幼馴染を天使として描いた絵を見られました!?
「梔子くん、冴島さん一コマ分ほとんどを居眠りしたので一点、川底くん授業中のスマホ……」
「記録……大変だな」
「そうかもしれないわね。けど、月に二十点も貯める人なんてほとんどいないから気楽なものよ? 五点以上になったら注意もするし」
なにげに風紀委員は大変だ。こうして授業中によろしくないことをしている人をしっかりと記録しておかなければならないからだ。
授業中でなければゲームオッケーだったり、同じく授業中でないならお菓子オッケーだったりするので、校則自体はそれほど厳しくなく緩いものなんだが……それを取り締まる側の蒼葉達は、真面目に違反者が出ないように目を光らせていて忙しい。
そもそも、月に二十点以上のサボリポイントなんて、取ろうと思わなければ取れないレベルなのだが。
居眠りだってうつらうつらしているだけなら許されるし、それこそ授業中まるまる寝てない限りはカウントされないからな。
一瞬寝てただけで点をつけていたらブーイングの嵐だし、それだと風紀委員が忙しくなりすぎてこいつらが過労死してしまう。
まあ、風紀委員の中にも多少サボっているのはいるだろうが……その点蒼葉だけは抜かりないぞ。
常に席は一番後ろ、授業中に寝ることもなく、放課後はこれから校内の見回りをして、規定の下校時刻には門のところに立って部活動のない生徒達の見送り……と、聞くだけで目が回りそうな業務内容だ。
上級生と、同級生の中でも以前の風紀委員の被害を受けていた人達は、そんな今の体制にも比較的好意的だが……そんなことを知らない下級生と、対岸の火事を決め込んでいた同級生の半分ほどは厳しすぎると思っているようでクレームがよくつくらしい。
完璧美少女であるから表向きもてはやされているが、その裏でどう思われているかなんて分からない。
そんな中、風紀委員の仕事を全部自分からこなしている蒼葉は、素直にすごいなと思っているし、尊敬している。
けれど、やはりものすごく恨みも買いやすい。
……ので、僕はいつも彼女の風紀活動が終わるのを第二美術準備室で待つことにしている。前のように、彼女が一人で追い詰められたりされないように、朝の登校と帰りは必ず一緒になって、様子を見ることにしているのである。
仕事中にくっついて歩かないのは、そこまでするほど過敏に干渉していると心配していることが彼女にバレてしまうからだ。彼女を守るためにこっそりと外側から動いているのを、本人に知られてしまったらちょっと恥ずかしいし。
今日も蒼葉は大丈夫だろうか? そんな心配をしつつ第二美術準備室にやって来た僕は、絵具を用意して教室の片隅に置かれたキャンバスから埃除けの布を取り去る。
僕が絵を描くのが、なぜ美術室でないのかというと、そちらは美術部の領分だからだ。
僕は蒼葉を待っているだけで、別に美術部員というわけではない。
それに、人物画を描かないなんていっているくせに天使の絵を描いているところなんて、誰にも見られたくない。
……と、思っていたんだけどなあ。
「雪春ー、先生にお願いされちゃったから、明日の授業に使う教材を運ぶの手伝っ……」
ガラリと開かれた第二美術準備室の扉。
絵筆を握る僕、目の前には天使を少しずつ描いているキャンバスと、それを支えるイーゼル。固まる背筋に、止まる手。ギギギと彼女へ振り返ると、その視線は真っ直ぐとキャンバスへと向かっていて……。
「あの、これは」
「わたし……?」
疑問気な呟きに、ぎくりと肩を震わせる。
「ん、違うか。天使の絵かしら? あはは、わたしったら変な見間違えしちゃったわね。ねえねえ雪春、人型は描かないんじゃなかったの? 練習?」
……この幼馴染が天然ポンコツ娘でよかったと、今すごく実感しているところである。幼馴染をモチーフに天使を描いている、なんて知られたらこの場で舌を噛み切って死ぬレベルの羞恥だ。
