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もう一度、君に恋をする  作者: 史音
8/18

とても甘い恋

朝起きたら、ベッドに一人きりだった。

見慣れない天井を見て、ここがどこだか考えて、それから昨日あったことを思い出す。思い出したあれこれが何だか恥ずかしくて、一人顔を赤くする。

隣の部屋から物音がして、私はモゾモゾとシャツを着てベッドから出た。


翔くんはベランダで電話をしていた。ベランダへ出る窓が開いていて、気持ちのいい風が入ってくる。彼は穏やかに話をしていたけど、途中から眉根を寄せて、ちょっと面倒そうな顔をした。顔をしかめて電話をしたり、呆れたような顔をしたり、こんなに表情が変わるんだなと、見ていた。私がいることに気がついた彼は、会話を切り上げて電話を切ってしまった。


「電話、いいの?」

彼は部屋の中に戻ると、家族だから気にしないで、と言って首を振った。私の目の前に立つと、乱れたままの私の髪を手櫛で梳きながら、心配そうに顔を覗き込んだ。

「体、大丈夫?」

それを聞いたら、昨晩のことが色々と思い出されて思わず下を向いた。

「大丈夫…」

そう答えたら、そうっと彼の腕が私を囲んで優しく抱きしめられた。ほんの少し、触れるだけのキスをして、彼が微笑む。

「よかった」


彼の腕の中は、温かくて安心する。ただこうしているだけで、とても幸せで、私は彼のパーカーの胸に顔を寄せた。彼は静かに私の頭を撫でながら私の名を呼んだ。

「後で家族と会わないといけないから、その間、菜緒、家で待っててくれない?」

「え、家族?」

彼は家族っていうか、妹、と答えた。でもわざわざ来るって、それって大事な用事なのではと心配になる。

「いや、少しの時間だから。渡したいものがあるっているから、それを受け取るだけ」

外で受け取ってすぐ帰ってくるよ、と言う彼を私は慌てて止めた。彼の留守に、彼の家に一人でいるなんて、流石にまだ、無理だ。

「あ、でも、私も帰るよ。突然外泊したから親も心配してるだろうし」

昨日は雨のために急遽友達の家に泊まると連絡しただけだ。あまり遅いと心配されるだろう。翔くんは少しためらったけれど、私は笑った。

「今日も休みだから、ゆっくりしてくれていいのに」

「でも、そんなわけにも行かないよ」

私はそっと手で彼の背中を撫でた。

「その代わり、また来てもいい?」

顔を上げると、彼が表情を緩めた。

「いつでも来て」

嬉しくて、だけど照れ臭くて、私は彼の胸に頬を寄せた。


せっかくだから少し早い昼ごはんを外で食べようと言うことになって、二人で並んで家を出る。

「何だか、昔みたいだ」

彼が少しおかしそうに呟く。あまり化粧用品を持っていなかったから、今日の私もほとんどノーメイクだった。お化粧しないで歩くなんて学生の時以来だ。

「私は何だか恥ずかしい」

そう答えると、俺は見慣れてるけどね、と言って彼は私の手を取った。

ごく自然に繋がれる手に、ドキドキしながら、嬉しくなる。


駅へ向かう途中のオープンカフェに二人で入って、食事をする。天気が良くて日差しが眩しかったけれど、私たちは外のテーブルに座って食事をした。話をしていると、テーブルにおいた彼の電話が動いた。ごめんと言って電話にでる。スマホから女性の声が漏れてきた。彼は少し驚いたような顔をする。

「え?もう?」

そう言って中をキョロキョロする。

「あ、わかった。じゃあ待ってて」

そう言って電話を切る。

「妹が予定より早く来たから、荷物を受け取ってくる」

「え?今?」

そう、と返事して彼は立ち上がった。

「すぐ戻るから、ごめん」

そう言って、大通りへ出ていく。私はそれを目で追いながら、サンドイッチを頬張る。


ふと気がつくと、通りの向こうで彼が人と話しているのが見えた。

「あ」

私は手にしていたカップを置いた。


彼の隣には一人の女性がいた。背が高くて、すらりとした美人だった。彼女は手にしていた大きな紙袋を彼に向かって差し出して、彼はそれをごく自然に受け取った。

その場面に見覚えがある。こんな場面を、昔も見た気がした。彼女に見覚えがあった。


そして思い出す。彼女をみたのは高校の時で、あの時に彼の高校の前で、彼と一緒にいた人だった。あの時辞書を受け取った彼と彼女と、今荷物を渡して受け取った彼らのタイミングは測ったように同じだった。


「いもうと…」

思わず呟く。

彼女は彼の隣に立って、言葉を交わすとこちらに顔を向けた。そして彷徨わせていた視線を私のところで止める。その目が驚いたように見開かれた。そして私へと笑いかけてきた。



