一話 運命の再会①
五月七日。月曜日。ゴールデンウイークが終わり、学校生活が再びスタートする日だ。
通学路を歩く学生の表情を横目で見ると、多くは死んだ魚のような目をしていた。
長期休暇明けは不規則な生活をしていたせいで、自律神経が乱れてやる気が出ないという経験は誰しもあるはずだ。
特にこの五月は新しい環境の変化によるストレスも溜まりやすい時期と言われている。俗に言う五月病というやつだ。
俺、北野海馬も例外ではなく登下校が気怠いと感じていた。昨日は徹夜でスマホを触ってしまったせいで一睡もしていない。
許されるなら今すぐ家に帰って布団にダイブしたいというのが願望だ。無論そんな事が許されるはずはないことは理解している。
「一時間目の授業は…数学か」
数学の授業を担当している先生は宿題忘れと居眠りには厳しい人である。少しでも居眠りをしようものなら、鬼の形相で眉間にチョークを投げてくるだろう。
そうならないように気合いを入れなければならない。このままでは瞼が重すぎて授業中に寝落ちすることは容易に想像できる。
幸いなことに寝ぼけた俺を目覚めさせてくれる人間がまもなく現れる。
「おっはぁぁよーぉっっ!!!!」
やかましい挨拶と同時に背中から強い衝撃が伝わってきた。耳と背中が痛い。この不快な挨拶をする人物は一人しかいない。
その人物の名は南原護。クラスメイトである。部活も同じテニス部に所属しており、数少ない心を許せる友人だ。
先ほどの挨拶からもわかる通り、元気あふれる男でクラスの中心人物である。金髪のツーブロックに赤いピアスと派手な見た目をしていて近寄り難いが、端正な顔立ちで身長も高いので異性からの人気は凄まじい。
俺は目の前にいる護の顔をジーッと見つめた。死んだ魚のような目をした他の学生達とは異なり、イキイキした表情をしている。
「朝から元気だな。背後から抱きついてくるなよ。痛いから」
「いやいや。海馬が元気なさそうだったから闘魂注入してやろうと思ってな!」
朝から元気な方がおかしいだろとツッコミたい。なぜ目の前の金髪の男は朝っぱらからこんなに血気盛んなのだ。
ひょっとすると朝からヤバい薬でも服用しているのかもしれない。朝から元気になる薬なんて副作用が大変そうだ。夜は人が変わったように廃人になるんじゃないだろうか。
「お前が羨ましいよ。朝から元気な奴ってホント尊敬するわ。俺は眠すぎて無理だわ」
「テンション低いなー。もっとやる気出そうぜ! 熱くなれよ!」
「某テニス選手みたいなこと言うなよ。暑苦しい人間は苦手なんだが。絶対に仲良くなれない人種だわ」
本当にやる気を出させたいなら、今日の授業は午前中だけだぞ、と言ってくれたらやる気を出すかもしれない。
実際は七時間目まで授業があるわけで、やる気が出ることは絶対にないんだけど。
「そういえば昨日担任から聞いたんだけど」
「なんだ? 先生また浮気したのか?」
担任は愛妻家を自称している三五歳の男だが、一度浮気をして妻に半殺しにされたことがある。二度目の浮気となれば離婚は免れない。
「ちげーよ。今日転校生が来るらしいぜ。それも女子! 激アツじゃね?」
護はキラキラと目を輝かせてそう言った。
まだ見ぬ転校生に期待するのは勝手だが、想像とかけ離れていたらどういう反応をするのか見てみたいものだ。
「いや、どうでもいいし。仮に女だとして俺になんか関係ある?」
俺は転校生に全く興味が湧かなかった。なぜなら、転校生は基本的に関わり合いたくない存在だからだ。下手に関わるとロクな目に合わないというのが俺の考えだ。
コミュニケーション能力が高くてイケメンであるならば、積極的に関わるのも悪くないかもしれないけどね。どこかの誰かみたいに。
護は俺の反応が面白くなかったのか不満そうな表情を浮かべた。
「冷めてるなぁー。二年の、しかも五月に転校生がくるんだぜ? めっちゃ珍しいだろ」
確かにこの時期に転校生とは珍しい。普通は学期の初めに来るはずだ。何か特殊な事情でも抱えているのだろうか。
