は、こうして生まれる。人格隠蔽特性によって、自己同士がぶつかり合い、最終的に一つが残る。突如として、一つの人格が溢れ出す。
『知らないことが呪いなら、知ろうとするのがいけないんだ。呪いなんて、無視して忘れちゃいなよ』
故人であるケイウィ・クルカの台詞だ。僕を最初から魔王と断定したあの幼女は、気がついていたのかもしれない。僕がどんな人間なのか。
だから、勇者担当として魔王を討伐しようとした。実際、僕は動揺しまくりだったし、危うく自分を見失いかけていた。
呪いを無視するなんて、自殺行為だった。
「後悔するぞ」
「その時は、頼んだよ。そういう人間らしい感情は君に任せた」
どろどろと、青年は溶けていく。身体中のあらゆる穴から血が溢れ出て、そのまま消えていく。それでも、最後まで僕の目を、恨むように見ていた。
そろそろお終いか。日が沈み、窓から月が見える。時間の流れが加速する。
僕は自室から外に出て、階段を降りる。二階から一階へ。洗面台の前に立つ。僕がどんな顔だったか、思い出したかった。
腰ほどまで伸びた長髪、吊り目の大きな瞳、小さな顔。
確かにこれは、入江マキだと勘違いされてもおかしくないな、と苦笑する。なんというか、雰囲気がそっくりだった。
鏡の向こうにいるモニ・アオストは、一人でに勝手に動いて喋る。
「それじゃあ、名前のない誰かさん。あなたは、これからどうやって生きるの?」
どうやって生きるかだって?
そんなこと、聞かなくたってわかるだろう。
「僕は、モニ・アオスト。呪いを解くものとして、全ての未知に向き合おう」
僕は鏡に拳を突きたて、粉々に割る。
「呪いは、全て僕が解く」




