125.名前のない誰か1
【魔暦593年07月04日16時30分】
僕を迎えにきてくれたのは、親友であるところのルミではなく、父親のロイでもない。常駐している警備隊員だった。
僕を助けてくれた皆を、事件終了後になっても甘えられると思うなんて、我ながら腹が立つ。
常駐の警備隊員は、廊下で座り込んでいる僕を見て怪訝な顔を浮かべたが、すぐに手を差し伸べた。行きであった時はグイグイくるデリカシーのないやつだと思っていたが。ラインは越さない、あまり深入りはしないタイプなようで、正直助かった。
今何か言われても、まともな答えを返せる自信がない。自分が誰だかわからないようなやつに、自分を信じる力がないのは当然だ。
地下一階へ繋がる階段へ出るなり、彼は立ち止まった。手には小さな黒い物体ーー鍵の効力を持つ魔道具をひらひらとゆらす。鍵を閉めるために僕の面会を待ってくれていたのか。
「ああ、これ気になりますか。一般的なご家庭に使われている魔道具とは異なりますものね」
「あー」
一般的なご家庭…、つまり普通の家には鍵がついているのか。そんな当たり前のことに、僕は首を傾げた。僕が知らないだけで、アオスト家にもついているのだろうか。
「地下二階の牢獄は、魔法による侵入ができないようになっているんですよ。そう言う魔法でね。物理的な入り口を一つにすることで、より強固にしたんです。だからここにも強力な魔道具が使われているんです」
「へえ」
「ラス隊長でも入れないんですよ。転移魔法すら転移できない、すっごい魔法なんです。でも…、」
彼は声を顰めて続ける。
「この鍵、二つしかないんですけど、一つ盗まれちゃって。今大変なんですよ」
それは、あなたの上司の娘、ルミ・スタウの仕業です…、とまでは言わなかった。
昨日、僕らが地下に向かう際に利用したが、帰り道はスカーが鍵を持っていたので、返すタイミングを失っていた。
僕は無言のまま、階段を登る。警備隊員に軽いお別れを告げ、ぼうとした足取りで自宅へと向かった。
***
結局、家に帰る気にもならず、僕はアオスト家とスタウ家の間をつなぐ森林の陰に座り込んでいた。幸い、魔道具のローブは汚れることのない特性を持っているようで、土の上でも気にすることなく腰を掛けることができた。
ぽつぽつと、静かな雨が降り始める。僕を守るように木々が傘をさしてくれたので、濡れることはなかった。 意味もなく雨粒が地面に当たる瞬間を眺める。
佐藤ミノル、君は誰なんだ。
その言葉が、耳にこびりついている。隣にケイウィがいるかのように、声が耳に響く。
「僕は、誰かって」
少なくとも、佐藤ミノルではないことだけは確かだった。もし、僕が情報学部の大学生だったとしたら。例え、誰に何を言われようと、こうして動けなくなることはなかった。むしろ半分怒りながら、討論を開始しただろう。僕が暴力女になるに至るルーツは、間違いなく佐藤ミノルだ。
佐藤ミノルは悪人だった。いつだって、自分のために動く自己中心性を心に秘めていた。それを外に出さないように、俯瞰して上から自分を制御していた。
罪人にはならない。人から嫌われることも人並みだ。他人から見たら、僕はいい奴だったろう。
そういう、アイデンティティが自分にはあった。
僕は誰か。
「そんなの、僕が知りてーよ」
僕が、モニ・アオストではないこともまた、確かだった。殺人鬼を捕縛し、村人の危機を助けたというのに、一ミリも嬉しくない。納得していない。「こんな呆気ないものが、結末だと信じたくない」なんて考えは、読者側の目線だ。
モニ・アオスト役のキャラクターを演じている、誰かだ。言うなれば、操作しているプレイヤーでしかない。
登場人物の、一人ですらない。
モニ・アオストとしての役割すら果たさない。饒舌に話すケイウィから、事件についての情報は何も引き出せなかった。探偵として仕事を任されていたというのに、何もできなかった。
ああ、そういうことか。ケイウィ・クルカに唯ならぬ気持ち悪さ、不気味さを感じていた理由がわかった。
彼女は、青木ユイであった過去を完全に抹消している。その時の感覚も、感情も、情景も。七連続女性刺殺事件のことを情報として持っていても、それは読者としての話だ。
彼女は転生してから、零から人格を形成した。青木ユイの要素を一切含まない、ケイウィ・クルカという気楽で強い、普通じゃない人間になった。
不気味の谷だ。人間として完璧な人造人格は、嫌悪感を感じざる終えない。そんなことができるとは思えないが、事実ケイウィ・クルカはそうある。
彼女は、間違いなくケイウィ・クルカだった。
じゃあ、僕は。
僕は、誰なんだろう。
そもそも、僕は何のために殺人事件と向き合っていたんだっけ。最初は間違いなく、入江マキに真意を問いただすことが目的だった。なぜ、僕を殺したのか、それをマキの口からきかないと気が済まなかった。つまり、自分のためである。
マキが殺人鬼ではないとわかった後も、僕は事件に関わり続けた。そこから先は、雪山山荘密室殺人の転生者、つまり異人が殺人鬼に狙われていると考えた。僕とオルもまた、その対象者だったため、自分たちを守るために殺人鬼を追っていた。…、いや、これは違う。全然違う。
オルを守るという気持ちはもちろんあったが、そんな綺麗な動機で動いたわけがない。それならば、家にオルと引きこもっていればいいのだ。少なくとも、殺人鬼が魔法を使えないと知った瞬間に、物理的に遮断すればよかった。あとは、ほとんど不死身のようなルミや、転移し放題のラス隊長に任せておけば、事件解決は時間の問題だった。
僕が前線に立てば、兄を二度と失いたくないと考えるオルが出てこないわけがない。僕は自分の目的のために、元妹が危険に晒されてもいいと思ったんだ。
間違いなく、佐藤ミノルではありえない考えだ。絶対に、こんなことはしない。彼は、鬼塚ゴウの手紙が送られてきたとき、一瞬で破り捨てた。雪山山荘に行ったのも、妹を守るためだ。
やっていることが真逆だ。妹を危険に晒してまで、僕は何がしたいんだ。
「本当に、誰なんだよ」
ここにいるのは、誰だ。
僕は誰だ。
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