ルールに厳しいのがデフォルトです
体育のあとにシャワーを浴びる時間がほしい……切実にそう思うのは僕だけではないはずだ。
いやいや、お前はそんなに運動していないだろうって? 周りを見てみろよ、お隣の完璧女子やら身だしなみに気をつけてる女子はまだしも、そこら中の無頓着野郎どもは制汗スプレーさえ使わずに着替えてこない。
別に禁止されていないのだから、多少汗を拭ったり、スプレーで緩和してもらいたいものだ。そこにいるだけで汗臭さが広がっていくからな。
それを考えると隣に蒼葉がいるのはラッキーかもしれない。
横顔をそっと覗き見る。凛々しく背筋を伸ばして数学の問題を写し書く彼女からはほのかな甘い香りが漂ってくる。女子の中でも相当運動して汗をかいただろうに、まったくそんな気はしない。香水で無理矢理ごまかしたような香りでもない。自然なものだ。いったいどうしたらそんな風にできるんだか。
「ん?」
「いや、なんでも」
僕の視線に気がついたらしい彼女が首を傾げるので、顔を背ける。
なんでもないよと言って、素っ気ないふり。勉強で分からないところがあっても、こいつには頼らないと決めているので目の前のノートで四苦八苦するだけだ。こいつの場合、本当に教えを乞うても意味がないからな。なんせ、『分からないが分からない』んだから。
静かに続く授業と、教師の柔らかい声。
黒板を滑るチョークのコツコツという心地の良い音。
体育のあとだからか、いくらかの生徒が顔を伏せて眠っている。
眠っていなくとも、眠そうにしている生徒が多い。かくいう僕も眠たくなってきているが……。
「こら」
「ん、ごめん」
お隣の風紀委員長様が許してくれないものだからね。
別に風紀委員は関係ないが、蒼葉自身が元からルールに厳しいやつだ。だから……あ、ほら。天下の風紀委員長様がいるクラスでさえも、変なチャレンジ精神を持つやつはいるわけで。
「そこ、授業中にスマホをいじらない! 一番後ろの席のわたしにはなにをしていても見えるわよ。早くしまいなさい」
……というわけだ。真面目すぎなんだよ、こいつは。
ただ、スマホを安易に没収しないだけマシだと思う。堂々と注意するもんだから、不真面目な生徒にはめちゃくちゃ不人気だが。
蒼葉のいるクラスは品行方正で褒められることが多い……が、今年二年に上がってからクラス替えをして間もなくなので、こういう生徒も出てくるわけだ。
彼女には威圧しても、暴力で訴えて黙認させようとしても無駄。全て証拠を揃えたうえで教育委員会へ直談判しにいく行動力もあるし、なにより本人がただの暴力では御しきれないほど強い。
あれ、僕が守れるところなんて皆無じゃないか?
いやいや、いいんだ。だって蒼葉は、気丈で強くて格好良くて――でも、人並みに傷つく心を持っている女の子なのだから。
いくら男子に負けないくらい強くても、その心が傷つかないわけではない。
「天下の風紀委員長様のいるクラスで、規則を破ることは許さないわ! ゲームするのはいいけれど、休み時間にしてちょうだいね!」
教師に睨まれて、今年初めて同じクラスになったやつが蒼葉を憎しみのこもった視線で見る……前に、僕は蒼葉に声をかけた。
「蒼葉さん、ちょっといいか?」
「なに?」
僕のほうを向いて彼女が首を傾げる。こうして声をかけることで、視線を僕に集中させて違反したやつの憎しみの視線に気づかせないようにする。それが、僕のできる唯一のことである。
力の強さで守ることが叶わないのならば、言葉の力で手助けを。
まあなんだ。そのうちこのクラスもこいつの所業に慣れていくだろう。
変わりゆくだろうクラスを想像して目を伏せる。
「なに笑ってんのよ」
「いや、蒼葉さんは可愛いねって」
「んんっ、そんなことを言うために声をかけたんじゃないでしょう!」
動揺して声が大きくなる彼女に、悪戯気に微笑んでみせる。
それからノートのとある箇所を指差して声をかけた。
「ちょっと、ここの答え見せてよ。逆算して自分で分かんないところ解決するからさ」
「……分かったわ。ちゃんと理解できるようにしてよね」
「うん」
分からないなら、分からないなりに解決をする努力をする。
それを彼女は好むのだ。
クラスメイトの前では「蒼葉さん」「雪春くん」と呼び合い、二人きりのときだけに呼び捨てにする。たまに間違えそうになるが、これも特別感があっていい。
そうして和やかにやりとりをしながら午後最後の授業が過ぎ去っていく。
――そんな二人だけのやりとりを誰かが熱心に見ていたことなんて、僕らはまだ知らない。
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