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もう一度、君に恋をする  作者: 史音
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また苦い恋

私は心の中にトゲを残したまま、社会人になった。新しい恋の話は、時折思い出したように出てくる。いいなと思った人と付き合ってみたけれど、上手くいかなかった。私が何故だかいつも踏み切れない。それが心に残ったトゲのせいだとなんとなく思いながら、私はそれを認めることも、そのトゲを抜くこともできなかった。


このトゲが無くなったら、私は前に進めるのかな。ぼんやりと考えても、答えはない。

答えのないまま、時が流れていく。


「ねえねえ、お願いがあるんだけど」

昼休み、食後にトイレで歯磨きやお化粧直しをしている時に、たまたま居合わせた同期から声がかかった。彼女は同期の中でも派手な目立つ子で、私とは特に仲が良いわけではない。用事があれば話す程度の知り合いだ。彼女はスマホをいじりながら、今日の夜、空いてる?と聞いてきた。

特に用事はない。私が返事しようとする前に、彼女は私に

「じゃあ、合コン行かない?」と、言ってきた。


合コンは得意ではない。気が乗らないな、と思ったけれど、彼女は頼まれて作った会だけど急遽キャンセルが出て困っている、幹事だからなんとしても人を集めないと、と説明してきた。確かに今晩のことだから、流石にもう見つからないとキツイ。彼女は必死になって、相手のところかなり良いところだよ、と宣伝してきた。聞けば大手の企業だから、行きたいと思う人は多そうなのに、今日に限ってたまたま人が集められないらしい。

「ねえ、二人でお願い。人助けって事で」

彼女は隣の西野さんにも声をかけていた。彼女もわたし同様、あまりそういうところが好きではない。西野さんとお互い顔を見合わせて、無言でどうする?と意見交換していたがそんな間にも、押しの強い彼女に押し切られて、二人揃って参加が決まってしまった。


気が乗らないけど、いかないわけにもいかない。こんな時に限って仕事が少し伸びて、私が会場のちょっとおしゃれな和風居酒屋に着いたのは、会が始まって少し経った時だった。集まっていたのは男性3名、私を除いて女性3名だった。人数が合わないなと思っていると

「一人、遅れている、ゴメン」

相手側の幹事の人がそう言って説明する。私は自分も遅れてきたことを詫びながら、とりあえず空いていたドアに近い席に座った。


一人少ないなら、私が来なくてもよかったのではないかと思いながら、所在なく座っていると、急に視線を感じて顔をあげた。視線のあったその人は、眼鏡をかけたスッとした顔立ちの男の人で、スーツ姿が似合う、はっきり言って合コンに来るなんて信じられないくらいの、かなりのイケメンだった。彼は確かに私を見ていて、私は少し居心地が悪くなる。気まずさを誤魔化すように、私は小さく会釈した。

「え、え、安藤さん、あの人知り合い?」

隣に座っていた、今日私を誘った幹事の子が、こっそり私に聞いてきた。私は首を横にふった。

「いや、会ったことないですね」

「えー、本当。じゃあ私あの人狙いで」

そう言って彼女はそれとなく席を移動して彼の隣に座ると、机に乗り出すように話し始めた。

なんか、すごいな、と私は冷めた気持ちで見てしまう。高校の時のトラウマで美男子恐怖症に陥っている私には、あんな風に綺麗な男の人にぐいぐい行けるのが羨ましい。

そう思って、次の瞬間、ああそうか、昔の私もああだったのかな、と思い返す。


電車の中で一目惚れして、3日後には声をかけて告白したことを考えれば、多分あの時の私の方がずっと積極的だ。名前も年齢も知らない人に声をかけたのだから、怖いものなしって感じだ。

もう、絶対にあんなことはできないけど。


そう、ぼんやり思っていると入り口の近くに座っていた私の隣のドアがガラリと開いて、一人の男の人が入ってきた。

その人は、走ってきたのだろうか、肩を上下させて息を切らしていた。部屋に入ると目を見開いてぐるりと部屋の中を見渡した。そしてある一点で視線が止まる。

そこで彼の動きは止まってしまった。

彼の視線を追っていくと、そこに一人の人がいた。彼女を見て、彼は立ち尽くしていた。


それからしばらくして、彼はたまたま空いている私の隣に座った。私はとりあえずお疲れ様です、と声をかけて目の前にあった瓶から空いているグラスにビールを注ぐ。彼はそれを小さく会釈して受け取ると、一息に飲み込んだ。その飲みっぷりが鮮やかで、思わず笑ってしまった。

