いつもとちょっと違う、甘い甘い朝の光景
姫宮さん襲来から微妙に機嫌を損ねていた蒼葉は、次の日に電話をしてみるとすっかり元の通りに元気いっぱいになっていた。
僕は色々と悩んでいたというのに、のんきなやつだぜまったく。
いや、いつもよりも少しだけ積極的……だったかな? なんだかテンションが高めで、チョコは好きかとかクッキーは好きかとか、チョコチップクッキーのことどう思う? とか、変なことばかり聞いてきた。
途中から好きなクッキーのメーカーまで聞いてきたときは頭でも打ったんじゃないかと思ったのだが、さすがに口には出さず、こっそり熱でも出てないか確認したくらいだ。
それほど珍しい。バレンタインやホワイトデーなんかもとっくに過ぎ去ったあとなので、そういうイベントごとがあるわけでもない。僕の誕生日が近いわけでもない。
なんだろう?
胸の内側で、少しだけ「まさか、作ってくれるのかな」などと期待を抱くものの、蒼葉はとんでもなく不器用なやつだから、と首を振る。
ないない。そんなことがあったらびっくりして逆立ちしたまま絵を描いてやれるね。
さて、疑問が解決してすっきりとした休日が明けた。
いつものようにお弁当を用意して、蒼葉と待ち合わせて学校へ行くことになる。
玄関を開ければ、しかしいつもは蒼葉のほうが家を出るのが早いのに、今日はまだ出てきていないことに気がついた。
珍しいこともあったもんだ。珍しい出来事がこうも重なると、なんだか新鮮だな。そう考えていると……慌てたように蒼葉が玄関を開けて、そして段差で引っ掛けて転びそうになる。
「あわっ、わっ!」
「大丈夫か?」
咄嗟に蒼葉の下に潜り込むと、彼女に上からガバッと抱きつかれるような形で受け止めることになった。
くう、身長差があるのが悔しいところだな……もっと格好良く助けたかった。
「あ、ありがとう……雪春」
「どういたしまして。蒼葉が無事ならそれでいいよ」
「ひゃっ、あ、あの、耳元がくすぐったいわ……?」
覆いかぶさってきたまま、蒼葉がポツリとこぼしたので、返事をする。するとどうだろう、蒼葉は驚いたように声をあげた。
しかし、僕の肩口から頭を上げずにぐりぐりと猫のように額を押し付けてくる。珍しいも珍しい。僕としては嬉しいけれども、いったいどうしたんだ?
そのまま気になって肩に乗っかった彼女の頭を横目に見れば、耳まで赤色に染まっていて、期待に胸が膨らむ。もしかして、照れてくれた?
いやそんなまさか……今更こいつが照れる?そんなことあるのか?
「僕の声、好き?」
「うん」
「えっ」
僅かな沈黙。
あ、やばい。これお互いに顔真っ赤だろ。
「あっ……なんでもないわ!それより、助けてくれてありがとう雪春!大儀である!」
「なにキャラだよそれ」
「なんでもいいでしょう!気にしないの!」
「はいはい」
先に沈黙を破ったのは蒼葉のほうだった。
チラッと視線を向けると、真っ赤な顔のまま腰に手を当ててふんぞり返っている。胸を張っているため、きっちり着こなされたブレザーの下からいつも以上にいろいろと主張している。そういうことをするのは僕だけの前にしなさい。風紀委員だろ君は……。
「はっ!雪春がなにかスケベなことを考えているわね! ピキーンと来たわ! この跳ね毛に!」
「アホ毛の間違いだろ。どこの電波を受信しているんだ」
「雪春放送協会!」
渾身のドヤ顔である。
「いひゃい!やめてよ雪春!」
イラッときたので柔らかいほっぺたをムニっと両側から掴み、グリグリする。それだけで涙目になった蒼葉がやめるようにと声を張り上げた。
「はい、終わり。行くぞ」
「うん、あ、待って!そうだこれ、今日はね、わたし頑張ったのよ!」
いざ歩き出した途端に、また引き止められて振り返る。今度はなんだよ。
「え――それって」
蒼葉は両手を前に突き出して、その手の中にある袋を僕の胸に押しつけて来ていた。彼女の顔は俯いていて、どんな表情をしているかは分からない。
ただひとつだけ分かるのは、彼女の紫がかった黒髪の隙間から覗く耳が朱に染まっているということだけ。
「クッキー……頑張って作ってみたのよ。受け取ってくれるかしら?」
よく見れば、彼女の指はなぜか絆創膏が貼られている。クッキーを作るのに包丁を使う機会なんてあんまりないだろうに、努力の後が垣間見えて眉を下げた。
「ありがとう……」
「いつも、ありがと雪春! えっと、それでね? そのー……」
ん、まだなにかあるのか?
袋を受け取りながら首を傾げる。
「褒めて、ほしいのよ。君の手で頭を、撫でてみて?」
「……」
今日は驚いてばかりだ。どうしたんだ、こんな蒼葉は知らない。
でも……望んだものに一番近いのも確かで……震える手を彼女の頭に乗せる。
「あはは、へったくそだわ」
「悪かったな、下手で」
いつもとちょっとだけ違う朝。
しばらくそうやって、戯れているのだった。