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強がり彼女と甘くないチョコレート

【高校一年生 秋 一年前】


「すごいじゃん、蒼葉」

「そうかしら? ふふん、わたしも少しは役に立つものね」


 悪さをしていた上級生達を芋づる式に吊し上げ、一躍(いちやく)正義の人となった彼女を誇らしく思いながら、僕はそう言って笑っていた。

 彼女も笑っていたし、自慢気にドヤ顔を披露したりなんてして、まさかその裏で心に傷を負っていることなんて気がつかずに。


「いや、まさか僕の嘘に騙されてばっかりの君がこんなすごいことをするなんてな」

「もう、雪春の嘘はうんざりよ」

「いいじゃん、家で飼ってるタツオは元気?」

「元気も元気。これ以上ないってくらい育っているわ」


 タツオというのは、彼女の飼っている金魚の名前である。

 中学生のとき、夏祭りで金魚すくいをした際に唯一すくうことのできた金魚だ。


 僕が言った「金魚は大きく育つと鯉になって、滝に放せば上手く行くと龍になるんだってさ」なんて嘘をバカ正直に信じ込んで大事に大事に育てたあげく、ぶくぶくと太って全長十五センチ以上のでっかい金魚となった経緯がある。


 まだまだ成長しているらしく、もしかしたら水槽を一回り大きいものにしないといけなくなるかもしれないのだとか。


「そうだ、わたし風紀委員会の教室に行くから……雪春は先に帰っていてちょうだい」

「ん、待つよ?」

「ううん、待たなくていいの。先に帰って」


 珍しく有無を言わさない態度でそう告げる彼女に、僕は頷くしかなかった。


「あ、ごめんなさい。ちょっと後処理に追われているだけだから……」

「そっか」


 取り繕うように被せられた言葉に違和感を持った。

 しかしそれをはっきりと指摘するほど、僕も空気が読めないわけではない。

 だから教室から退散していく彼女を見送って……けれど気がついた。


「あれ、カバン忘れてるし」


 うっかりなのか、それとも余裕がなかったのか。

 彼女が出ていってから自身の帰り支度をしていた僕は、隣の席を見て忘れられたカバンを発見した。そして帰れと言われたものの、気になっていたこともありカバンを持って、忘れたぞと言うために風紀委員会の教室を訪れたのだ。


「おい、これ忘れ――」


 扉を開けた先の光景は、はっきりと覚えている。


 オレンジ色の光が窓から差し込んでいて、書類の散らばった床で彼女がうずくまっていた。僕が扉を開ける音でびくりと肩を震わせ、怯えた表情でこちらを向いたかと思うと、途端に安心して泣きそうな顔をする。


 けれどその次の瞬間にはきりっとした顔になり「片付けがあるから帰れって言ったじゃない!」と強気な言葉が飛び出してきた。


 けれどどう考えてもその言葉は強がりでしかなくて、わなわなと震えた手のひらと、揺れる紫がかった黒の瞳に、カバンもなにもかもその場に放り投げて駆け寄っていた。


「……なによ」


 彼女が目を大きく開いて、まぶたを震わせる。

 僕が駆け寄って抱きしめた直後は一瞬の抵抗を見せた腕が、力なくだらりと垂れ下がる。そして呆然として呟いた。


「いや、ごめん。なんか、すごく、蒼葉が壊れちゃいそうで」

「変なこと言うのね、わたしはこんなことで傷つくほどやわじゃ……」


 言い訳を重ねようとする蒼葉に言葉を被せる。


「そうやって言い訳する時点で、傷ついてる。違うか?」

「……」


 なんだか、今にもそこの窓から身を投げてしまいそうな……そんな繊細さを感じていた。いつもは強気で、かたくなで、けれど騙されやすくて、そんな矛盾の塊のような彼女の初めて弱さを見たかもしれなかった。


「なにが、あった?」

「……」


 ぷいっと顔を逸らす。

 片手は背中に回したまま、もう片手で蒼葉の頬に手を添えて視線を合わせる。

 ゆらゆらと、今にも泣き出しそうなその様子にどうしようもなく怒りが湧いてきて、訳も分からず僕も必死だった。


「なにがあった?」

「……追い出した上級生とすれ違うたびに、視線が」

「視線が?」

「……『お前が憎くてたまらない』『余計なことをしてくれやがって』そんな風に睨みつけられるの。わたしは、わたしがしたことは間違っていなかったと思ってる。けれど、そうやって視線を向けられるのが怖くて」


