第八話 繋がりを示すもの
-眠りの杖-
相手を眠らせる。効果時間は短いので少し扱いづらいが、殴る蹴るを喰らわせても目を覚まさないほどに深く眠らせることができる。
超タフな店主相手では金縛りの杖の下位互換にしかならないが、足止めできるだけマシ。
なんとか新種の店主どもから逃げおおせたが、まずい問題が起きた。今どこにいるのかがわからないのだ。
必死に逃げているうちに、変な道へ入り込んでしまったようだった。道順の確認を怠ってしまうとは不覚である。
今は店主どもが俺を探しているようで、すぐ近くを慌ただしく走り回っているので、下手に動くことができない。ゴミ箱に身を潜めて、疲れた頭と足を休めておく。
「あっ、そうだ」
考える時間ができたところで、ニナの存在を思い出す。今は何もできないし、暇つぶしがてら現状報告でもしておくことにした。
指輪の石をさすってから呼びかけるとすぐに通じて、やや気だるげな少女のささやき声が聞こえてきた。
「どうしました?」
「これから隠れ家に帰るところなんだけど、面倒なことになった。店主どもに見つかって逃げ回ってたら、帰り道がわからなくなったんだ」
「え、だいじょうぶなんですか?」
「まあ、しばらくうろついてれば覚えのある道に出ると思うけど……手持ちの道具も少ないし、正直ちょっと厳しい」
指輪の向こう側で、ニナが息を呑んでいるのがわかる。自分の状況を説明してみると、改めて不安が強くなってきた。
今、対店主に使える手持ちの道具は、使用回数が減っている杖が数本しか残っていない。
果たしてこいつらだけで現状を打破できるのか、いまいち自信をもてなかった。
少しの間、どんよりとした沈黙が続く。
「ネリスさん、私はさっきまで倉庫にある道具の鑑定をやっていたんですけど、いいものを見つけました。それを使わせてもらえば、なんとかできると思います」
「なんだって?」
そこでニナから思わぬ提案が飛び出てきた。が、さすがに素直に信じることはできない。
確かに倉庫には用途不明の杖や巻物がいくつかあったので鑑定を頼んでいた。けれども、どこに居るのかもわからない俺を、足を怪我してろくに動けない少女が、なんとかできるような都合のいい物なんてあるのだろうか。
「変な冗談はやめてくれよ、そんな都合のいいものあるわけないだろ」
「嘘じゃないです。ネリスさんを私の側に引き寄せることができるんですけど、貴重な物を使わないといけないんですよ」
適当にあしらおうとするけど、それでもニナは自信ありげに勢い良く語ってきた。本気らしい。
まあ、そういうのが本当にあったとしてだ。
遠く離れている人を引き寄せる、確かに強力で貴重そうな道具だけど、それは仲間がいなければ役に立たない無価値な品だ。
それを惜しむ必要は感じない。好きにやらせてしまえばいいだろう。
「この際、貴重だとかどうでもいいよ。なんとかできるっていうのなら、さっさとやってくれ」
「そうですか、そうですね。じゃあ準備しますから、少し待っていてください」
ニナの声が途絶える。さて、どうなることやらと思って待っていると、本当に少し経つだけで異変が起きる。
辺りがまばゆい光に包まれて、視界が真っ白に塗りつぶされる。それから軽い浮遊感が過ぎ去ったあと、光が止んで視力が戻ってくる。
「ちゃんと書けてましたか、よかった」
魔法の巻物を広げているニナが正面に現れた。彼女は床に尻もちをついている俺の顔を見ると、心底安心した様子でほっと息を吐いた。
首を回して辺りを見る。見慣れたこ汚い部屋は、見間違いようもなく隠れ家であった。
まさか、本当に遠くから俺を引き寄せてしまうとは、なにもかもが想像を絶している。世の中にはこんなにすごい魔法があるのかと、驚嘆するほかなかった。
「いったいどうやったんだ?」
「ええと、私たちがつけているその指輪」
「ん、これ?」
右手を逆手に上げて、人差し指に着けている連絡用の指輪を見せる。
「それを目印に遠くから引き寄せる魔法を使ったんです」
「そんなピンポイントな効果の巻物が、俺の倉庫に転がってたっていうのか?」
「いえ、さすがにそんな巻物はなかったです。だから即興で作りました」
どうしてこう、驚きの話が続々と出てくるのか。
なにげにものすごいことを素面で言われて、口をあんぐり開けてしまった。
魔法を込めた杖や巻物は作るのが難しいそうで、魔法専門の学校でしっかり修行しなければ簡単なものすら作れないと聞いたことがあった。
それを同い年くらいの少女がやってみせたというのか。
「は? そんなことできるの? あんた実は魔法使い?」
「魔法なんて使えませんよ。倉庫の隅っこに“白紙の巻物”があったんです。魔法のキーワードさえ知っていれば、色々な効果の巻物を作ることができる便利なものなんですよ。まあ、作るにはこの魔法のペンが必要になりますけど」
言いながら床に置いてあった一本の小ぎれいなペンを持つと、ふらふらと揺すって見せてきた。
そのキーワードとやらを知っているだけでも大概ではないかと思う。どんな反応をすればいいのかが困りものだった。
「えー……何も書いてない巻物は、確かにたまに見ることがあったけど、そんな使い道があったのか」
「魔法のペンのほうが貴重でインクには限りがあるから、手軽ではないですけどね」
“白紙の巻物”は、今まで三つほど見かけていて、全部無視するか捨ててきた。もったいないことをしていたのかもしれない。
でもまあ、今さら後悔しても仕方ないことだ。知っていたところで俺では活用できなかったのだろうから。
とりあえず立ち上がろうとしてみて、足に力が入らずにまた尻もちをついてしまった。
ヒザが自分の体とは思えないほどに震えていて、足腰が悲鳴を上げている。喉が酷くひりついていて息苦しい。
極限の緊張から解き離れた今、重ねてきた無茶を体が思い出したのだ。全然体が動かない。
効果の弱い回復薬を一服あおると、すぐに少しだけ楽になる。
正直今回は本気で死ぬかと思った。その死ぬような思いから助けてくれた仲間を見上げる。
「ありがとう、助かったよ。これからもよろしく」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
彼女にかけるべき言葉は素直なお礼だけだろう。
この一年を生き延びた経験を持つ上に魔法の知識まであるこの子は、これからを生き延びるうえで大きな力になってくれるであろう貴重な人材なのだ。
丁重に扱わなきゃなと思いながら手を差し出すと、彼女も手を重ねてきたので、ゆるい力で握手を交わした。