「はは……やっぱりコンクールだと風景より、宗教画のほうが選ばれやすいからね。挑戦してみようと思って」
さらりと嘘をついて目を逸らす。
今日の嘘は、下手くそだ。
「ふうん? いつもそれを描いていたのね。どうして教えてくれなかったの? わたし、雪春の絵好きなのに」
前はお互いに教室に迎えに行ったりしていたが、最近は校門前で合流して帰っていることのほうが多かった。僕がそうしてくれと言っていたからだ。当然のことながら、この絵を描き始めてからの話である。
僕の隣へ歩み寄ってきた蒼葉が、キャンバスを覗き込む。
顔のすぐそばで、真剣に僕の絵を見つめる瞳と、さらりと肩から流れ落ちてくる黒髪がくすぐる。
落ちてきたその髪をすくった左手が、かきあげるように耳に黒髪をかける。
僕は横目に、屈んで真剣に絵を見つめる彼女に見惚れていた。
ゆえに、ぽーんと直前に考えていた言葉が転がり出てきてしまう。
「えっと、これを見られたら舌を噛み切って死んでやると思ってたから」
「自殺!? やめてよ! や、やらないわよね? 雪春、死んじゃいやよ? わたし!」
「……心の声が。やらないよ、大丈夫。嘘だ」
「本当に本当に嘘? というより、心の声でそれを言っているほうがよほど大丈夫じゃないわよ!」
慌てる彼女の姿を見てだんだんと冷静になってくる。
「本当だよ、大丈夫。なんならモデルになってくれてもいいんだぜ?」
「いいわよ? 練習になるならいくらでも付き合ってあげる」
「え」
格好つけて言った言葉に、思わぬ肯定が返ってきて間抜けな声が出た。
「なによ、そっちが提案したんでしょうに。わたし、君の絵が好きだし……間近でそうやって絵具が乗せられていくのを見てみたいって、ちょっと思っていたからちょうどいいかなって」
あの、殺し文句すぎやしませんかね蒼葉さん……?
「……そっか、それなら願ったり叶ったりなんだけどさ。風紀委員の仕事はいいの?」
嬉しさとか、恥ずかしさとか、彼女への好意を精一杯抑え込みながら尋ねると、蒼葉は眉をハの字にして困ったように声を出す。
「時間帯のシフトもあるし、先輩方には夜遅くになる前に早く帰りなさいって言われているの。危ないからって」
「ああ……君のこと、好きだよね彼女達」
「心配しすぎって思っていたけど、この際甘えちゃおうかしら……」
そうやって悩ましげに言うので、ほんの少しの後押し。
「君、真面目すぎるんだよ。体力もあるし、優秀なのは分かってるけどさ、あんまり根を詰めすぎると倒れそうで怖いから、お試しでお願いしてみたらどうだ? 可愛がってる後輩に頼られるっていうのも、先輩としては嬉しいことだと思うし」
「そういうものかしら」
「そういうものだよ」
納得した様子の彼女にほっとする。
これで少しは、恨まれるだけの風紀委員のハードワークが軽くなればいいが。
「そうだ、明日の授業の準備がなんだって?」
「あ、そうそう。明日ってその、調理実習があるじゃない? あと世界史で地図が……」
「なるほどね。りょーかい、手伝うよ」
絵具やキャンバスを片付けてから鞄を持つ。
今日は準備を手伝ったらそのまま帰ることになりそうだった。
「それじゃ、明日から放課後は絵のモデルよろしく」
「ええ、わたしがモデルになるからにはコンクールも金賞目指してもらわないとね!」
「へいへい、それは今まで以上に頑張らないとな。頼むよ、蒼葉」
「もちろん!」
こうして、些細なことから人物画を描いていることがバレた僕は、ありがたいことにモデルにしていた張本人の協力を得ることができることになった。
二人でコンクールの優勝……金賞を目指す。
そういうのもいいかもしれない。
黄昏時を過ぎて、オレンジと藍色の深い色の混じり合った空を見上げながら、そう思った――春の、ある日のことであった。