「美月と申します。兄がお世話になっています」

結局彼の妹、美月さんは彼と一緒に戻ってきた。そのまま自然に空いている席に座って一緒にお茶をすることになる。

彼の妹さんは私の正面の席に座って頭を下げた。翔くんは不機嫌そうな顔をして私の隣で腕を組んで座っている。

「安藤菜緒です」

「菜緒さん!よろしくお願いします」

美月さんは笑って翔くんに向かった。

「お兄ちゃんが電話で変な感じだったから絶対に怪しいなあと思ってたら、やっぱり彼女と一緒だった」

「お前、用事が済んだら早く帰れ」

彼はため息をついた。ちょうど店員さんがオーダーをとりにきて、美月さんはキャラメルミルクティーを頼んだ。翔くんが隣で苦い顔をする。

「またそんな甘そうなものを」

美月さんはいいの、甘いのが好きなんだから、と屈託なく笑った。大人びた顔立ちのせいか、私よりも年上に見えるけれど、こうして話していると年下という感じがする。


「お兄ちゃん、煩くてすみません」

「あ、でも、私も甘いのが好きです」

「ですよね、女子あるある、ですよね」

「確かに女子はいつも甘いのばっかり選ぶよな」

彼がそう言って私のミルクティーを見るから、私は苦笑いする。美月さんはそれも笑いながら見ていた。

そして、ああ、と思い至る。私が選ぶ甘い飲み物を、彼はいつも「女子は甘いのが好きだよな」と笑っていた。それを聞く度に、私はいつも、今までの彼女もそうだったのかと考えて悶々としていた。

だけど、それは妹のことを言っていたとわかって、何だか、答えがわかってしまうと、悩んでいたのが馬鹿しくなるくらい、本当になんでもないことだった。


「ここのお店、私も一度来てみたいなと思っていたんです」

美月さんはそう言って私に笑いかけてきた。

翔くんは切れ長の目なのに、美月さんはパッチリした目の顔立ちのはっきりした美人だった。あんまり似てないな、というのが第一印象だったけれど笑うとなんだか兄妹というのが頷けるくらい似ている。

「笑った顔は似てますね」

そう言うと二人は顔を見合わせた。

「あんまり似てないだろ?コイツは父親似なんだよ」

「お兄ちゃんは母親似です」

「美形家族ですね」

こんなに綺麗な人ばかりの家族なんだと、苦笑いする。美月さんは大きく首を横にふった。

「そんなことないですよ。私の彼氏はお兄ちゃんよりも、もっともっと格好いいですよ」

と言って、美月さんは笑った。


写真見せますね、そう言ってスマホで画像を検索して、私に画面を見せようとする。翔くんよりも格好いいってどんな人だろうと私も興味を引かれて、体を乗り出して画像を見ようとする。ただ、それが見えるより少し早く、翔くんの手が伸びてきてスマホが奪われた。

「あ、ひどい」

美月さんが非難の声を上げると、翔くんはそのまま画面を閉じて美月さんにスマホを投げた。

「そんなの見せなくていいよ」

「そんなのって何よ。お兄ちゃんの友達でもあるのに」

「あったことない人間の顔とか見ても意味ないだろ」

そう言った翔くんに、美月さんはニヤリと笑った。笑った時の目と口の上がり方がやっぱり似ていると改めて思う。

「お兄ちゃん、面倒臭くて大変ですよね、すみません」

なんだそれ、と返事をする彼に向かって、美月さんは、あ、と思い出したように声をかけた。


「お兄ちゃん、お母さんが電話してって言ってた。今してきて」

「は?後でいいだろ」

「今、いますぐ。お母さん、なんか急いでた。早く」

そう言うと美月さんは、彼を急かす。彼は渋々と言った感じで立ち上がって道路に出ると電話をかけた。その後ろ姿を見ながら、二人で残されて一体何を話そうかと緊張する。


「あの、菜緒さん」

「はい」

急に声をかけられて、私は焦って返事をする。美月さんは少し言い淀んで、それから口をひらいた。

「菜緒さん、高校の時もお兄ちゃんと付き合ってましたよね」

「あ…はい」

またいっぱい彼女がいたって話かな、とちょっと気持ちが落ち込む。

「私、お兄ちゃんと同じ高校に通っていて。あの、すごく聞きづらいのですが、一度うちの高校に来ませんでした?」

どう答えようか、とても迷う。でもこう聞いてくる時点で、知っているのかもしれないと私は頷いた。

「はい、行きました」

それを聞いて、美月さんは小さく息をはいた。

「多分、あの、私とお兄ちゃんが一緒にいるの見ましたよね」

「あ、はい。あ、あの、もしかして」

私が二人を見ていた時、美月さんも私に気がついていたんですか?

