彼がメガネをかけるようになった理由 9
「佐々木くん、また告白されたの?」
放課後、俺は本間と二人、生徒会室で仕事していた時だった。神崎と白石は他の仕事で席を外している。
俺は黙って頷いた。
「みんなすごいなあ」
本間はそう言ってため息と共に苦笑いする。
秋から冬になるくらいになると、また俺に告白する人が出てきた。一人でたら、そこから何人か出てくる。それを俺は以前のように断り続けた。
「でも、少し元気になったね。よかった」
「まあな」
本間は安心したように笑いながら、作業する手を止めて、俺の方を見た。
「なんか聞きづらいけど、あの子とはあれきり会ってないの?」
俺は首を横にふった。
「でも、色々誤解なんでしょう?ちゃんと誤解は解いたの?」
俺は黙って首を横にふった。
「それは説明したほうがいいんじゃない?」
本間はとても心配そうな顔をして、俺の顔を覗き込んだ。真っ黒な瞳がじっと俺を見ていた。
「ちゃんと冷静になって話したら、わかってくれるんじゃない?だったら話したほうがいいよ」
「もう、いいよ」
「でも、こんなの悔しくない?私、代わりに話してこようか?」
俺は苦笑いする。そんなの本間が言ったら逆効果だ。
「いいよ」
俺の返事に本間は眉根を寄せる。
「でも」
その時背後から冷たい声が飛んだ。
「うるさい。おせっかい」
振り返るとそこにいたのは白石だった。正直振り返らなくても、こんなことを言うのは奴しかいないだろう。白石は冷たい視線を本間へと向けた。
「他人が話すことじゃないだろう。そっとしとけ」
「だけど、そうも言っていられないよ」
「でしゃばり」
怒った本間が立ち上がった時、本間と白石の間に神崎の声が飛んだ。
「これは白石の言う通りだよ。そっとしておこう。人が話すことじゃない」
本間はそれを聞いて、開こうとした口を閉じて、黙って椅子に座った。
神崎は白石にも目線で別の机での作業を促す。白石は静かにそれに従って、生徒会室にはまた静かな時間がすぎた。
「あ、悪い。ちょっと外す」
俺は時計を確認して本間に声をかける。
「あ、なんかある?」
そう聞かれて俺はちょっと躊躇う。肩を竦めてから答えた。
「他のクラスの子に、ちょっと呼ばれてるんだ」
女子に、とは言わなかったけれど、それで察したらしい、本間は気の毒そうな目で俺をみる。
「なんか、代わりに私が行ってあげたい」
そう言った後でチラリと後ろの白石を気にして声を落とす。
「あ、もちろん冗談だよ。さっき怒られたばっかりだからね」
俺は思わず笑ってしまった。本間も俺を見て笑った後で、あ、と思いついたように顔を輝かせた。
「ねえねえ、いいこと思いついた」
「なんだよ」
本間は満面の笑みで俺を見た。
「いっそのこと、佐々木くん、もうめちゃくちゃダサい格好とかしたら?」
そう言った後で本間はうーんと考え込んだ。
「まあ、でも制服だから、格好を変えることはできないから…たとえば」
本間は目を丸くさせて俺を見た。
「メガネ、かけるとか?」
その顔がいたずらを思いついた子供みたいで、ちょっと可愛らしかった。本間は自分の考えに満足したのか、一人で頷いている。
「なんか、おじさんみたいな形のメガネとかかけたら、イメージ変わって、いい感じにモテなくなるかもよ」
「おじさん、メガネ?」
「そうそう、なんか堅そうなイメージに変わっていいんじゃない?」
おじさんメガネで、髪の毛ボサボサにして、猫背にして、と本間は続ける。
我ながら名案、と呟く本間を置いて、俺は教室を出た。そのまま廊下を歩いて指定された待ち合わせ場所まで歩く。廊下には窓からの秋の暖かい日差しが差していた。
もう季節が変わったんだな、と改めて実感する。そのすぐ後に、彼女は今何をしているだろうと考えて、俺はため息をつく。
俺はまだ、こうしていろんなことを彼女につなげて考えてしまう。
俺は息を吐いて、歩き出した。
以前と変わったことが一つある。
あれ以来、俺は以前みたいに異性からの告白をあっさりと断ることができなくなってしまった。断る時に、はっきり断ることができなくて、むしろ優しい言葉をかけてしまう。そのせいで断りづらくなることも、少なからずあった。
だけど、どうしてか冷たく断ることができなかった。
その理由は、なんとなくわかっている。
俺は、彼女と付き合って、人に好きだと言うことが、どのくらい大変なことか、よくわかった。
今更だけど、今までの人がどれほどの気持ちと勇気を持って、自分の所に来てくれたのか、わかったのだ。
そして、自分が好きな人に好きと言ってもらえることは、奇跡のような出来事だと、ようやく理解した。
自分が伝えられない思いを抱えるようになって初めて、俺はたくさんのことを理解した。
その日の帰り道、俺はたまたま眼鏡店の前で足を止めた。チェーンの眼鏡屋で、ちょうどセールをしていた。俺は何も考えずにその店にふらりと入る。
