私のミスだけやたら異常に叱られる件
や、やってしまった……
今の会社に派遣OLとして勤めて3年。同期や先輩が毎日のように次々とミスをする中、一度もミスせずやってきたはずが、今日ついにやってしまったのだ。
私の仕事は、大量にある書類のデータをとにかく正確に入力するというもの。
一見単純な作業だけど、長時間に及ぶと誰しも必ずミスはする。特に残業時なんかは。
同期入社の子たちは勿論、先輩たちだってちょくちょくミスをしては、上司に呼び出されてそれとなく注意を受けていた。そのたびにロッカールームでみんな、会社の環境の悪さや上司の性格の悪さを愚痴って終わり。
みんないつも言っている。「私たち悪くない、環境と上司が悪い」と。
ぺろっと舌を出して「この前ミスって注意されちゃった♪」と苦笑する先輩を見るたび、私は腹の底で笑っていた。私は3年間、一度もミスってないけどね……と。
しかし、今日、やってしまったのだ。
ほんのちょっと、入れるべき行を間違えただけのミス。だが――
私はたちどころに上司に呼び出された。
会ったこともなければ名前も知らないお偉いさんたちの前に立たされ、ミスの状況をこと細かに説明させられた。
た、ただのうっかりだったのに。2行目に入れるべき数字を3行目に入れちゃっただけなのに!
だいたい、10行以上も行数があってただでさえごっちゃになりやすい上、同じようなデータが平気で100件200件あるのに。しかも残業続きで滅茶苦茶疲れてたし眠かった。
それをちょっと1行間違っただけでコレ?! 理不尽!!
……と思いながらも、ミスはミス。反論は出来ない。
机をバンバン叩かれながら『社全体の信用問題だ!』などと怒鳴られ。
こってり絞られて1時間後、早速みんなに愚痴ってやろうと思ってロッカールームへ行くと。
みんなの態度が、どことなくよそよそしい。
誰も積極的に私と話をしてくれないばかりか、私がお喋りしようと寄っていくとみんな、そそくさと避けていってしまう。
仲のいい同僚を何とかつかまえ、
「ミスって注意されちゃった。私3年やってて初めてなのに、あんなに怒られるなんてチョー理不尽だよね!」
と愚痴ってみても
「あぁ、うん……
多分、運が悪かったね……」
という、しどろもどろな返事。
さらにはその日のうちに、派遣元の担当者からメールが来た。
要約すると
『今度ミスをしたら、次の契約更新はいたしません』
つまり、次ミスったらクビってことだ。
な、何でよ。どうしてここまで言われなきゃいけないの!?
みんな何度も同じようなミスしても、全然クビになんかなってないのに。
さらには派遣仲間全員宛てに、担当者から
『このようなミスは 絶対に 二度と やらないでください』
という主旨の警告メールが来てしまった。しかも念を押すように2、3度重ねて。
こんなこと、今まで滅多になかったのに。
どうしてよ……私、3年目で初めてだよ? ミスしたの。
みんな、しょっちゅうミスしてもせいぜい注意一言ぐらいで済んでいたのに、どうして?
その日以降、先輩や同期たちは私にろくに話しかけてくれなくなった。
自分がやらかした罪悪感から、周りの言動や対応が気になってそう感じるだけだろう。
と、最初は思っていたけど……
それまで他の同僚が犯したミスとは、明らかに違う。周囲の反応が。
社内イントラでも散々私のミスが取り上げられ、再発防止の為の会議も何度となく開かれ。
業務中でも、私のすぐ後ろで上司たちが何度となく、私のミスのことを大声で喋りまくっている。上司が電話口で何度も謝ってると思ったら、決まって私のミスの件。
食堂でも廊下でも、社員とすれ違うとコソコソ話をしているのが聞こえた。全然違う部署のはずなのに、知らない社員のはずなのに、何故か私のミスの件を。
さらには再発防止策として二重三重のチェックが必須となり、全員の仕事がそれだけ増えてしまった。
こんな一大事になるなんて、今までありえなかった。
勿論、ミスをしたのは申し訳なかったとは思うけど……
何で、どうして、私の時だけ?
ミスの内容をどれほど思い返してみても、ただのうっかりでしかないのに。
散々わめきたてられた結果、私はいつしかものすごく神経質になってしまった。
二度とこんなミスはしない。そう肩をこわばらせて会社へ向かい、誰にも愚痴を言えず、常に神経をとがらせて仕事をするようになった。
それなのに――
それまでより一層注意して、ミスしないように気を張りつめ、分からないところがあったら積極的に周りに聞くようにしていたのに。
「最近、ペースが異常に落ちてますね」
「貴方だけ、他の人たちより数段仕事が遅いです。分かってます?」
「同じことを何度も聞かないでください」
「同じことを何度も言わせないでください」
「その質問、前も答えましたよね」
「3年も勤めているのに、今更それ聞くんですか?」
上司や先輩から言われるのは、こんな冷たい文句ばかり。
この前までロッカールームで愚痴を言い合っていた同僚たちとも、すっかり疎遠になってしまった。
なんで。どうして、私だけ――?
