104.呪異物2
【魔暦593年07月03日20時41分】
僕が死体の専門家を自称できる理由は二つある。
雪山山荘密室殺人において、生み出された死体を運ぶ仕事を行っていたからだ。立花ナオキは下半身を担当し、佐藤ミノルは上半身を持った。
死体の表情を、誰よりも長く、誰よりも多く見た。
それだけ、と思うかもしれない。これだけでは、僕が専門家を名乗るには経験が少ないかもしれない。少なくとも、前世の父親である佐藤警部のような、本職の方が死体と関わりがあるだろう。
そこで、理由の二つ目だ。
異人の能力の一つ、前世の記憶保持特性。
死ぬ瞬間までに記憶していたものは、未だに鮮明に所有している。
これは完全記憶保持者とは訳が違う。佐藤ミノルの三歳児の記憶など微塵もない。佐藤ミノルが二十歳の、最後の瞬間に所持していた記憶が、そのまま保管されているということだ。
雪山山荘密室殺人の出来事など、忘れようがない。文字通り、昨日のように思い出せる。何なら、二時間前程の記憶で所持している。
この二つが合わさることで、僕は死体の専門家なり得たという訳だ。いつ、いかなる時も二時間前の記憶に死体が残っている。死者から表情を読み取り、過去を推測できる。
そんな専門家の僕でも、専門外の死体があった。
白骨死体。
読み取る瞳も、口も、頬も、筋肉も。それには何もない。唯、死んでいるという事実と、生きていたという過去のみが残されていた。
僕は止まっていた歩みを進める。スカー・バレントの死体でないことに安心しつつ、好奇心が増大していく。
前述した通り、この世界には死という概念が希薄だ。死因の第一位は寿命だし、計画的に生前から葬式が行われる。
白骨死体など生まれようがない。まして、ここは立ち入り禁止区域のロスト山、その山頂だ。ここに辿り着ける人間も限られている。それこそ、魔法学院副院長のような権力者か、僕たちのような不法侵入者ぐらいなものだ。
「やめとけ」
と、いつのまにか隣に立っていたルミに手を引かれる。暖かく、柔らかいその手は、僕を強く握っていた。
「何でよ」
「オルはそれを見た瞬間気絶した。死体だか、何だか言っていたな。その白い木見たいのが人だとは思えないが…」
ーー白い木って
ーーいや、そうか
回復魔法が魂に刻まれているこの世界の住人は、医学の進歩が著しく停滞している。人の死体をみることはさておき、それが放置された先の姿など見る機会はない。
以前、貧血を心配した僕に対して、ルミは首を傾げていた。血や骨という知識が、知れ渡っていない。なぜなら、怪我や病気を負うことはないから。
「んー、そうでもないわよ。パラス王国の外に出たら、白骨やら溺死やら色々な死体が全然あるもの」
「もしかして、回復魔法が魂に刻まれているのって…」
「そ。パラスだけよ。とはいえ、ヘルト村は歴としたパラス国内の村だね。だから、こんな場所に白骨死体があるわけがないのだけれど」
「少なくとも、私が最後に山頂に登ったときには、こんなものなかったにゃ」と、ケイウィは言った。ええと、最後に来た時といえば、僕が三歳の誕生日までなので、十三年前くらいか。
死体が白骨化するのは、数ヶ月から数十年。環境に依存するから推定はできないが、十三年ならば充分な期間だろう。
「ふむ」
僕の手首を握るルミを握り返す。恋人繋ぎのように、あえて指を絡めて。暖かい体温が指の隙間から感じられる。
彼女が口を開けて驚いている間に、僕は前に進んだ。ルミの手を引くように、エスコートするかのように、死体に近づく。
二つの白骨死体。
一つは空を見るように地に横たわり、二つ目は覆い被さるように一つの上に倒れている。特筆すべきは、上にある白骨自体には頭部がない、ということだ。
「首を切られた、とか」
真っ先に思いついたのは、ギロチンだ。フランス革命で使われた断頭台は、首を切断する処刑方法。
「ねぇ、モーちゃん」
彼女は一歩も動かず、先程の位置から指を刺す。
「なんか、あっちに建物があるぜ。山のてっぺんだね。これもまた、十三年前に山頂に来たときにはなかったにゃん」
「行ってきていいですよ」
「やったー」
彼女は猫撫で声で、犬のように鼻息を荒くしながら走り出した。幼女の姿は一瞬で消え、月明かりだけが残る。やはり、僕を抱えて走っていた時は、加減をしていたようだった。
隣のルミは苦々しい表情で「建物なんてもんじゃない」と言った。
「もともと、副院長の依頼でここに来たんだよ。山頂にある建物を探索して欲しいとか何とか」
「じゃあ、ルミ達は既に探索済みってことね」
「まあ、あたしは何もしてないが…。山頂にあったのは、ボロボロの何かの残骸だった。山荘って事前知識がなければ、スルーしていたくらいだ」
僕の手を引きながら、白骨死体から距離を取る。足取りは、ケイウィと同じ方向に向いていた。白骨死体よりは、建物だった残骸の方がまし、というようだった。
彼女は背中の弟をチラ見しながら、話を続けた。
「その辺りから、オルの様子がおかしかったんだよ。何言っても、心ここに在らず、というか。ぶん殴ってみたが、あたしを見向きもしなかった」
「それは、不可解ね」
「副院長からは、『俺が知っている異人を一人教えてやるよ』なんて報酬を提示されていたけれど、それどころじゃなかったんだ。早々に脱出しようと思った」
そして、下山を試みようとした時、視界に白骨死体が映り込んだ、ということらしい。
白骨死体に興味津々な僕を引っ張るように、ケイウィの元に向かうルミだったが、気がつけば僕が彼女を引っ張っていた。僕が、賛同して建物の残骸へと向かっていた。
ーーこんなことが、あるのか?
既視感。奇妙なデジャブを感じた僕は、全身に鳥肌が立っていた。無意識に、ルミの手を強く握りしめていたらしい。彼女に指摘されるまで、僕は気が付かなかった。
「モーちゃん、こりゃすげーよ!!」
ケイウィの声が近くから聞こえる。木々の隙間を縫うように、その建物の残骸が見える。もう少しで、彼女に追いつきそうだった。
だけれど、その道は永遠に感じた。いつまでも続く、道に見えた。
ケイウィは僕らに向かって手を振る。その右手には、銀色に光る棒が握られていた。あれは、フォークか?
「んー、異物の宝庫だ」
木々を抜け、月明かりの真下にたどり着く。紛れもなく、ここが山頂である。
頂きには、山荘があった。
山荘。
雪山山荘の、残骸が。




