わたしにとって、恋というのは
「はあ〜なにそれ最高じゃないのぉ〜! 蒼葉ちゃん、乙女よねぇ〜!」
◇
雪春とはいつもと同じように学校の玄関で別れて、風紀委員の教室に行くとそこで待ち構えていたのは姫宮さんだった。
「今朝はどうだったかしらぁ!」
開口一番訊いてきた彼女に押され気味にのけぞり、クッキーを頑張って作ったことを話すと、彼女は顔を手で覆いながら天を仰ぐ。
先のセリフはそのときに発した言葉だったわ。その言葉にも照れてしまって俯いてしまう。
ああ、嬉しいわ! 嬉しいわ!
雪春にクッキーを受け取ってもらえた!
で、でもでもあんな! あんなやりとりをするなんて予想外よ!
普段は触れてこない雪春があんな……あんな、頭を撫でてくれるだなんて! わたしからお願いしたこととはいえ、あんなあっさり!
顔が熱いわ。どうしようかしら!
「ふ、ううううう」
「うふふ、大丈夫だよぉ、蒼葉ちゃん! あ、蒼葉ちゃんって呼んでもいいかなぁ? 推しを呼び捨てにするなんてとてもできないけどぉ、お友達にはなってほしいなぁって!」
「い、いいわよ……好きに呼んで……」
「じゃあ私のことも姫ちゃんって呼んでほしいなぁ」
小さい声でお返事をしてから顔を上げる。あら? 彼女の名前って姫宮桐乃よね。
「ええっと、桐乃ちゃんじゃなくて……いいのかしら?」
「え!? まさか恐れ多くも推しに名前を呼んでもらえるというのですか!?」
学校にいるからか、姫宮さんはいつものように間延びした口調だったのに、よほど驚いたみたいで敬語が飛び出してきてしまったみたい。
「そんな大層なものじゃないもの……」
そうよ。だって、一人の男の子に振り向いてもらうこともできないわたしなんて、きっと大したものじゃないんだわ。そんな小さなことで悩むだなんて……完璧無比の風紀委員長だなんて呼ばれているのに、失格よ。そうよ失格だわ!
そう思うとすごく悲しくなってきちゃう……。
「そんなことはないわ〜」
がらり、と教室の扉が開いて柔らかな声がかけられる。
「秋音先輩!」
「おはよう、雪染さん。今日も早いわねぇ」
のほほんとした優しい雰囲気で言った彼女は、次に教室の中へ視線を滑らせると、姫宮さんに行き着く。初めて会う子だからか、秋音先輩は不思議そうに首を傾げた。
「……」
「……」
「えっと?」
なにやら無言で視線のやりとりをする秋音先輩と姫宮さん。
一度だけ、二人いっせいにこちらを見てなにやら通じ合ったように頷いた。
「――雪蒼は?」
「尊い! です!」
「同士ね〜」
「そうですねぇ!」
そしてまったく同じ動作で握手をする二人。
あの、雪蒼ってなにかしら……?
「改めて私、姫宮桐乃と申しますわ。やはり先輩は同好の士でしたのね!」
「ええ、こちらこそよろしくお願いするわ〜。うふふ、嬉しいわあ。風紀委員会以外にも同士がいたのね〜! 知っているかもしれないけど、私は秋音ユイよ〜。よろしくね姫宮さん!」
うーん? 確か、姫宮さんが秋音先輩に聞いてわたし達の居場所を知った……って言っていたけれど、もしかして本当に聞いただけだったのかしら?
二人とも改めてって意味合いで言っているようだけれど……うん、どうやら仲良くなれたみたい。
それは良かったんだけれど、いったいなんの話をしているのかしら?
わたしをチラチラ見ている……ユキアオ。雪春のユキとわたしの蒼葉のアオ……? それに、姫宮さんは先日のカミングアウトもあるし、秋音先輩もわたし達の応援をしてくれているのは共通するから――つまり、わたしと雪春の仲を応援する同好の士になった……ってことかしら?
え、ええ!?
ほ、本当に!? いや、そんなことはないはず……。
「あ、あの……ユキアオって……?」
「蒼葉ちゃん!」
「ひゃ、ひゃい」
言った瞬間に手を握られて変な声が出てしまったわ! どうしよう、どうしよう! 情けないわ……こんなことで動揺してしまうだなんて!