そう聞くと、美月さんは静かに頷いた。

「もしかして、彼女だとか、誤解しちゃいませんでした?」

思わず俯くと、美月さんは悲しそうに顔を歪ませて、話してくれた。

「私とお兄ちゃん、似てないから、昔からよく恋人に間違えられたんですよ」

そう言って美月さんは笑った。

「やっぱり、誤解させちゃいましたよね」

そう言って、あの時のことを話してくれた。

学校帰りに塾へ行く途中、辞書を持っていないことに気がついて、慌てて兄に辞書を借りに行った。通りの向こう側に他校の人がいることに気が付いたけれど、信号待ちの間にいなくなっていたし、その時は何も思わなかったそうだ。


だけど、それから数日後、同級生から駅で兄の彼女とうちの生徒が言い争っていたのを見た人がいた。かなり険悪だったと聞いて心配になる。学内で人気のある兄が、他校の彼女といつも駅で待ち合わせしているのは、ここ最近学内では有名な話だった。今までそんなマメなことしたことないのに、一体どうしたんだろうと妹ながらに兄の動向を見ていた。

そして、あの時見た他校の制服が、兄の彼女の学校の制服であることにようやく気がつく。だから、兄の彼女に何かあったのではないかと心配になった。


私に声をかけてきた生徒は、実際は元カノでもなんでもなく、ただ翔くんに告白して断られた人だったらしい。だから、変なことを言ったのではないかと気になって本人に話を聞きに行くと、酷い内容だった。

兄はモテるけど、来るもの拒まず、でもないし、適当な付き合い方はしていない。だけど、もし自分たちの姿を見て恋人だと誤解していたら…まずいと思ったから、慌てて兄にそのことを伝える。


これでうまくいくかも、と思ってほっとしていたら、仲直りに行ったであろう兄が、あり得ないほどに落ち込んで帰ってきたことに、驚いた。


「お兄ちゃん、ずっと落ち込んで。しばらくイライラしてるし、大変だったんですよ」

友達も心配してましたけど、私達がでしゃばることでもないし、美月さんはそう言って、あ、これお兄ちゃんには絶対に秘密にしておいてください、と付け加えた。


「あの」

私は少し迷って、美月さんに声をかける。

「翔さんは、高校の時多分もてたと思うんですけど、彼女はいたんですか?」

美月さんは少し迷って、考えた後で返事をした。

「正直、とても、モテました。彼女もいました。兄ながら引くくらいモテていました」

それを聞いてドスンと落ち込む。そんな私を見た美月さんは、でも、と声をあげた。

「でもいつもうまくいかないんです。いつもあんな感じで何を考えてるか分からないから、すぐに別れちゃうんです。高校の時はずっとそんな感じで」


美月さんは遠くを見た。

「菜緒さんの後は、彼女いたのかなって感じでしたよ。告白されても断ってたみたいだし。妹の私が言うのは変ですけど、菜緒さんのこと」

そこで美月さんは止まった。どうしたのかと思っていると、いつの間にか翔くんが戻ってきていた。美月さんは彼の姿を見て言葉を止めた。

「お前、変なこと話してないだろうな」

翔くんはそう言って椅子に座った。美月さんは変なことは話してないよ、と言って甘そう、と言われたキャラメルミルクティーを飲んだ。翔くんは私の方へ顔を向けて、気遣うように大丈夫?と聞いてきた。

「もちろん、大丈夫だよ」

私が答えると、翔くんはほっとしたように息をはいた。


「あ、なんか、私、絶対邪魔してる」

突然美月さんがそう言って声をあげた。

「今頃気がついたか」

翔くんが苦笑いしながら返すと、美月さんは笑って「だってお兄ちゃんの彼女に会ってみたかったから」と言い返した。そして、あっという間にカップの中を飲みほすと荷物を持って立ち上がった。

「じゃあ、私行くね。菜緒さん、本当にお邪魔してすみません」

「話、聞けて良かったです」

私の返事に美月さんは表情を緩めた。

「私も良かったです。今度わたしの彼とも一緒にご飯でもいきましょう」

「嬉しい。ぜひ、よろしくお願いします」

私たちはその場で連絡先を交換する。翔くんは苦い顔をしてそれをみていた。

「会う時は俺にも声かけろよ」

「あー、どうしようかな。お兄ちゃん来るとうるさそうだから」

美月さんはそう言って、笑って席を立って、ちゃんと4人で会いましょうねと付け加えて出て行った。賑やかだった彼女がいなくなると、なんとなく静かになる。

「何、話してたの?」

彼がそう言って聞いてくるから、私は笑った。

「秘密」

その返事に、なんだそれ、と彼は納得のいかない顔をした。


食事を終えて店を出て、駅まで公園の中を歩いていく。美月さんが持ってきた紙袋は大きく、中身は重そうな本や資料ばかりだった。仕事や資格勉強用のものらしく、帰ったら見ないといけないなと彼はつぶやいた。