「すごい。お酒、強いんですね」

そう声をかけると、驚いたようにこっちを見た。多分、その時初めて私を認識したのだと思う。そして気まずかったのか、彼は照れ臭そうに笑った。


彼、斉藤さん、と名乗った。は私とポツリポツリと話しながら、でも視線はずっと同じところを向いていた。

「彼女、知り合いですか?」

視線の先にいたのは、今日一緒に参加している私の同期だった。彼は見事なくらい、彼女しか見ていなかった。合コンに来て、こんなに一人の人しか見ていないのも、ある意味清々しい。態度がこんなに分かりやすいのに、私が指摘すると少し焦ったような顔をした。

「あ、ごめん。彼女、大学の同級生なんだ」

「ああ、そうですか。彼女、いい人ですよね、天然だけど」

私がそういうと、斉藤さんは大きく頷いた。

「そうそう。天然というか、予想外というか」

それから嬉々として斉藤さんが教えてくれた大学時代の彼女のエピソードは、仕事はしっかりしているくせに時々抜けたことを言う今の彼女と同じで、聞いていて思わず笑ってしまった。

斉藤さんは彼女のことを話す時、とても優しい良い顔をしていた。その顔を見て、ああ、この人は彼女のこと本当に好きなんだな、と思った。

そう思ってみると、彼と彼女の組み合わせは似合っているように思う。

昔、好きだった人にこんな風に偶然再会するって、いいな。

そう思って、私も自然と笑顔になる。


私の学生時代の恋物語なんて、はっきり言ってひどいものだから、こんな風に再会を喜べるのが羨ましい。そう思っていると、また煽るようにビールを飲んだ斉藤さんが私に話かけた。

「じゃあ、逆に。安藤さんはあいつと知り合いなの?」

「え?」

斉藤さんはそっと目線を動かした。視線の先にいたのは、さっきの眼鏡をかけた男の人だった。斉藤さんの視線を追っていたら、ちょうどこっちを見ていた彼と思い切り視線があってしまった。まっすぐにこっちを見ていた彼の視線を感じて、微妙な気持ちになって私は慌てて視線を斉藤さんに戻す。斉藤さんは苦笑いしてメガネの彼に軽く手をあげてから、私に視線を戻して聞いてきた。


「あいつ、知りあい?佐々木翔」

彼の名前を聞いて、思わず息を飲んだ。


それは、忘れたことなんてない、彼の名前だった。

高校の時の、苦すぎる恋の相手の名前だ。


言われて思い返してみれば、かなり年月が経っているけれど、奥二重のスッとした目元とか、薄めの形のいい唇とか記憶の中の彼と同じだった。多分大人になった分、顎のラインがシャープになっていたり、着ているものが制服じゃなくて、スーツになったせいで、記憶の彼と合わなかっただけなのだろう。ちゃんと見たら、わかる。

忘れるわけない。間違いない、彼だった。

「翔くん」

私は聞こえないくらい小さな声で、呟く。


私は遅れてきたから、自己紹介していない。そして他の人の名前も知らない。でも、彼がこっちを見ていた、と言うことは多分、彼は私に気がついている。

その事実が、私をさらに落ち込ませた。

ついさっき、同級生に再会するのもいいなと思ったばかりなのに、こんな風に再会してしまうなんて、最悪だと思ってしまう。

このまま帰ってしまいたい、そんな気持ちが浮かんでくる。


「いや、ええと、知り合いというか」

言葉を選んでいると、斉藤さんは困ったような顔をした。

「ごめん、無理して答えなくていいよ。ただあいつが安藤さんのこと気にしているみたいだから、そう思っただけ」

話したくないオーラを出している私に、斉藤さんはそれ以上話さなくていいように気を使ってくれる。私はそれに甘えることにして、ごめんなさいと謝る。

ちょうどその時、席替えの声がかかって、斉藤さんは『ごめん、いい?』と言って立ち上がった。多分彼女のところに行くのだろう。何だか二人を応援したくて、私は斉藤さんに向かって笑って頷いた。何だか試合に向かう友人を送り出すような気になった。


