⑤最後の手紙。
表や中庭は賑わっているものの、裏庭は相変わらず閑散としていた。
たまに人が数組通るが、学園生活を懐かしんで全体を回っているとかそういう感じなのだろう。皆一様に、少しいてもすぐ立ち去ってしまうか通り過ぎる程度だ。
裏庭には何もない。校舎で影になっているので陽当たりも良くない上、逢い引きを行うにはひらけ過ぎているが運動するにはちょっと狭い、という微妙な大きさ。中庭と違い、季節の花々を育てている訳でもない。
ここに学園生活の思い出を寄せるのは、きっと私だけ。
それとも、影勝もそんな風に思ってくれているだろうか。
最後の手紙は自ら手渡しすることに決めていた。影勝が来てくれるのを信じて。
手紙は二通だが、お供え物は別。
最初の私からのプレゼントと同じクッキーを作り、手紙ではなくメモ書きをそれにくっつけた。
『卒業おめでとう。この後ここで待ってて。』
柏手を打って、『今日こそ会えますように』とお祈りして立ち去った。『いずれ』は今日で終わりだ。今日会えなければ一通の手紙を置いて帰ろう。
置いていくのは『さよなら』と書いた方の手紙。
それで影勝の事は忘れると決めている。
きっと忘れられないけど、終わりにはしようと思う。
裏庭から離れた私は、校舎沿いを一周して戻ることにした。表側に出ると、まだそれなりに沢山の学生達がいた。中には黒髪の眼鏡の男の子も勿論いる。
いつの間にか身に付いてしまった、群衆の中に黒髪の眼鏡の男性を数える変な癖。
(暫くの間はきっと抜けないんだろうな)
そんなことを考えて、自分の乙女っプリにふ、と笑ってしまう。
私の頭は影勝を好きだと自覚してからずっと、虫が沸きっぱなしだ。
馬鹿みたいに虫が沸きっぱなしだ。
『間違ってます』というメモは加工してしおりにした。
貰った下痢止めは大切に保管している。
学生ボタンは紐をつけて、今も首から下げている。
(……本当に馬鹿みたいだなぁ)
あまりのアホさ加減に自分でも呆れた。
附随しているのは碌でもない思い出なのに、無駄にキラキラしている。だが『解せぬ』とは言わない。それが何故だか私にはもう解っているから。
裏庭が近付くと不安で足取りが重くなる。確認したくない。本当は終わらせたくない。
入学当初は学園生活なんて嫌でしかなかったのに。
裏庭のベンチがまだ木の影で見えない位置で足を止める。
手紙を初めて置いた時の様に、視線を逸らして先に進もうかとも考えたが、座面に置くだけの手紙と人間とでは大きさがまるで違う。
仮に影勝がベンチに寝そべってくれていたとしても、黙視出来てしまうだろう。そもそも寝そべっている意味がわからないが。
せめて最後まで希望を持ったままにしたい私は、後ろ向きでベンチまで進むことに決めた。
馬鹿みたいではなく完全に馬鹿だとは思うが、至って真面目である。
通常進むべきとは逆方向を見ながら足を後ろに進める行為。なかなか難しいが、その景色から後ろのベンチの位置を想像するのは存外に良かった。影勝はいないかも……という不安はあれど、その想像を具体的に行う余裕がない。
しかし、そのせいで私は後ろに転びそうになった。
後ろから支える誰か。その感触。
「──影勝! 来てくれたの?!」
だが振り返ると影勝はいない。
いつかの様に、私の声に飛び去る鳥の羽音、木々のさざめき、遠くに聞こえる人の声。
私は悩んだ。考えられるのは二択。
①元々来る気が無かったのだが、咄嗟に助けてしまった。
②来ていたのだが、いつもと同じ様に助けたことで咄嗟に隠れてしまった。
(②ならばいずれ、出てくる筈……ベンチに座って待つことにしよう)
そう思ってベンチの方に目をやると、手紙と小さな箱が置いてあった。
★☆★☆★
ヴァレリー・ハドルストン様
今までありがとうございました。
神など信じない私ですが、貴女様がこれからも心穏やかにいられるようお祈りしております。
これまでのお返しと、卒業の記念に。
影勝
★☆★☆★
中には金細工の星モチーフのペンダント。
値段で気持ちが量れる訳ではないが、高価そうだ。
おそらくだが、彼はお金持ちでも高位貴族でもないと思う。どんな想いでこれを私にくれたと言うのか。
「…………」
私はその手紙とペンダントを大切に懐にしまうと、代わりに置く筈だった方ではない手紙を置いてその場を後にする。
多分、影勝は来ない──だが、諦めるのも馬鹿馬鹿しくなったのだ。
置いたのは、手渡す筈だった二枚目の手紙。
私はもう少しだけこの恋を続ける事にして、ソフィアの元へと走る。
彼女なら影勝の正体を知っている。
乙女な私に揺さぶられ過ぎてすっかり鳴りを潜めていたが、本来は行く先に障害があっても行くと決めたら、後先考えず突っ込むタイプだ。
影勝の都合など最早知ったことではない。
ペンダントなんて寄越すから悪いのだ。
(……そうだ!)
私は一旦止まると、首に下げてたボタンを放り投げてペンダントをつける。
思い出の品になる筈だったボタンが宙を舞いどこかで小さく転がる音がするが、私はそちらの方向に目をやることなく再び走り出した。