「あいつの彼氏が俺の同級生なんだ。すごい優秀なやつで、たまにこうやってお互い情報交換したりして、勉強してるんだ」

「へえ」

そう言えば大学の時の話とか、この間少し聞いたけれど、ほとんど知らない。この人にはまだ私が知らないことがたくさんあると実感する。そう言えば、いつ、メガネをかけるようになったのかも知らない。


大学生の頃のこと、働いている職場でのこと、友人のこと、知らないことの方が多い。私はポツリとつぶやいた。

「今度会ってみたいな」

「そいつと?」

「うん、もちろん、翔くんや美月さんと一緒に」

それを聞いて翔くんは少し目線をあげて視線を上に向けた。その顔は少し苦いものになっている。

「めちゃくちゃ頭が良くて、いいやつけど、かなり毒舌だし…菜緒にはあいつを会わせたくない」

「そんなに口が悪いの?」

人に会わせるのを躊躇うほどの毒舌ってどれだけだと、気になって聞くと、彼は言いにくそうに続けた。


「口が悪いのもあるけど。あいつ、すごく顔がいいから」


彼の顔は、それだけ言い終わると私から逸らされる。少しだけ見える横顔が、心なしか赤くなっているように見えた。言うだけ言って、彼はそのまま歩いていく。私はその場に立ち止まったままそんな彼の後ろ姿を見つめる。


自分だってこんなに顔がいいくせに、何を言ってるんだろうと思う。

そう言えば、さっきも格好いいと彼氏自慢をした美月さんが、写真を見せようとしたら「見せなくていい」と止めていた。それを思い出して、ある考えが浮かぶ。


もしかして、焼きもちを焼いてくれたのかな?


そう思ったら、何だかいてもたってもいられなくなった。私は前を歩く彼を見る。彼が、今どんな顔をしているんだろうと想像して、なんだか急に彼のことを、とても愛しく感じた。


私は走って彼の後ろ姿を追いかけて、彼のシャツの袖を掴んだ。

「どうした?」

そう言って彼が振り返る。私は彼の胸の中に飛び込んだ。

「菜緒?」

焦ったような声がした。私が抱きついた勢いで彼が持っていた紙袋を落とす。重いものが地面とぶつかって鈍い音がした。

「どうした?」

その声と共に、彼の手が私の背中をそっと撫でる。その優しい手に安心して、私は自分の頬を思い切り彼のシャツに擦り付けた。彼の体から、彼の家の石鹸の匂いがした。今日の私と同じ匂い。それを思い切り吸い込む。


「好き」

「え?」

戸惑ったような彼の声がした。私はもう一度繰り返す。

「私が好きなのは、翔くんだけ。今も、昔も」


そう言ってから、今更だけど、大切なことに気がついた。

高校の時は手を繋いだのも、キスをしたのも、全部彼からで、私から何かをしたことはなかった。

私が彼に「好き」と言ったのは、最初の告白の時だけ。

それから何年も経って、ようやく昨日、2回目の「好き」を伝えた。

以前の私は、自分からは何もしていなかった。

いつも受け身で、彼のことも、彼の見ているものも見ようとしないで、自分の気持ちすら伝えていなかった。


そんなんだから、ダメだったのかな。ふと、そう考える。

だから、これからは彼と同じものを見て、そして、たくさん好きだと伝えよう。

しっかり、彼を見つめようと思う。


『二人で頑張ろう」

昨日、翔くんはそう言っていた。

大人になった私たちだから、二人で頑張るから、きっと、前より上手くできる。

頑張るのは、一人ではないから。


私は彼を抱きしめる手に、力を込めた。


「やっぱり、もう少し一緒にいてもいい?」

そう言ったら、頭の上で小さく笑った声がした。

「そんなこと言うと、今日も帰せなくなっちゃうよ」

「それでもいい」


私は顔を上げる。目の前にあったのは、ちょっと驚いたような翔くんの顔だった。

「私も一緒にいたい」

そう言ったら、彼は目を丸くして、そして表情を崩して笑った。優しい笑顔だった。


「じゃあ、帰ろうか」

翔くんはそう言って私に笑いかけた。

私は頷いて、彼に向かって微笑んだ。

それからもう一度、彼を強く、抱きしめた。


もう少し追加する予定ですが、一度完結になります。

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