愛してるチャレンジ
あの放課後の風紀委員会の教室で、僕はようやく自分の気持ちに気がついた。
あまりにも近すぎる距離に、長らく自覚のなかった感覚。
近くにいると心地好く感じる理由。安心する理由。ずっとそばにいたいと、思う理由を知った。
だから、こうして誰よりも彼女を優先してしまうのも必然で……。
「あれ、斎宮くんどこへ行くんですか?」
昼休み。いつものように蒼葉を追って教室を出て行こうとすれば、転校生の姫宮さんに呼び止められる。
振り向いて、一応の挨拶。
「所用があって」
「お昼は食べないんですかぁ?」
悪気はない……はず。ちょっと間延びした声に、遠ざかる足音。気が焦いて早口に「お弁当があるんだよ。それに、先約があるから」と告げる。
今朝初めて会ったのが僕だったからか、彼女はどうやら僕のことを気にしているらしい……けれど、さすがに一緒にご飯を食べるわけにもいかない。
そもそも、僕が作ったお弁当は蒼葉が二人分を持って風紀委員会の教室に置いている。教室で食べるという選択肢は、残念ながらない。
僕は早足でそのまま自分の教室から立ち去った。
◇
「やっと来たわね?」
数分遅れで僕が風紀委員会の教室に入ると、今か今かと待ち構えていた蒼葉が既にお弁当を開けているところだった。気が早いなおい。
「今日は君の好物だよ」
「あら本当? 甘いやつよね、卵焼き! あ、それに炊き込みご飯……!」
箸片手に喜ぶ彼女に口元が緩む。
これを見るために料理男子なんてやっているんだ。
立場が逆では? とは思うが、僕が「卵をレンジで温めて十分以上なら水分が飛んで爆発しない」なんて嘘を教えてトラウマを刻みつけたのだから、仕方ない。
あれ以来料理は僕担当だ。
「これのためにお昼休みを楽しみにしているところがあるわね〜! こっちは?」
「水筒? シチュー入りだよ。ちょっとバランス悪いけど、好きなもので埋めてみたかった」
「え、なにかわたし、特別なことでもしたかしら?」
「いいや、別に」
ただの気まぐれだ。
「それにしても、白くてドロドロのシチューのチョイスだなんて、雪春ったらスケベなんだから!」
「いや、いつも言うけれど、そう思う君の思考がスケベなだけだろ」
「それはそれ、これはこれよ」
「誤魔化さないの」
「んー、でも」
ほんの少しだけバツの悪そうにした蒼葉が微笑む。
「春にはなったけれど、まだ寒いものね。あったかいシチューは最高だわ。ありがとう、雪春の料理大好きよ」
不意打ち、だった。
「あ、もしかして照れてるのかしら?」
「……別に」
ふいっと顔を逸らして言うが、誤魔化しきれる気はしない。
「ほら、ほっぺた赤いわよ。ほらほら」
「はいはい、照れてますよ。悪かったなこんなんで照れるようなやつで」
「開き直ったー……もう、このツンデレ嘘つき野郎め!」
「僕を表す形容詞が酷すぎないか!?」
慌てて否定したものの、あっけらかんとして蒼葉が答える。
「事実じゃないの」
「事実だけど、もっとこう……言いかたってものがあるだろ?」
僕の言葉で、きょとりと彼女が目を丸くする。
「わたし達、そうやって言いたいことをオブラートに包み込むような間柄だったかしら?」
そういうのは卑怯だって言ってるのにこの人は、もう。
ますます正面から顔が見られなくなる。
「……親しき仲にも礼儀あり、だろ?」
「うーん、じゃあ……このツンデレ嘘つき男?」
「そんなに変わってないじゃん」
「応用編は、わたしには難しいのよ」
これが学年首席の言う言葉か?