仮にそうだとしても自分には全く関係のない話である。卒業まで深く関わることもないだろう。卒業後は名前も顔も記憶から消えているに違いない。
「とにかく! 海馬は無気力すぎだ。何事にも全力で取り組もうぜ」
「善処しまーす」
「気のない返事だな。絶対やらないやつじゃねーか」
「やるよやるよ。それよりさ、昨日のドラマ見た?」
ドラマや漫画に関する無駄話をしながら歩くこと五分、いつの間にやら学校に到着していた。
俺たちが通う高校は記念すべきことに今年で創立一〇〇周年を迎える。長い歴史を感じる木造校舎で大地震が来れば一瞬で倒壊しそうなくらい頼りない造りだ。事実、耐震基準を満たしていないのではという噂が後をたたない。
俺と護は老朽化した正門をくぐり抜けて校舎に入った。校舎内は原則土足厳禁なので、靴箱で上靴に履き替える必要がある。
ただいまの時刻は八時二十九分。八時半に始業のチャイムが鳴るので急いで教室に向かわないと間に合わない。
「めんどくさいなぁ……」
校内を全力疾走するのは疲れるだけなので遅刻したほうがいいかもしれない。いっそ、のんびりと歩いて堂々と遅刻するのも悪くない。
「まさかだと思うが遅刻してもいいなんて思ってないか?」
え、怖ッ、エスパーかコイツ。相手の心の中を読み取れるタイプの人間なのか?
図星なので本気で焦る俺。それに対して呆れる護。彼は遅刻など断固として許さない性格なので語気を強めて、
「あと数秒でチャイム鳴るから教室まで全力ダッシュな!」
一瞬にして上靴に履き替え、光のような速さで教室まで走っていった。
「面倒くさ……でも遅刻はあんまりしたくないから走るしかないか」
俺は教室まで全速力で走り出す。
この学校は年に五回の遅刻をするとペナルティがある。そのペナルティとは毎朝早めに登校して学校内を清掃するというものだ。
まだ五月にも関わらず、三回も遅刻してしまっているので今日遅刻するとペナルティに王手がかかる。できれば遅刻をしたくないというのが本音だ。
結果的に教室までアホみたいに全力疾走したのでギリギリ遅刻は免れた。ゼェハァ。朝から息切れするほど走らされるとは想像もしていなかった。
机の上に突っ伏して仮眠を取ってやろうと思ったが、担任が入室してきた。教室の空気が一変する。
そういえば、転校生が来ると護が言っていたな。だから皆ソワソワしているのか。特に男子生徒。顔がニヤニヤしていて締まりがない。
「ほーい。席につけ。遅刻してる奴はいないな?」
浮気がバレて妻に半殺しにされた三十五歳の担任が生徒達に問いかけるが、反応はない。
浮気の一件がバレて以降、生徒達からの信頼は崩れて「クズ教師」のレッテルを貼られているためだ。同情の余地はない。だってクズだから。
「全員出席です!」
ただ一人、学内で最も真面目な生徒だけが先生からの問いかけに元気よく返事をした。
「コホン、よろしい。今日から転校生がこのクラスに来るぞー! みんな仲良くしろよ! さぁ…入ってきてくれ」
いよいよ転校生とご対面の時が来た。転校生に全く興味はないし、どんな女が現れても動じない自信がある。仮に動揺したら、教室内を裸で逆立ちしながら徘徊しよう。
「はい」
可愛い返事の後に、教室の扉が勢いよく開いた。
皆さんお待ちかねの転校生が教室の中に入ってきた。転校生の容姿に教室内はざわつき始める。クラス全員が転校生に注目した。
護も例外ではなく、身を乗り出しそうな勢いで転校生を凝視している。
だが、その中でも特に取り乱していたのは自分だった。
まさかこんな事が起こるなんて。
冷静でいられるはずがない。
読者諸君、動揺したら教室内を逆立ちしながら徘徊する話は無しにしてもいいかな?ノーカンってことで許してくれ。
こんなにも動揺しているのには訳がある。目の前にいる女子は間違いなく俺にとって大切な人物だからだ。彼女の事をひとときだって忘れたことはない。
小一から小六までずっと一緒に過ごしてきた。とても可愛くて、優しくて、誰よりも明るい。初恋の相手。彼女の名前は…………
「はじめまして。私の名前は谷川…谷川由栞です。よろしくお願いします」