そうこうしているうちに。
なんと私は、1カ月もしないうちに2回目のミスを発生させてしまった。
しかも、ほぼ同じような、行を間違えるというミスを。
「2回目ですよ!
同じミスを、こんな短期間に!! 一体何やってるんです!?」
盛大に怒鳴りつけられる私。
1回目の時は上司も多少は遠慮していたはずが、今や凄まじい怒鳴り声だ。オフィス内の全員が振り向くレベルに。
同僚たちの視線も、1回目の時はかなり同情もあったような気がしたのに、今は完全に虫を見るような目に変わっている。
恐ろしさのあまり、私は思わず呟いてしまった。
「な、何でですか? 何で私ばっかり??
私はこの前ミスるまで3年間、一度もミスっていなかったんですよ?」
「それまでどうしていようとも、重大なミスを犯したのは事実でしょう。
しかも1か月もしないうちに、二度も!!」
「でも」
そこで思わず私は絶叫してしまった。最大の禁句を。
「みんな同じようなミスしょっちゅうやってるのに、何で私だけなんですか?
私の時だけ、どうしてそんなに酷く言うんですか!?」
私がそう叫んだ途端――
怒り顔が一転、上司はあんぐりと口を開ける。顎を外すレベルに。
「貴方今まで、そんな心構えで仕事していたんですか……」
そんな心構え? 知ったこっちゃない。
だってみんな同じじゃないの。私の心構えが駄目なら、みんなだって駄目なはず。
いや、しょっちゅうミスしてきた分、みんなの方が罪深いはず。
――なのに。
「今すぐ業務を中断してください。もう帰宅していただいて結構。
貴方のような人に、これ以上仕事を任せるのは危険だ」
そんな捨て台詞と共に――
私はその場で、無理矢理オフィスから出されてしまった。
******
強制的に帰らされた、その日の夜。
派遣元の担当者からメールがあった。
要約すると
『貴方はクビになりましたので、さっさと会社の荷物を整理しにきてください』
とのこと。
わけが分からない。ちょっと連続でミスをするぐらい、みんなやってたのに。
何で私だけクビになるの。
怒りのメールを送ったものの、来たのはこんな返事だけ。
『今回の件で関係者の方々は大変お怒りで、こちらとしても非常に苦慮しております。
今後もお仕事の紹介は出来ないと思ってください』
なんてこった。クビになったばかりか、仕事の紹介さえされなくなってしまうなんて。
全く納得がいかなかったが、仕方がない。
こんなクソ会社もクソ担当もとっとと諦めて、頭を切り替えて次の仕事を探すしかない。
翌日。唐突な最終出社の日。
ロッカーで荷物を整理していると、同僚たちとたまたま顔を合わせてしまった。
つい先日まで、笑顔で話をしていたはずの仲間。でも今は、形式的な別れの挨拶をしてそそくさとその場を離れていくばかり。
ねぎらいの言葉さえ殆どなく、私の中で不満が澱のようにたまっていく。
――なんで。
なんで、私だけ?
ロッカーに置いてあったのは、仕事用の小さなメモ帳。
怒りのままにそれをひっつかむと、私はその場を飛び出した。
******
退職の手続きも酷いもので、上司からも先輩からもろくな挨拶はなく。
ただただ顔も見たくないとばかりに入館証を取り上げられ、私は会社から追い出された。
3年もミスなく勤めたのに、最後がこれとは。
怒りと混乱のあまり、気が付くと私は――
会社近くの川。めったに人が通らないその橋の上から何となく、風景を眺めていた。
時刻はそろそろお昼。ふとカバンをのぞくと、会社で使っていたメモ帳がはみ出していた。
――こんなもの、もういらない。
自分なりに懸命に書き上げたメモを見ると、またしても怒りがわいてくる。
私、こんなに頑張ったのに。
派遣だからって、ちょっとミスったからって、こんな扱い? 冗談じゃない。
感情に任せ、思わずメモ帳をビリビリと引きちぎった。
ちぎれたメモの切れ端は、まるで白い花びらのように宙に舞い、川面へと吸い込まれていく。
それを見ていると、何だか妙にスッキリした。
――あぁ、せいせいした。
私が駄目だったんじゃない。会社自体が腐ってたんだ。
ちょっとだけ気分が落ち着き、私は帰宅した。
だが、その三日後――
******
朝早くからいきなりインターホンがうるさく鳴った。
仕事もクビになったし、久々にゆっくり寝ようと思っていたのに――
そう思いながらドアを開けると、そこにいたのは何と、警察手帳を持った刑事二人だった。
冷静そうなスーツ姿の刑事と、やたら筋骨隆々なふてぶてしいオッサン刑事。
な、なんで? どうして私の家に警察が?