 やはり蒼葉の視線は僕とは交わらない。

 僕の視線も負担になるのならと、僕はその頭を自分自身の肩に引き寄せた。


「うん」

「そのうち、周りからの視線にまで『悪意』が混じっているような気がして、でもそんなはずはなくて、そう思ってしまうわたし自身が嫌、で」

「そうか」

「だから、少し物の整理をして落ち着こうと思っていたら、書類、ぶちまけちゃって」

「嫌がらせを受けたとかではないんだな?」

「……うん」

「そっか」


 泣き顔は見せない。

 でも声は震えていた。


「しばらくこうしていようか。こうすれば、誰の視線も受けない」

「あり、がと……」


 それからしばらくは……静かに、そして声を押し殺してしゃくりをあげるように泣く蒼葉のされるがままになっていた。その背中をあやすように、ぽんぽんと一定のリズムで撫でながら。


 知らなかった。


 凛として格好いい彼女が、こんな風に泣くのを。


 知らなかった。


 その気高い心に影が差すこともあると。


 知らなかった。


 彼女が泣いていると、これほどまでに僕自身も悲しくなる理由を。

 そして彼女を泣かせた連中に対する怒りが止まらない、その理由を。


「ゆ、きはる……ごめん、ごめんなさい……」

「君が謝ることなんてないよ。それよりありがとうがほしいな」

「ありがと……本当は、気づいて、ほしかった、かも……大好き」


 その言葉を聞いた瞬間、ピンと来た。

 心をぎゅっと掴まれたような感覚とともに、唐突に世界が開けていくような思い。そして気がついてしまったんだ――僕は、蒼葉のことが好きだって。


 彼女の言う『大好き』とは違うこの想い。


 気がついてしまってからは止まらなかった。

 この可愛い幼馴染を、強気な彼女をここまで弱らせた上級生達への憤り。

 けれど、彼らは罪が暴かれて既に裁定が下されている。だから今は蒼葉を慰めることしかできなくて……どうしようもなく悔しくなった。


 ならばせめて、蒼葉に笑ってほしいと願って僕は嘘をつく。


「蒼葉、知ってるか? 夕方のこの時間にこの教室で、抱き合っている二人はいつまでも一緒にいられるようになるんだって」

「ふふ、腐れ縁の君と? それは……すごく面倒臭そうね」

「ちょっと、それはひどくない?」


 少しだけ蒼葉に元気が戻ってきて、次々と僕は言葉にした。


「きっと蒼葉は世界で一番素敵なお姫様になれるぜ」

「バカみたいなこと言わないで」


 歯の浮くような台詞を口にしながら。


「正義の美少女戦士にだってなれるかも」

「それ、君の趣味でしょ。スケベ」

「すぐそっちの方面で考える君のほうがスケベ」

「むう」


 だんだんと泣き止んで言い返してくる姿が愛おしくて。


「こんな時間に泣いてると夕日に融けていっちゃうから、蒼葉が融けないようにしっかりと捕まえとかないとな」

「えー、なにそれこわ。もう、嘘ばっかり」

「いつも通りだろ? 少しは信じてくれていいんだぜ」


 僕は口説くように言葉を重ねるものの、蒼葉はそれら全てをかわしながら笑う。ほら、笑顔が戻った。


「君の言葉は信じられない……くらいがきっとちょうどいいのよ」

「そっかそっか」


 少しキザに、そして格好つけて。

 オレンジ色の光の中で言い合う。


「ほら、まだ視線が怖い?」

「……すごい、もう大丈夫よ」

「なら、よかった」


 昔から、そうだった。

 僕の嘘で君が一喜一憂して、たまに怒ってきて、そんな関係がずっとずっと続くと無意識のうちに信じていた。それはきっと、蒼葉のことを心の底から好きだと思っていたからで。


「落ち着いた?」

「ええ」

「ほい、帰りに食べようと思ってたけど、これあげるよ。気持ちが落ち着かないときは甘いものを食べるといいらしいし」


 パッと身体を離して置き去りにしたカバンを拾う。中から個包装のチョコレートを取り出して差し出した。


「いいの?」


 ちょこんと両手のひらで受け取った蒼葉は可愛らしく首を傾げて僕を見る。


「嘘だと思う?」

「んー、もらいたいから本当だったっていう方向で解釈するわね」

「じゃ、そういうことで」


 横目で蒼葉がチョコレートを口に含み、そしてきゅっと眉を寄せた。


「に、にがーい!」

「あっはっはっはっ、カカオ80%のやつだよ」

「雪春!」

「事実チョコレートなんだから間違いではないよ。甘くないけど」


 ぷんぷんと怒る蒼葉は、すっかりと元気になったようだった。


「さ、帰ろう」

「うん」


 まだ不安そうな蒼葉の手伝いをして散乱した書類を戻し、手を差し伸べる。その手と彼女の手が重なり合い、不安も安心感も全部半分に。


 この日、僕は初めて蒼葉のことを好きだと気がついた。


 だから――そう、君が笑うなら何度でも嘘をつこう。


 それは二年生になっても変わらない。そう、いつまでも変わらない僕達の日常だ。

次の更新は夜9時。

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