残念なわたしと、優しい嘘つきの幼馴染
【想いが通じるまで、あと……?】
どら焼きを一口ずつ食べて、額が擦れ合うんじゃないかと思うくらい近くって……ああ、とてもとても恥ずかしいわ。嬉しいけれど、それとこれとは違うのよね。
昼休みの出来事を思い出すだけで、ほうっと自然と口から溜め息が漏れていた。
「雪染さん、どうしたのかしら?」
「……え?」
無心なまま、ぼおっと考えていると、いつのまにか先輩に話しかけられていたみたい。音符型のヘアピンが視界に飛び込んできて、次いで視線を下に動かすと目の前に心配そうな顔があった。
おっとりしていて面倒見の良い、三年生の秋音ユイ先輩だ。
ここまで状況把握してようやく気がつく。風紀委員会の教室で響いていた小気味の良いタイピング音が途絶えていた。
データをまとめていた目の前のパソコンは、途中まで完璧に入力されていて、後半は延々と『ゆきはる』の文字が続いている。
あ、やっちゃった! やっちゃったわ! どうしましょう、早く消さないと!
雪春以外にこんな残念なところ見せちゃったら呆れられちゃうわ! 嫌われちゃうわ! だってだって、ずっと完璧無比で通してるんだもの! きっと見捨てられちゃう! 本当のわたしを知っていても、あまりにもドジだったらきっと……!
内心の焦りに蓋をして、少しだけ眉を下げながら素早く後半の『やらかし』を消去していく。ああ、やり直しだわ。時間のロスをするなんてわたしらしくもない。これじゃあ時間以内に終わらせて雪春と一緒に帰れなくなっちゃう。早く、早くやらないと。ええと遅刻のチェックは……。
「えっと、秋音先輩……わたし、そんなに変でしたか?」
パソコンへの入力作業を再開して尋ね返す。どうだったかしら? おかしなところを見せたくないわ。先輩はわたしを慕って部長にしてくれているけれど、それもきっとわたしが完璧に仕事をするからに違いないもの。
「ええ、雪染さんにしてはうわの空というのかしらぁ……なにかあったの? さすがに心配よ」
「そう……でしょうか? 自分ではあまり自覚がなくて。ごめんなさい」
「ううん、なんだか恋する乙女みたいな顔してたから気になっちゃったの。雪染さん、元から可愛いのに、ますます可愛くなっちゃってるんだもの!」
「え!?」
こ、恋!? 恋する乙女!?
そんな顔していたかしら、と自分のほっぺたをむにっと引っ張る。
どうしよう、鏡でもないと分からないわ。だらしない顔じゃないといいのだけれど。
そこまで考えてはたと気がつく。
恋をしているような顔って言われて、ちっとも嫌な気分にはならない。むしろ心のどこかで納得している自分もいて……それじゃあ、相手は? とそこまで考えて頭に浮かんできたのは、やっぱり意地悪な幼馴染の顔だけ。
無表情に近いけれど、よくよく見ればわたしに向かって微笑んでくれたり、すごく大切なものを見るような優しい目で話してくれたり……それと、わたしが完璧でなくても態度が一切変わらないどころか、「ドジだな」「しょうがないな」「君は少し休んでいてもいいよ」なんて言って用事を代わってくれたり……。
出てくるのは雪春の顔ばっかり。
確かに彼は嘘つきだし意地悪もするけれど、わたしが本気で嫌がるようなことはしないってことを、知っている。そこの線引きだけは明確で、わたしを楽しませようとしているのか、自分が楽しみたいのか分からないけれど、たくさんたくさん面白い嘘をつく。
その嘘で「やられちゃった!」と思うことはあっても、不思議と不快にはならない。なぜかしら、あたたかい……からなのかしら。胸の内側がぽかぽかとして、わたしも「仕方ないわね」って許してあげたくなってしまう。
「あ、ほらやっぱりそうだわ! もしかして相手は斎宮君かしらー?」
「そ……」
ああダメだわ、言い澱んじゃった。
これじゃあ否定なんてしても意味がない。そもそも、否定したかったの? わたしは。いや、否定なんてしたくないわ。でも、雪春にこの想いを伝えることもできないわ。
「……告白はしないの?」
「ええ、できません。だって、幼馴染で……距離が近すぎますから。いまさら、意識してくれるわけないですもの」
そう、雪春との距離が近すぎるのはお昼休みの一件だけじゃない。
家だってお隣だし、昔から一緒に遊んでいるし、食べ物のシェア、遊ぶもののシェアだって昔は当たり前だったわ。向こうは男友達と同じ感覚でしかないと思うの。
だから、女として意識されるはずがないの。
ただでさえみんなからは完璧無比な風紀委員長って言われていて、近寄りがたい。今でさえ、なんでわたしが雪春と仲がいいのか疑問に思う人だっている。
そして、本当のわたしはドジで騙されやすくって、それでいて脳みそまで筋肉だなんて言われちゃうくらいに強引で……全然完璧なんかじゃない。
そんなわたしを知っているのに、全然態度が変わらないのは嬉しい。
でも、だからといって、それが恋愛対象になるような可愛らしいキャラかと言ったら、違う。
どちらかというと、雪春にとって妹とか庇護対象に近い。
わたしのほうが背も高くてお姉さんなのに!
ああ、自分よりも大きい女とか嫌よね。分かっている。
だから、気づかれないまま、この関係のままそっと長く一緒にいられたら……それだけで、わたしは幸せだなあ。
「距離が近づくのが怖いんですよ、わたし。きっと意識されていませんし、自分より背が高い彼女なんて嫌だろうし、風紀委員としてのわたしは融通が効かなくて嫌なやつですし……だから、この心地の良い関係のまま、ずっと一緒にいられるだけで、わたし幸せなんです」
「雪染さん……!」
自己嫌悪に沈み込む。
先輩が言っていた「拗らせカップル尊いわあ〜!」という言葉はちょっとよく分からないけれど、とりあえずカップルじゃないって否定すればいいのかしら?
ねえ、雪春。今日はじめて気づいたのよ。
わたし、幼い頃からきっと――。
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