101.山並みは燃えて3
【魔暦593年07月03日20時15分】
「くっくっくっ。これは面白いことになったわね」
と、ケイウィは和やかに笑った。その笑顔は周囲の炎によって影を帯び、不気味極まりなかった。そのシーンだけを切り取ってみれば、彼女こそが放火魔であると、誰もが思うだろう。
だが、そんな彼女の脇の下にすっぽりとおさまっている僕からしたら、頼もしい発言でしかなかった。
百三十センチほどの幼女に抱えられた、百六十五センチほどの美少女。何かの風刺絵かと思うその光景を、指摘する気力もない。
随分と煙を吸い込んでしまったようだ。
僕は意識が朦朧としているが、彼女は何かしらの対策をしているのだろう。流石、異物協会『勇者』担当なだけある。生存力と落ち着きは、随一だ。
しかし、今回はそんな彼女の力が発揮される機会はなさそうだった。何せ、相手は『人類を脅かす脅威』という点では同じだが、魔王のような物理的な相手ではない。
山火事。
ラーシー宅から慌てて外に出た僕達だったが(僕は抱きかかえられていただけだけど)、外の景色は圧巻だった。どうやら、ラーシー宅が燃え始めたわけではなく、周りの木々が燃えていたのだ。
それも、ロスト山に差し掛かるほど。全方位炎に包まれ、唖然とすることしかできない。
幸い、ラーシー宅の前方には火炎の影響は及んでいなかった。住居自体は燃えているのに、家の前は涼しげだ。
なぜかというと、住居の前は氷漬けになっていたからだ。地面に氷が敷き詰められ、まるでスケートリンクのようだ。
ーー全くもって、僕ってやつは…
ーールミに助けられてばっかりだ
僕は今どこにいるかわからない親友に感謝する。今朝、このラーシー宅を訪れた時に、彼女が地面を凍らせる魔法を使ったのだ。
埋め込まれた地雷から、僕を助けるために。その魔法は木々の影に隠れていたため、この時間になっても溶けることはなかったようだ。
山火事の熱に反応するように、魔法は解かれていく。僕を心配するルミの力が及んでいるのか、ゆっくりと、時間をかけて水になっていく。これなら、数分は持つだろう。
けれど、何事も全てうまくいくわけではない。ラーシー宅へ続く一本道の先まで凍っているから、走って抜けられるという僕の甘い考えは、すぐに霧散した。
炭になって重心の崩れた木々が倒れるのと同時に、大きな爆発音と火柱が上がる。地雷が起動した。僕らの帰り道は大きな窪みに変わり、炎の壁が生まれる。
「あの地雷による火柱は、魔法による炎なので僕には効かないです。だから、心配しなくても大丈夫です。突っ切りませんか」
「んー、魔王の魔力無効特性ね。でも、それはあまりおすすめしないかな。お姉さんの経験上、あの炎は魔王に効く」
ーーおい
異人ではなく、僕を魔王と断言していることにも言いたいことはある。もしかして、僕を勇者として討伐しようとしている?
脇に抱えているのも、保護ではなく確保?確かに、彼女の細い腕からは考えられないほど、がっちりと固定されている。朦朧とする意識と相まって逃げ出せそうにない。
僕は疑問を押し殺す。彼女の真意を問いただす権利は僕にはない。
僕の命はケイウィにかかっているので、煽てることしかできない。勇者がそう言うならそうなのだろう。
「お詳しいですね。もしかして、魔王討伐戦線とも関係あったりするんですか」
「あんな獣の集団と一緒にしないで!」
幼女は初めて笑みを崩す。そのまま火の中に放り投げられるかと思った。なるほど、魔王討伐戦線が地雷か。もしかしたら、魔法学院そのものが嫌いなのかもしれない。
ただ、彼女はルミとは違って大人なので、そのような蛮行はしないようである。
「魔法を肯定するために魔王を排除するのが、魔王討伐戦線。異物を保護するために魔王を討伐するのが、私のような勇者。手段は同じでも目的が違うのよ」
「はぁ」
どちらも、人助けなんて念頭にないようだった。
「それに、こういう物理的な災害は魔道具程度ではどうしようもならない。魔法学院の出番はないわね」
世界を放浪してきた、という旨の話をケイウィは話し始めた。ヘルト村は平和だからわからないかもしれないけど、パラス王国でも危険地帯はある。日本と違って地震は少ないけれど、飢饉や嵐などの自然災害は多い。
そういう時に、魔法は役に立たない。自然災害に立ち向かえるのは、魔法学院でも一握りの天才達だけだ。だから、異物協会は知恵と異物を使って対策、支援を行っているそうだ。そこに才能はない。
正直、僕は話をほとんど聞いていなかった。『時間がない』と、死体漁りをしている僕を引き止めた人物と同じとは思えない。
ーー状況がわかっているのか、こいつ
ーーもしかして、阿保なのか?
ーーそれとも、わざとか?
朦朧とする意識中、僕は吐息を漏らす。その様子を見て、ケイウィは怒ることもなく、目をぱちぱちとさせた。どうやら、ようやく僕が死にかけていることに気がついたらしい。
「貧弱だねぇ。もし良かったら、私が鍛えてあげようか?これでも、ロイを一方的にぼこぼこにできるくらいには強いけれど」
それは頼もしい。ヘルト村最強の剣士と名高い僕の父親は、幼馴染には勝てないようだ。そのくらいの強さじゃないと、『勇者』担当にはならないか。
「ま、この地獄から生きて帰れたら、だけど」
という不吉な言葉を告げ、ケイウィは走り出した。
ほとんど燃え尽きたラーシー宅の裏口はと周り、ヘルト村とは反対側に。どんどんと、恐るべき速さで走る。
「ちょ、逆ですよ!」
「あの炎の中突っ切るのは無理よ。普通に死ぬ」
「だからって、こっちは…」
ヘルト村最北部にある、ラーシー宅からさらに北上する。それは、ヘルト村から脱出することを意味していた。
と言っても、パラス王国の都心部に向かっているわけではない。ハルト村はパラス郊外にあり、決して近場ではない。転移所を利用しないと到達できないほどの障害物がある。
障害物。自然の隆起。異世界から漂流物が流れてくる、異質の山。
ケイウィは、ロスト山に向かっていた。火を掻き分け、煙を潜り抜けて。
「山火事で登山って、その方が死ぬでしょう!煙は上に登るんですよ!」
と、僕は情けなく叫んだ。ケイウィに体を抱えられている状態で、僕が文句を言っても仕方がないのに。
それでも、常識的に考えておかしいだろう。せめて、森の中から迂回して、ヘルト村西部に向かった方が…。
だけれど、ケイウィは進路を変えるつもりはないようだった。「ヘルト村に向かったら、放火魔と出会っちゃうでしょ」とだけ言って、さらに速度を上げる。
ーー放火魔?
ーーこの山火事は、人為的なものとでもいうのか?
僕の疑念を振り払うように、ケイウィは僕の頭を撫でた。走りながらだったので、随分と乱暴なものだったが。
「火より、煙より早く走るから安心して!」