あまりのことに戸惑っている私に、スーツ刑事が淡々と説明する。
「三日前の正午ごろ、〇〇株式会社からほど近い三摺橋付近で殺人事件がありましてね」
〇〇株式会社。あのクソ会社だ。
ていうか、さ、殺人!?
「発生当時、貴方の姿を橋で目撃したという情報がありました。
参考までに、事情をお聞かせ願えますか」
しかも私、もしかして容疑者になってる? なんてこった。
足ががくがく震えて思考がまとまらない。何でこんなことになっちゃったの?
私、メモ帳を破って橋から川に捨てていただけなのに――
「ち、違います!
私はただ……」
「ただ?」
しかし、そこでふと気づいた。
メモ帳を破いて川に捨てた。これってもしかして、不法投棄になる?
今更のように気づいてしまい、私ははっと口をつぐんだ。
そんな私の様子を刑事たちが見逃すはずもなく、一斉にぎょろりと黒目を光らせて顔をのぞきこんでくる。
「ただ……何だ?
もしかして本当に、お前がやったのか?」
「ヒッ」
オッサン刑事の一言。ぶるぶる震えながら首を横に振り続けるしかない私。
だがそんな私の手首を、オッサンは強引に掴んだ。
「かなりの長時間、お前があの橋で突っ立っていたのは複数の目撃証言がある。
3人も人を殺して、さすがに罪悪感にとらわれたか?」
さ、3人!? そんな大量殺人が私の近くで……
しかも疑われているのは、私!?
「ち、違います!
わ、わわ私、ただ、捨てようと……」
「捨てる?
まさか証拠品を捨てようとしたんじゃねぇだろうな!!」
オッサン刑事の恫喝。
同時にスーツ刑事も、能面のような顔で私を見据える。
「署までご同行願えますか?」
あぁ――
こうなったら、言うしかない。
不法投棄も犯罪は犯罪だけど、大量殺人鬼と疑われるよりはマシだろう。
そう思った私は、思わず叫んでいた。
「違うってば!
私、会社のメモ帳を破いて川に捨てただけです!!
クビになって、ムシャクシャしてたから!!」
その途端。
間近にあった刑事二人の顔面が、一瞬にして蒼白になった。
良かった。勘違いだと分かってくれたのか――
そう思ってほんの少し、ほっと胸をなでおろしたが。
「き……貴様が……」
冷静だったはずのスーツ刑事が、真っ青になりながらよろめいた。
「貴様が犯人だったのか!?
あの、メモ帳不法投棄の、世紀の大犯罪者……まさか、貴様が!!」
「へっ?」
何故か衝撃のあまり、ふらりと倒れかかるスーツ刑事。
そんな彼を慌てて支えながら、オッサン刑事がスマホへ怒鳴る。
「至急至急! 応援を要請!!
例のメモ帳不法投棄の犯人を発見した、これより確保する!!」
え? 何で? どうして??
――私が、大犯罪者?
何が起こったのか全く理解できないうちに、私の自宅アパートは数十台ものパトカーに取り囲まれ。
私は何も出来ないまま、十数人の刑事たちにとりおさえられ。
その何倍もの人数のマスコミまで、一斉にアパートまで押しかけ。
警察とマスコミ、そして駆けつけた野次馬で、周辺一帯は大騒ぎになってしまった。
――だから何で。一体、どうして?
私、メモ帳を破いて川に捨てただけなのに!!
******
こうして、私――筆木 美須留の名は、一夜にして日本中、いや世界中に知れ渡った。
メモ帳不法投棄の、世にも稀なる世紀の大犯罪者として。
――前代未聞、会社のメモ帳を破いて投棄! 世にはびこる情報漏洩の危険!!
――川が汚染されるとは考えないのか!? サイコパスの暴走だ!!
――無知ってホントヤバイよね~!!
――おとなしくて良い人だと思っていたのに……まさかこんな行動に走るなんて!!
連日、テレビは速報とトップニュース。新聞は飛行機事故級の大見出しで私の逮捕を報道し。
あらゆるSNSはひたすら私を叩き続ける罵詈雑言で溢れ。
総理大臣までが遺憾の意を述べ、円安はさらに加速し、某国は日本にミサイルを発射した。
だから何で。一体どうして、私のミスだけ叩かれるの!?
取り調べを受けながら、私はただそう叫ぶことしか出来なかった。
Fin
主人公は、ほんの少しミスをしただけで全ての歯車が狂い、転落してしまいました。
このお話はフィクションですが、ほんの些細なミスで過剰に叩かれる。そんな風潮は今、あらゆるところでまん延しているように思います。
そのような世の中は窮屈だ、間違っている。少しでもそう感じていただけましたら、幸いです……