彼がメガネをかけるようになった理由 8
一人になったら、今度こそ気が楽になると思ったのに、俺は何だか物足りなく感じていた。
登下校の電車も、一人だと変な感じがしてしまう。今までずっと一人だったくせに。
そのくせ、他の誰かがそこに入るのは、嫌でたまらない。
その場所は空けて置きたかった。
誰のために、とはいえないけれど。
携帯に保存された彼女と交換したプレイリストを、ずっと聞いている。
季節が変わって、もう新しいヒット曲が出ているのに、俺の中では未だに夏の曲が流れている。
生徒会のメンバーは、少し俺の扱いに困っていたと思う。
だけど、神崎だけは変わらず接してきた。けれど、俺にばかり仕事を頼んだり、一緒に勉強しようと声をかけてきたから、多分余計なことを考えないようにという、あいつなりの気遣いだったんだろう。
別れてしばらくして、いつものように放課後に生徒会のみんなで作業をしていた。休憩の時に、俺が代表して全員分の飲み物を買いに行く。俺は全員の顔を思い浮かべて、彼らの好みを思い出しながら自販機のボタンを押していく。そして最後にごく自然にミルクティーを買った。どうしてそれを買ったのかわからない。生徒会のメンバーでミルクティーを飲む人はいない。わかっているのに気がついたらそれを選んでボタンを押していた。
案の定、ミルクティーは残り、俺の手元へやってくる。
「ミルクティーか」
俺が甘い飲み物が苦手なことを知っているからか、神崎がさっと自分のお茶を差し出した。
「俺、やっぱりこっちにするわ」
たまには甘いのがいいな、そう言ってお茶を机に置いて、代わりにミルクティーを手にしようとした神崎の手を、俺は止めた。
「いや、俺、これにする」
いいのか?と聞いてくる神崎に俺は、
「これがいい」
と返事する。机の上に置かれたままのミルクティーをしっかりと手にとった。
だけど結局甘くて、俺は一口飲んで、甘いのに苦い顔をする。
「甘い」
顔をしかめた俺を、隣で作業している白石がいつもより少し冷めた目で見てきた。
「慣れないこと、するからだろ」
「確かに。なんでこれを選んだんだろう」
俺はそのミルクティーを見つめる。俺は甘い飲み物は好きではないのに、どうしてかそれを手にしていた。これがいいと言ってしまった。
だけど自販機でその甘いミルクティーの色を見て、思い出したことがあった。
それはあの日、夕日に透けていた、彼女の髪の色。
今日の夕日が、あの日の夕日に似ていた気がした。
だから、彼女を思い出してしまったのかもしれない。
あの日重ねた手がとても小さかったな、と思い出す。
こんなことなら、あの時、手を握ればよかった。
あの時だけじゃない。
夏祭りに行った日に、もう一度キスすればよかった。
ちゃんと、抱きしめればよかった。
俺は確かにそうしたいと思っていて、もし、そうしたら、彼女はきっと喜んでくれた。
きっと、そっと顔を赤くして、恥ずかしそうに、だけど、嬉しそうに笑ってくれたと思う。
そうしたら、もしかしたら俺たちの関係も変わっていたかもしれない。
俺は、菜緒を失わずにいられたかもしれない。
もっとああすればよかった、こうすればよかった、と考えて、俺は大事なことを思い出す。
俺は彼女に一度も好きだと言っていなかったことに。
でも、それも仕方ないかもしれない。
だって俺は、あの時、自分が彼女を好きだと、気がついていなかったのだから。
あの感情が恋だと、わからなかったのだ。
恋なんて、初めてだったから。
ああ、そうか。
だから、ダメだったのかな。
好きとも言ってくれない人と一緒にいることが嫌になってしまったのかな。
そう考えたら、また、気持ちが落ち込んだ。
「お前、無理しなくていいよ」
「なんだよ、急に」
白石は俺の隣でコーヒーを飲む。男から見てもきれいなくっきりした瞳が俺を見て、それから前を向いた。
「今が辛いなら、そのまま落ち込んでていい」
「そんなんじゃないよ」
「俺も、神崎も本間もいるし、いくらでも俺たちのこと利用していいから。今は好きなだけ落ち込んでろ」
その言い方がおかしくて、俺は笑った。
「もしいつまでも落ちてたらどうするんだよ」
白石はもう一度俺の方を見て、片方の口角をあげた。
「大丈夫。ちゃんと適当なところで、引き上げるから」
そう言って、今度こそはっきりと笑った。
なんだよ、それ。
そう言ってやりたかったけど、うまく言葉が出てこなくて、俺は黙ってミルクティーを飲んだ。
相変わらず、甘いくせに苦い。
友達っていいものだな。
その時に、俺は素直にそう思った。
生まれて初めてそう思ったかもしれない。
俺は隣の白石をみた。もうあいつは前を見ていた。
それを見て密かに心の中で決心する。
もし、こいつが失恋したら、今度は俺がコイツの話を聞いてやろう。
例えそれが呆れるくらい長い時間でも、絶対に付き合おうと。
次回は10月4日12時投稿予定です。




