冬の日差しな委員長サマ
あれから少しして、愛しの風紀委員長サマが校門へと向かうことになったので僕も同時に外に出る。さすがに委員の人間が誰もいなくなるというのに、風紀委員会の教室でくつろいでいるわけにもいかなかった。
まっすぐと美術室に向かい、こっそり描き続けているキャンバスの布をめくって確認する。誰も見た形跡はない。よかった。
キャンバスを覆った白い布の下には『天使』の絵が飾ってある。
無論、僕はたとえ架空の人物だとしても人物画はあまり描かない。これは、幼馴染をモデルにした絵だ。髪を下ろし、女神や天使にありがちな薄めの布を着て自然豊かな場所に佇んでいるアクリル画。
蒼葉は普段ポニーテールなので、『完璧無比な風紀委員長様』の彼女を知る人がこれを見てもピンと来ることはないだろう。それだけ、普段は慈愛を込めた柔らかな眼差しとは縁遠い人なのである。この絵はそういう風に描いているので彼女とこの天使を同一人物だと思う人はきっといない。
それでもこうして隠しているのは、僕が『人物画を描かない』と公言していて、そのうえで幼馴染にこれを見られたら本人を描いているのだとバレるかもしれないからだ。ポンコツな癖に変に聡いんだ、あいつは。
あ、変態とか言ってはいけない。陰キャラなんてそんなもんだ。多分……。
◇
特に誰と会うこともなく教室について窓際から二番目、そして一番後ろの席へ。ここにいると非常に居心地がいいのだ。隣は蒼葉だし気も楽だし。
「おはようございまーす!」
「おはようございます」
遠くからだんだんと挨拶を交わす声が近づいてくる。あの次々とかけられる声に返す落ち着いた声は蒼葉のものだ。
風紀委員長様は厳しいことでも有名だが、美少女で校則違反さえなければ人当たりも柔らかく、冬の暖かい日差しのような人だとか言われるほど、密かに人気がある。
ただし風紀委員の仕事は結構、いやかなり厳しいので容姿や性格こそ好かれているが、根本的には嫌われている部分もある。
ああしてわざわざ挨拶されているのも、彼女へのご機嫌とりが三割くらいは含まれているだろう。
しかし廊下を歩いていればそこら中から挨拶され、その全てに律儀に応えていけるのはさすがである。
「おはようございます、雪春くん」
「はよ、蒼葉さん」
しかし、彼女から先に挨拶してくるのは先生方と僕だけだ。
そこにほんの少しだけ優越感を抱きつつ、顔を向ける。風紀委員会の教室と二人きりのときは基本的に呼び捨てだが、こうして大勢の目があるところでは自然と互いに『さん付け』になる。
なんとなくでしかないけれど、彼女とこれ以上親しく話しているとうるさいやつらがいるのだ。それに、特別なときに呼び捨てし合うというのもまた良いものだと思う。僕らだけの秘密の関係って気がして。
とんだロマンチストだ。
「なによ、その顔。また変なこと考えてます?」
「いや、別に。君は僕のことどう思ってるんだよ……」
「……年中女性のことしか考えていない。常春の男?」
「それ、僕どんだけ女性に飢えてるんだよ。僕は雪解けした春のように暖かくて素敵でみんなに好かれる季節の男だぞ」
雪春だけに。
僕の言葉に眉を寄せた蒼葉は口元を手で覆って少し身を引いた。
「それ、自分で言っていて虚しくならないの?」
「やめろ、自覚させるな」
ドン引きされたらしい。まあそうだろうな。自分で言っていてもこいつヤバイなと思ったし。
「あのー、雪染さん」
「はい、どうしました?」
僕らが軽口を叩き合いながら授業の準備をしていると、女子生徒が数人やってきて彼女に声をかける。こういうことも結構あるので、会話の邪魔にならないように僕のほうは話を切り上げて最初の現代国語の教科書を出しておく。
「えっと、数学でちょっと分からないところがあって……教えてもらったり、できる?」
おっと、勇者だな。それとも蒼葉のことを詳しく知っているわけではないのか。同じクラスとはいえ、この女子生徒は今年初めて一緒のクラスになったみたいだし、知らなくても無理はない。
「ごめんなさい、私は力になれないわ。勉強は自分自身で頑張るものよ。教えられることはなにもないの」
「え……」
女子生徒がショックを受けた表情になる。そうだろうな。
「あー、ごめん。風紀委員長サマは人に教えたりはしないんだよ。雑談はするけどお堅い人だからさ、他の子に頼んでみてくれ」
「……ごめんなさい。分かりました」
一見優しくて与えたがりに見えるこの風紀委員長サマは、その実あまり面倒見はよくない。なぜなら……。
「いいのか? 教えることも勉強のうちって言うけど」
「いいのよ、これくらい教科書見てればできるようになるわ」
「それ、あんまり人前で言うなよー?」
ツンと澄まして言い放つ彼女に、苦笑する。
これが彼女が『冬の日差し』と言われる由縁だ。暖かいときもあれば、冬特有の冷たさが襲うこともある。心が氷でできた風紀委員長とまではいかないが、いかんせん人に手助けすることが少ない。むげに断ることだって多い。言いかたが冷たいために普段のお姉さま然とした彼女とのギャップで、メンタルの弱い子なんかはショックで泣き出してしまうこともある。
だけれど、別に冷たくしたいわけじゃない。
「だ、だって、どう教えていいか分からないもの……」
「そう言えばいいのに」
「嫌よ。『なーんだ、案外頼りないんだね』って思われたくないの」
「この、いじっぱりめ」
小声で落ち込む彼女に話しかけるものの、ばっさりと否定される。
そう、忘れてはならない。蒼葉は『やることがないから勉強ができる』のだ。教科書を読んで勉強した結果できるようになってしまっただけなので、人に教えるという行為は大の苦手なのである。
分からないのが分からない……というべきか。
だから教えたいと思っても無理なものは無理なのだ。断るしかない。もっと断りかたを優しくすれば冷たい印象にならずに済むのにそれもできていない。
まったく、不器用なやつだ。
そしてこの事実を知っているのは僕だけ……。
「ちょっと、人が落ち込んでいるときになにその顔。またスケベなこと考えているでしょう?」
「君は『また』って言いますけど、いつ僕がそんなこと考えてるって自己申告したことがあったっけ?」
「えーっと、数え切れないくらい?」
「記憶を都合よく改竄するのはやめていただけませんかね?」
そうこうしているうちにホームルームが始まり、お互いに黙り込んだ。
机に頬杖をついて担任の教師が廊下を気にしながら歩いてくることが妙に引っかかって、嫌な予感を覚える。
「今日は転校生がいます」
僕はその言葉で盛大に眉をしかめたのであった。
次回午後12時頃投稿。