絵を描く雪春が好きなの
わたしは雪春が好き。
もちろん、どんな彼も好きだって自信があるけれど、特に絵を描いているときの真剣で、真面目で、好きなものに没頭しているのが見て取れる雪春が一番好きなの。
毎週の土日に公園に来て、桜を見たり、咲いているツツジを見たり、おしゃべりしたり……雪春の作ってくれたお弁当を食べたりして一緒に過ごす。
家もお隣だから、朝から夕方まで四六時中一緒で、なんだか……そう、夫婦になって公園デートとか、お花見しているみたいな気分になるわ!
そう、気分だけね。
だってこの気持ちに気づかれたらダメだもの。
雪春はきっとわたしのことを『幼馴染』としか思っていない。距離が近すぎるから、異性として意識してくれるわけがない。
だから恋心にそっと蓋をして、寄り添うの。
少しだけ、気持ちだけは恋人気分で、でも伝えない。
いきなり告白なんてして、もし困らせてしまったら? 引かれてしまったら? ……もし、嫌われてしまったら?
彼は優しいから、きっと嫌われてしまうことはないと思うけれど、どうしても大きな不安が脳裏をチラついてしまう。なにか行動を起こしてみようとするたびに、「困らせたくないわ」とブレーキがかかってしまう。
いつもいつも、分かっているわ。
雪春は視線が怖いわたしのために、なにかあるたびにわたしを呼ぶ。気を惹いて、悪意のある視線に気づかせないようにしてくれている。
道路を歩くときだって、無意識なのかは分からないけれど、自然に雪春は道路側を選んで歩いているの。わたしの、安全のために。
雪春よりもわたしのほうが運動ができるのに、おかしいわよね。でもでも、その気持ちがね、すごく嬉しいのよ。だからそのたびにキュンキュンしちゃってどうしようもなく嬉しいの。一日に何回、わたしは彼に惚れ直しているのかしら。
風紀委員の先輩がたにも雪春との仲がどうかをことあるごとに聞かれて答えるたびに、思い出して「好き」って思っちゃうくらいよ。
先輩がたは、わたしのそんな行き先のない幸せを、すごく楽しそうに聞いてくれるから余計に止まらなくなってしまう。
雪春が怪我をしたときとか、危ないときとか、そういうときは無意識に助けて、あとから「やっちゃった! やっちゃったわ!」と落ち込んでしまう。
このあいだだって、雪春をお姫様抱っこして保健室なんかに行っちゃったんだもの! そんなの、男の子が喜ぶわけないのに……力持ちな女の子なんか、きっと恋愛対象にはならないわ! 自分で自分の首を締めてどうするのよ。
でも、怪我をした雪春を見たらどうしようもなくて、止まらなかったんだから仕方ないのよ。
雪春と一緒に調理実習をしたのも記憶に新しいわね。とても情けない話だけれど、わたしは料理が下手だからたくさんたくさん迷惑をかけてしまったわ。
でもね、一緒にお料理をしていると、優しく丁寧な手つきで料理をする彼を間近で見られるから、とても好きな時間でもあるの。
彼は無遠慮に頭を撫でたりなんてしない。
でも、もし彼がわたしを撫でて来ようとしても、遠慮のない男子みたいにぐしゃぐしゃにはきっとされないわね。料理をしているときの、あの手つきのように、きっと優しくて、丁寧で、壊れ物を扱うみたいにしてくれると思う。
いつも彼が一人でいるときみたいな眠そうな目じゃなくて、わたしと穏やかに話しているときみたいな、愛しいものを見るような、慈しむような優しい目で撫でてくれるに違いないわね。
……想像するしか、できないのだけれど。
このあいだ雪春の隠していた絵を見ちゃったときも、彼は焦っていたけれど怒りはしなかったわね。ほんの少し、一瞬だけ、その絵の中の天使が自分に見えた……なんて言ったら、彼怒るかしら。
あの天使がわたしだったらいいのになあ、なんて言ったらダメかしら。
人物画はわたしだけなんて言っていたけれど、空想上の女の子はいいのかしら。ちょこっとだけもやもやとして、先輩に相談したらこれは嫉妬だって言われてしまったわ。
絵の中の女の子に嫉妬するなんてありえない、ありえないわ。はしたないわ! ただでさえ雪春よりも力持ちで運動ができて、女の子として見てもらえていないのに……その上で絵に嫉妬なんて、知られたらきっと嫌われちゃう。そんなの嫌よ。だから、絵を描く土日は一緒にいて、モデルになるの。そうしたら絵の中の女の子は『わたし』になるもの。
こっそり、『わたし』にするの。
たとえ絵だとしても、真剣な表情で見つめられるのはわたしがいいなあ、なんて。可愛くない嫉妬ばかりしてしまう。こんな本性知られたくないわ。幸い、雪春ってば嘘つきなのにわたしの嘘には気がつきにくいの。
大丈夫、大丈夫、平日も一緒で、土日も一緒。
ただの友人と呼ぶには少し距離が近すぎるけれど、昔からそうだから違和感はない。このまま、彼を独り占めしていたいなあ……と願う。
桜の花が綺麗な公園のベンチで、二人してキャンバスを前に絵を描き、教わりながらのんびりと過ごすのがわたしの幸せ。
絵を描く雪春の横顔を見るのが、わたしは好きだから。
そうやって見つめていると、チラッとやる気のない彼の視線とわたしの視線が交わった。
「どうしたの、蒼葉?」
「い、いいえ、なんでもないわ。ねえ、雪春。桜の花が上手く描けないの。どうしたらいいかしら」
「立体的に描きたいの? それとも風景として? ちょっと見せて」
「うん、こうなんだけれど」
ひとつのキャンバスを二人で覗き込みながら、アドバイスを聞いて筆を取る。
この時間がわたしにとっては、いっとうに幸せなものなの。
ずっとずっと、いつまでも続けばいいのになあ。
わたしの手に添えるように伸ばされた彼の手があったかくて、もう片方の手で朱に染まっているだろう自分の頬をそっと抑えた。
「……もしかして寒い?」
「いいえ、雪春の手があったかいから大丈夫よ」
「そ、そう? それならいいんだけど」
照れた雪春も好きだな。
雪春はクールで、真面目なのに嘘つきで、だけどわたしのヒーローで、それでときどき照れた顔の可愛い男の子。
毎日想うわ。わたし、世界で一番雪春が好きなんだって。
そして毎日願うわ。この日常がどうか壊れませんように。
たとえ、報われなくても、いいから。