「ユキアオというのは、つまり、雪春君と蒼葉ちゃんの二人をまとめて呼ぶときの呼称よぉ! こういう呼び方をね、一部の界隈ではするものなのぉ! 専門用語だから知らないのも無理はないわぁ! これはねぇ、カップルを呼ぶときの名称よぉ!」
「へ?」
頭が、真っ白になっちゃった。
思考停止してゆっくりとまばたきをする。
「えっ? えっ? えっ? かっ」
「あらぁ」
みるみるうちに顔が赤くなっていく。ああもう! きっと耳まで赤いわ! どうしましょう! どうしましょう! 恥ずかしいわ! こんなはしたないわ! でもでも止まらないの! うう、ここに女の子しかいなくてよかった……。
「ときに秋音先輩、これはもうファンクラブが必要ではないですか?」
「そうかもしれないわねぇ。二人で募ってみましょうか〜」
「そうしましょう!」
もう、もう、二人がなにを言っているのかも理解しきれないわ。
おかしいわ、おかしいわ、この頭は回転速度だけなら速いほうなはずなのに! 処理できない。どうしても熱暴走しちゃいそう!
おかしいわ……こんなにも分からなくなるだなんて。
恋って、不思議なものなのね。
「……ねえ、二人は。二人にとっては、恋ってどんなものかしら」
ポツリと言葉をこぼして二人を見つめる。
低い位置にある姫宮さんの唇が妖艶に釣り上がった。
「私にとっては眺めるものですわ。そして、不可逆のもの」
不可逆のもの……恋をしたら、もうそれ以前の自分には戻れないもの。
確かに、そうかもしれないわ。雪春かいなくなってしまったら、以前のわたしに戻れるかどうかなんて分からない。
それに、この気持ちを捨てるだなんてありえない。握って離したくない。成就することがないとしても、ずっとずっとこの想いを捨てることはないと思っていたわ。だから不可逆。確かにそうね。
「うーん、私にとっては、幸せなひとつの解答かしら〜。それを幸せという人もいるし、見ていたらとってもふわふわしていて、甘くて素敵な綿飴なもののように見えるのよね。でも、甘いものが苦手な人だっているわ」
素敵なもの。それも確かにそう。
それを幸せという人もいるし、そうじゃないという人だって当然いる。
わたしだって、元々は……元々はどうだったかしら。ええと、そう、あの頃は一人でいるほうが楽だったはず。雪春が、引っ越してくる前までは。
同年代の子達とは話題が合わないし、嫌われちゃうし、今思えばその年代の子供にしては大人っぽすぎてしまったのだと思う。他の子に合わせるのが苦痛で、一人でお勉強したり、運動しているほうが好きだったわね。
「で、雪染さんは?」
秋音先輩に訊かれて口を開く。
「ありきたりですけれど、恋は病……でしょうか。体の中で起こる化学反応とか、電気信号で起こる勘違いとかと同じもの。突然かかってしまう、不治の病。ちょっと怖い表現かもしれませんけれど、わたしにとっては青天の霹靂だったんです」
「うんうん」
変なことを言っている自覚はある。
こんなにも恋に恋しているというのに、それをよりにもよって電気信号による勘違いだなんて言っちゃって。でも、実際そう思っていたのよね。
なのに雪春への想いはいくらでも積み上げられていって捨てることなんてできないし、中毒症状が起きてしまうほど離れられない。
「恋って、麻薬みたいね」
ちょっと怖いの。でも、やめられない。
きっと、そういうものなんだわ。
「恋は麻薬かぁ〜なるほど! 蒼葉ちゃんの言葉で表すとそんな感じになるのねぇ。はあ〜、創作意欲が捗るわぁ!」
姫宮さんが感嘆したように声をあげる。
え、ええ? 少し変なことを言ったと思ったのに。
世の中の恋する乙女に聞かれたらすごく反発されそうなこと言ったのに、受け入れてくれるの?
「秋音先輩!」
「そうね姫宮さん!」
再び二人が意気投合したようにハイタッチをした。
え、ええ?
困惑の笑みを浮かべていると、秋音先輩がわたしの頭にポンと手を乗せた。
「よしよし、私達は全面的に協力するわ〜!」
「そうそう! 蒼葉ちゃん! 雪春くんを落とすためにありとあらゆる手段を考えてくるから待っていてちょうだい! 唸れ私の創作脳……! テンプレを踏襲しつつ告白イベントまで行くのよぉ!」
「そ、そう……ありがとう、ございます……?」
ねえ、雪春。
恋のキューピットって、こんなに押しが強いものだったかしら……?