彼女が二年生にして風紀委員長として君臨する理由
授業と授業の間、僕が手洗いから帰ってくると蒼葉のところに例の転校生が来ていた。隣の席に座って、その様子を横目に確認する。
「えー、すごいよぉ。雪染さんってスレンダーだし、どうしてそんなに痩せてるの? あたし、ちょっとぽっちゃりしてるからぁ……」
「そうかしら、痩せすぎるよりもそのくらいのほうが可愛いと思うわよ?」
「そうかなぁ。ねえねえ、なにかダイエットのコツとかあるかなぁ? いつもやってることとか、あったら教えてほしいなぁ」
「うーん、いつもやっていること……」
女子特有の話か。
ダイエットねえ……姫宮も胸があるだけで平均くらいに見えるし必要ないだろ。それより複数の香水が混ざってるっぽい香りがするから、そういう使用方法を控えたほうがいいと思うが。いろいろともったいない。
「毎朝起きてから五キロくらい走り込めばとりあえず食べた分よりもエネルギー消費がされていいと思うわ。わたしもそうしてるの」
「え?」
「ん?」
「えっとぉ……温野菜を朝食に食べるとかぁ……カロリー計算とかぁ」
「運動すれば大丈夫だと思うわ」
「そ、そっかぁ」
姫宮の目元が引きつる。気持ちは分かる。
ポニーテールに垂れた白いリボンと清楚系に見えるが蒼葉はスポーツ系だ。脳筋とも言う。カロリー計算もできるが面倒なのでとりあえず走っとけばなんとかなるという思考回路なのだ。
蒼葉はみんなそうすれば簡単に痩せると信じ込んでいる。場合によっては痩せにくい体質の人なんかはそれでも難しいだろうが、そもそも楽に痩せたいだろう通常の女子との考えとあまりにも剥離した方法……引かれていることにも気がつかない微妙な残念さ加減。これが蒼葉だ。
完璧無比の風紀委員長様だからって頼ると予想外の方法を提示してくるともっぱらの評判である。そして、よほどの根性か熱意がないとなかなかできないことを言ってくるので、わざとそう言っていると思われて余計に遠い人のように勘違いされていく。
だが蒼葉はしごく真剣だ。みんなできると信じ切っているし、できないと言っても遠慮してるんだな? と考えているはずだ。幼馴染の思考くらい多少は読める。
同世代には頼りにされはしてもあんまり好かれたりはしないんだよな。風紀委員の仕事もあって媚びはされるが。
努力家ではあるので、多分年上に好かれるタイプだ。実際、二人しかいない三年生の風紀委員にも猫可愛がりされているし。
「そういえばぁ、雪染さんって風紀委員長だって聞いたんだけど、どうして二年生なのに委員長なのぉ?」
「それは……えっと、成り行きかしら……?」
ほんの少しだけ眉を寄せ、困った顔をする彼女に口を挟んだ。
「上級生の風紀委員が少なくてさ、それに三年生は進学のこととか考え始める時期だから二年生が委員長をやることになってるんだ」
「え、雪春さん……?」
嘘だ。
他の委員会のことを知れば、普通に三年生が委員長をやっていることくらいすぐに分かる。しかし、風紀委員だけは二年生の蒼葉が委員長をやっているのも事実。
蒼葉は目をまん丸にして驚き、僕を見つめてきた。
けれど畳み掛けるように僕は言葉を重ねる。
「そうだろ? 蒼葉さん」
「う、うん……そうだね。それもあるかしら」
「ふうん、たしかにそうかもぉ」
姫宮はどうやら納得してくれたようだった。
この学校では三年生が委員長を原則として担っているが、他の学校では必ずしもそうとは限らない。特別な理由もなく委員長を二年生がやっている場合だってある。
そう思ってもらえればよかった。
「おーい、次の授業始めるぞー」
チャイムが鳴って、姫宮は自分の席へと戻っていく。
僕は机に頬杖をつきながら、隣でほっとしたように息をはく彼女を見つめた。
「大丈夫か?」
「え、ええ。そうよね、彼女知らないものね」
「風紀委員長サマの武勇伝のひとつではあるけど、あんまり深入りされても困るからな」
「そうね……」
始まる授業。
教科書をめくる音。
響き渡る先生の低い声。
こそこそと話す転校生とその周辺。
黒板にチョークが擦れる心地の良い音。
生徒達の喧騒が落ち着き、別の場所になったように授業中とそうでないときで空気感がまるで違う。規則はわりと緩いものの、このクラスの連中は八割くらいは真面目だ。天下の風紀委員長様がこうして後ろから動向を見守っているから、という理由もある。
しかしそんな教室の中で隣から伸びてくる手があった。
「どうしたの?」
「ごめんなさい、ちょっとだけ、ぎゅってして」
「……いいよ」
僕のワイシャツの端を、小さくきゅっと握った蒼葉の手に自分の手を重ね合わせる。机の上だけを見て伏せられた瞳は少しだけ揺れていた。
たしかに、彼女が風紀委員長になったというエピソードは武勇伝のひとつ。
けれど、同時にトラウマのひとつでもあった。
「ありがと……」
「どういたしまして」
彼女から視線を外す。『視線』がひとつもない状況をなるべく再現して、ただただ手のひらに伝わる温度に集中した。震えはない。けれど離されることもない。絶妙な距離感で僕を頼るその手に触れたまま、なにごともなくノートを開いた。
――雪染蒼葉という女子生徒は高校二年生にして風紀委員長である。
なぜそうなったのかは、クラス全員。いや学年全員が知っていた。
僕らが一年生だったとき。入学したてだったとき、この学校の風紀委員会は腐り切っていた。それを正したのが蒼葉。
嫌いな生徒に難癖をつけて成績に傷をつけるようなことを繰り返していた三年生、二年生の風紀委員達と、それと口喧嘩をしてぶつかりあいながらも、抑え切ることのできなかった善良な三年生一人と、二年生二人。
その下で、一年生で風紀委員となった蒼葉達は怯えて過ごしていた。
しかし蒼葉は先輩達の圧に負けず、なにも言わず弱音も吐かず……僕にもなにも知らせず地道に物的証拠を集め続け、直接校長と教育委員会へ持っていった。
その証拠が決め手となり、教師達を騙していた三年生は進学先の推薦が取り消され、結託していた二年生とともに成績表に傷がつき、学校からの信頼と地位が地に落ちた。
残った善良な三年生と二年生と共に蒼葉は行動し――結果的にたった一人で風紀委員会を立ち直らせたのである。
委員会にいられなくなった上級生から睨まれても、疎まれても、呼び出されても彼女は凛として立ち塞がり、折れることはなかった。
その話は、他者から見れば武勇伝に他ならない。
けれど、僕は知っている。
完璧無比の風紀委員長様が本当はすごく傷ついていたということを。
授業中、離れない彼女の手を温めながら僕は思い出していた。
そう、それは騒動が終わって一週間くらいのときだったか――。
次はお昼の12時投稿。