だけど、それは反対に、私にとっては拷問みたいな時間の始まりだった。

「隣、いい?」

そう言って隣に来たのは、やっぱりと言うか、彼だった。

これでダメとか、いやですとか言える人がいたら、見てみたい。思わずため息が出そうになって、なんとか飲み込んだ。

彼は私の隣に座ると、持っていたお酒を飲んだ。高校生のイメージが残っているから、彼がお酒を飲んでいるのに違和感がある。まるで遠くの出来事のようにそれを見つめた。

「久しぶり、でいいのかな?」

俯いていると、隣からそんな声がかかる。顔を上げると至近距離で彼と視線が合ってしまった。その目が逸らされることなく私を見たから、私は誤魔化すことも、嘘をつくこともできなくて、ただ黙って頷いた。そんな風に一つ一つの行動に勇気を出す私と反対に、彼は全く自然な様子でもう一度口に出した。

「久しぶり、菜緒」


彼が私の名前を呼んだことに、ドキリとする。私の名前の呼び方が、昔と全く同じだった。

少し低めの声で、少し語尾が伸びる。彼はいつもそんなふうに私を呼んでいた。

今も、彼は同じように私を呼んだ。それを聞いて最初に思ったのは、懐かしいと言うことだった。


ただ名前を呼ばれただけなのに、私の気持ちは揺さぶられる。私はどうしていいか分からなくて、迷って迷って、ようやく口を開いた。

「お久しぶりです」

「何で敬語なの?」

意を決して、ようやく返したのに、彼は苦い顔をした。相変わらず、笑顔はない。

以前と同じ、基本無表情で、基本素っ気ない。そこは変わらないんだと、なんだかおかしくなる。


「え、二人、知り合い?」

私たちの会話が聞こえたのか、同僚の幹事の女の子が、また彼に話しかけてくる。彼女の目が一瞬私に向いて、まるで私の邪魔をしないでと言っているみたいだった。

ああ、そうか彼女は彼を狙っているものね。

何だか昔の出来事が蘇りそうで、私はちょっと引いてしまう。邪魔なんてしないし、むしろ連れてって欲しいくらいだ。


彼女に向かって私は関係ないアピールをしようと口を開いたら、それより少しだけ早く、彼の声がした。

「うん、そう。元カノ」

「ええー」

あっけなく暴露した彼に、周りの人が一気に驚く。その中には、幹事の子も含まれている。これ以上誤解されては困ると、私は急いで大きな声を出した。

「違う、違う。ただの友達」

笑いながら訂正すると、なあんだ、とその場の空気が緩んだ。私は両手を体の前で振りながら、もう一度訂正する。

「高校の時、学校が近かったから、それで、ちょっと知っているだけ」

「ああ、そうなんだあ」

みんなが納得したように笑う。なんとかごまかせたことに、ほっとしていると、隣の彼がじっとこっちを見ていた。なんとなく不機嫌な気配を感じて、気まずくなって視線を逸らす。少し経ってチラリと見上げると、まだこっちを見ていていた。不満そうな顔をした彼は私の顔のそばに顔を寄せた。

「なに?」

近寄ってきた分、遠ざかると、私の動きより少しだけ早く、彼が私へと体を寄せて、私の耳元で小さな声で呟いた。

「ただの友達にキスなんてしないけど」

「っつ!」

聞こえるか聞こえないかの彼の声は、多分みんなには聞こえてない。驚いて視線をあげると、相変わらず気持ちの読めない目でこっちを見ていた。私は急いで顔を背けた。顔が赤くなっているのがわかる。今日誘ってきた幹事の子が、じっと私を見て、視線が合うとさっと逸らせた。狙っている彼が、私にこんなに近寄ってきたら、絶対に誤解する。


この状況を変えないといけない、と私は彼を見上げて、彼に声をかける。

「他、行った方がいいんじゃないですか?」

勇気を出して言ったのに

「絶対に他に行かないといけない理由なんてないよね」

そんなそっけない返事で返された。

「でも、合コンだから」

「だからこそ、話したい人と話せば良いんじゃないの?」

彼の言っていることは正論で、言い返すことなんてできない。私は説得を諦めた。


「じゃあ、菜緒が他に行けって言ったら、移動するよ」

そんな声が聞こえて、私が顔を上げると彼がじっと私を見ていた。しばらく彼と見つめあった後で、私は視線を逸らせた。

「好きにしたら」

投げやりな私の言葉に、彼はあっさりと「じゃあ、好きにする」と言って、そのまま隣に座り続けた。

もう何度目か分からないため息をついて、私は目の前の烏龍茶を飲む。

他にいけ、なんて、そんなこと、言えるはずがない。隣にいるのは嫌な癖に、他の人と笑って話しているところは見たくない。いや、きっと見られない。どうするのがいいのか、どうしたいのかも分からなくて、私は俯いたまま、グラスを握った。


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