なに言ってるんだ。僕より勉強できるくせして。
「そうか」
「うん」
そうして、どちらともなく沈黙。
弁当を食べていく静かな音だけが教室内に響く。
けれど嫌じゃない沈黙だ。蒼葉と二人なら別に気を遣って無理に話そうと頑張らなくても済むし、黙ったまま一緒にいられる関係は心地好い。
行儀悪くスマホの画面に目を滑らせながら、先程アップした動物の絵に反応が来ているかの確認と、軽い暇つぶし。
「ちょっと雪春。それはさすがに見過ごせないわよ。ご飯食べてるときにスマホは不潔だわ」
「ん、ごめん」
とりあえず怒られたのでしまおうと……したときにふと、暇つぶしに見ていたまとめページが目に入った。
『日頃の感謝を込めて好きな人に愛してると言うスレ』
ちょっとだけ興味を惹かれた。
スマホをしまって、視線を正面に。蒼葉は肩にかかる黒髪を背に払って、背筋を伸ばして行儀良く弁当を食べている。弁当に集中して伏せ目になった姿を見て、緊張が背中に走る。
「あ、あのさ、蒼葉」
「んー?」
いつもの調子で、そういつも嘘を言うときみたいに自然にいけばいい。大丈夫、きっと本気にしない。
『愛してるチャレンジ』なんてゲームみたいなこと、柄にもないけれど、やはり試したくはなる。
どんな反応をするだろう? 喜ぶ? 嫌がる? 不思議がる?
気になって仕方がなくて、ついに口に出た。
「愛し――」
彼女が首を傾げ、不思議そうな鳶色の瞳が視界に広がる。
「ゆー……って、なんの略だっけ」
「ICU? え、集中治療室じゃないかしら? どうしたの?」
「そ、そっか、そうだよな。ごめん、変なこと言った」
「いいわよ別に。またなにか嘘ついてくるのかと思ってドキドキしちゃった」
僕のっ、ドヘタレが!
内心で自分自身に毒を吐きながら笑顔で対応する。
慌てない、慌てない。嘘つきはいつでもクールに。自分に嘘をついてかわそう。そうしよう。別に傷ついてなんかいない。
「僕に嘘をつかれるのは嫌か? やっぱり」
恐る恐る尋ねると、蒼葉は「うーん」と顎に手を当てて考える素振りを見せる。
「嫌っていうより……呆れ? でも、不思議と嫌でもないのよね。いつも君の嘘っておもしろいし」
そりゃあ……決めたからな。僕の嘘で君が笑ってくれるなら、何度だって嘘をつきまくってやるって。
本人はそんなの知らないだろうが。
「そっ、か……」
「なに、嫌いだって言うと思ったのかしら?」
「まあ、多少は」
「何年一緒にいるのよ。慣れっこよ慣れっこ。今更嫌だなんて思わないわ」
胸を焦がすような甘い甘い言葉が身に染みていく。
ああ、これだから彼女はずるい。
たとえ言葉にしなくたって、彼女は明確に僕に好意を伝えて来てくれている……。そう、無理矢理『愛してる』なんて言葉にしなくたって、想いは通じるものだ。
そんなことに挑戦しようとしていた時点で、はじめから僕の負けだったみたいだ。
――勝ち負けなんて、バカらしいけれど。
「雪春、なんだかすっきりした顔してる?」
「……そうかもね」
敵わないなあ……なんて。
まあいつものことだけれど。だから、僕は嘘をついて少しでも彼女の心を揺らそうとしてしまうのだ。
彼女も大概ツンデレだが、僕のほうがもしかしたらそうなのかもしれないな、なんて。
――遠くで、昼休みの終わるチャイムが鳴った。
「食べ終わったお弁当箱は洗っておくわ。夜に返しに行くから」
「分かった」
お隣さんだからこういうのもありである。
「戻ろっか」
「分かった」
教室を出て行ったときと同じく、彼女が前で僕が後ろからついていく。毎日の光景がここにあった。
両想い……と思いたいのだけれど、いつになったら告げられるんだろうなあ。そう思う昼下がりなのであった。
明日昼12時あたりに投稿




