彼がメガネをかけるようになった理由 6
夏祭りの次の週。俺はいつものように菜緒と一緒に電車に乗って学校へ向かう。駅で別れて学校まで一人で歩く。朝が早いせいか、学校内は静かだ。教室へ向かって歩いていく途中、声をかけられた。
振り返ると、同級の女子生徒だった。入学してから2回俺に告白してきた子だ。2回とも断った。理由は覚えていない。
だけど、普段話もしない彼女に声をかけられたことに、ちょっと嫌な気持ちになる。俺はそのまま行き過ぎようとするが、彼女がもう一度声をかけてきた。
「ねえ、佐々木くん」
「何?」
俺は立ち止まって彼女の方へ顔だけを向けた。彼女は俺の方へと歩いてくると、俺の顔を見上げた。怒っている、というわけではないけれど、好意的な対応をされていないのが雰囲気で感じられる。正直面倒臭いと思った。
「あのさ、アノ毎日駅にいる子、彼女?」
思わずため息が出た。
「いう必要ある?」
「何それ、人のことは何回も断ったくせに。あの子ならいいってこと?」
結果的にいろんな子と付き合ったけど、一度に何人とも付き合ったりしたことはない。たまたま自分が、俺がフリーの時に告白してこなかっただけだろうと思って、でも次の瞬間、そうであっても、この子とは付き合わなかっただろうなと思い返す。
これ以上話すのは面倒だと、俺は無視して立ち去ることにした。すると彼女が俺の腕を掴んだ。
「ねえ、私と付き合ってよ」
「は?何言ってんの?」
彼女は俺の目を見て笑った。
「私、別に2番目でもいいし」
そう言った後で、俺を見て笑った。
「まあ、でも、そのうち1番になるけど」
俺は彼女の手を振り払った。菜緒と付き合いながら他の人とも付き合う、なんて、冗談でも、そんなこと考えたくない。
「そういうことはしない」
俺は彼女を睨みつけた。
「二度とそんなこと言うな」
「何それ、あの子は特別ってこと?」
信じられない、どうせ本気じゃないくせに。そう言って彼女は俺の目を睨み返してきた。
「関係ないだろ」
俺はそう言ってその場を立ち去った。
放課後、生徒会の仕事を終えて、俺は一人で学校をでる。菜緒を待たせたくないから、一人で早く学校を出る俺を、他のメンバーは黙って送り出してくれる。ちょうど学校を出たすぐ前の道路の信号が青く点滅していた。ここの信号は長い。だからこれを渡ってしまおうと早足で歩いていると、後ろから声がかかった。
「お兄ちゃん!」
俺を呼ぶのが妹の美月だとわかって、俺は振り返る。そのせいで信号は赤に変わってしまって、俺は立ち止まる。目の前を車が動き出していた。俺は小さく息を吐いた。
「なんだよ」
美月は走って俺を追いかけてきた。俺に追いつくと、お願い!と顔のまえで手を合わせた。
「今日、塾なのに辞書忘れちゃって、お兄ちゃんの貸して!」
生徒会室行ったら、もういないから急いで追いかけてきた、と妹は息を切らせた。
「はあ?俺でなくてもいいだろう。わざわざ追いかけてくるなよ」
本間とか神崎に借りろよ、と俺はうんざりしたような声を出す。辞書なんて誰に借りたっていいのだから。だけどその返事に美月は目を丸くした。
「いいじゃない。お兄ちゃんに借りて何が悪いのよ。普通兄弟で借りるでしょう」
ハイハイ、と適当に返事しながら、俺は鞄の中を開けて辞書を出した。鞄から出すと、美月がそれをさっと受け取る。
「お兄ちゃん、ありがとう!助かる。感謝!」
いつもながら調子のいい妹の反応に俺は苦笑いした。
「心がこもってない」
「何それ」
美月は少し頬を膨らませて笑った。
「帰り、あんまり遅くなるなよ」
「わかってるよ。どうせお兄ちゃん、私を迎えにくるのが面倒なだけでしょ」
妹の帰りが遅いと俺はいつも最寄りの駅まで迎えに行かされた。面倒ではないけれど、行かなくて済むなら、行かない方が楽でいい。わかっていたのかと俺は苦笑いして美月をみた。
「バレたか」
「ひどいなあ」
美月は笑った。
ちょうどその時道路をトラックが走り去った。その音が大きかったから、美月は道路へと視線を向けた。
「あれ?」
「どうした?」
美月は道路の反対側を見て動きを止める。俺もその視線を追う。でもその先にはただ駅へ続く道があるだけだった。何もない。
俺は美月へと振り返った。美月はまだ訝しげな顔をしていた。
「何?」
「あ、うん。なんでもない」
信号が青になって、俺は美月を置いて、駅へと早足で歩いた。彼女との待ち合わせ場所へ。
だけど、そこに菜緒はいなかった。
彼女はそこからいなくなってしまった。
俺の前から、いなくなってしまった。