「おじさんみたいなメガネ…」
本間はそんなことを言っていたから、俺は売場の端にある、学校の先生がしていそうなメガネを探す。別に本当に買う気なんてない。ただ見てみようと思っただけだ。
目についた、昔小学校の校長がしていたようなメガネをためしにかけてみたけれど、よくわからない。たくさんあるメガネのどれがいいかなんて、さっぱりわからない。鏡を見ながら首を傾げていると、声がかかった。
「メガネ、お探しですか?」
声をかけてきたのは若い女性の店員だった。明るい茶色い髪に同じ色のメガネをかけた、目がくりっとした可愛い人だった。俺はちょっとだけ気まずくなって下を向く。
「あ、まあ。俺、視力はいいので、ただの伊達眼鏡なんですけど」
そう言うと彼女は目を丸くした。
「え、おしゃれでつけるってことですか?じゃあ、ここだと全然ダメですよ」
そう言って、彼女はお店の前面の一番目立つスペースに俺を連れて行った。
そして並べられているメガネをいくつか手にとった。
「この辺が似合いそうですよね。ちょっとかけてみてください」
俺は言われるがまま、メガネをかける。正直鏡を見てもどれがいいかわからない。
だけど店員はうーんと言って、売り場からまたメガネを取り上げると、今度は俺にそれをかけさせた。メガネを変えた俺を見て、満足そうに笑う。
「あ、こっちの方が似合いますね」
いや、似合わなくていいんだけど。
そう思ったが、もう彼女は止まらず、俺は言われるがままメガネをためし続けた。
どうしてこうなってしまったのかわからない。
だけど、一つ言えることは、店員さんの髪の色が、菜緒の髪の色に似ていた。
ふわっと笑う感じも、ちょっと似ていた。
そのせいではないと、思いたい。
「おはよう、あれ?」
朝、教室に行くと、周りの視線が俺に向いた。あのいつも表情を変えない神崎でさえ、俺をみて、目を丸くした。俺はちょっと気まずくて黙って自分の席に座る。
「イメージチェンジか?」
斜め前の席の神崎が振り返って声をかける。
「そんな感じ」
何だか気恥ずかしくて、俺は窓へと視線を向けながら答えた。神崎は頬杖をついて俺をみながら、おかしそうに笑う。
「残念ながら、よく似合ってる」
「え?」
神崎に話を聞こうとして口を開くと、本間の声が飛んできた。
「佐々木くん?」
俺の後ろの席の本間を振り返ると、本間はじっと俺をみていた。その目が驚愕で丸くなった後で、今度は大きくため息をつく。
「ちょっと何、そのメガネ」
昨日、俺はあの店員さんに勧められたメガネを買った。今日は早速、それをつけて学校にきた。
自分の平和を勝ち取るための、いわば武装と言ってもいい。
そこでふと、朝のことを思い出す。
家で朝食を食べていると、妹の美月がいつものようにバタバタとテーブルについた。
そして、俺の顔を見るなり、目を丸くした。
「お兄ちゃん、何?それ」
俺は少し面倒になって、ぶっきらぼうに答えた。
「これからはメガネにするんだよ」
「え、どうして?」
「モテなくなるために」
返事がないのをおかしく思ってみると、美月は心底信じられないという顔をしていた。
「本気?」
俺は少しイラッとして、コーヒーを飲んで席を立った。
振り返って美月を見てもう一度宣言する。
「本気」
ちょうどそこに母親がやってきて、やっぱり俺のメガネを見て、苦笑いして美月と顔を見合わせた。
何か言われる前に、俺は行ってきますと言って家をでた。
店員は俺に似合っている、おかしくない、と言ってくれた。
だから俺も安心して、これで大丈夫だろうと思っていた。
なのに、みんなのこの反応はどうしたことだろう。
神崎は、あの、いつも冷静な神崎が困ったように笑って俺と本間を見ている。
本間は大きくため息をついた。
「何、そのメガネ」
本間に聞かれて俺は少し俯きながら答える。
「いや、昨日本間に言われて買いに行った」
泳いだ視線の先で、同じクラスの女子が固まって俺を見ていた。目があって俺はそれを逸らす。
「モテなくなるように…」
本間は俺の返事にもう一度ため息をつく。
嘘でしょう、と本間は呟いた。
「え?それでコレ?」
訳がわからない、という顔をしている俺に、本間はもう一度大きく息を吐いた。
「こんなはずじゃなかったんだけどなあ」
「どう言うことだよ」
本間は神崎を見て苦笑いして、それからもう一度俺を見た。
笑っているけど、とても困っているのがわかるような顔だった。
「これじゃ、ただのメガネイケメンなんだけど」
女って、やっぱり面倒くさい。
俺は大きなため息をついた。
この時俺につけられた「メガネイケメン」という呼び名は、命名した本間によって何回か改悪され、最終的に「こじらせ残念メガネイケメン」という不名誉な呼び名に落ち着く。
だけど、それはまた、もっと先の別の話である。
次回は10月5日0時ごろ投稿予定です。




