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恋は落ちるもの、落とすもの(物理的に)  作者: 千羊
黒服隊副隊長と医務室の魔導士
3/5

02 医務室の彼

 雨粒がゆるりと窓のガラスを滑り落ちた。

 この季節は天気が変わりやすい。今朝は澄み渡る晴天だったというのに、手土産を買っている間に段々と雲が空を覆っていった。やがて雨が降り、本来は賑やかな街の声を吸い取ってただ水の跳ねる音が響く静かな空間へと変えてゆく。遠くに見える黒雲が不安な気持ちを大きくさせた。

 ―――雨は、嫌いだ。

 全てを奪い取ってしまう気がする。そのせいでさきほどロイクに応援してもらった気持ちも萎んでしまった。だからきっと、ノエミが医務室の扉を開けられないのも全て雨のせいだ。決して急に恥ずかしくなったからだとか、何を話せばいいかわからないだとか、ドキドキしてどういう顔をすればいいだとかじゃない!


 ロイクが教えてくれた医務室とは、この都市でその場所を差すのは基本的には一か所だ。それはこの中立都市ユートリアの最高議長及び議員と他の職員たちが働く都市議会塔(ヒュートル)と呼ばれる場所で、基本的には彼らが利用する場所だ。

 都市議会塔(ヒュートル)の警備はこの町で一番厳しいが、ノエミはこれでも黒服隊(フォロメオス)の副隊長。フィトス・フォロスの神色が畏れ多いと市民たちが身に着けることがない黒い服とその特徴だけで顔パスで通してもらえる。

 報告書の書き直しのために何度も呼ばれたお陰で歩き慣れた廊下を進み、医務室の前について早半刻。―――ノエミは未だに扉を開けられずにいた。

 いざ医務室に来たが。緊張で頭に血が上り震えが止まらず、気分を落ち着かせるためにと仕方なく都市議会塔(ヒュートル)を何周も回ったが、高鳴った鼓動が収まることを知らずに未だうるさく騒いでいる。これでは廊下を歩く職員たちから奇怪な目で見られるだけだ。だが、こんな真っ赤な顔、恥ずかしくて見せられたものじゃない!

 医務室の前に来る回数が両手に届きそうになったころ、勇気を振り絞るしかないと思い立った。

 大丈夫、お礼を言ってお土産を渡すだけでいいんだ。そもそもノエミは黒服隊(フォロメオス)の副隊長。本気になれば相手になるのは世界中探しても隊長しかいないといわれている。普通の人に倒されるわけがない。もし相手が向かってくるなら、迎え撃つまでだ!

 と、一周回って変な思考に陥ってはいたが、緊張で鈍った思考がそれに気づくわけもなく、大きく息を吸い、


「か、かかってこぉい!」


 勢いよく扉を開け、腕を構えた。


 ―――しかし、そこには人の影はなかった。


「あれ? 誰もいないの?」


 すぅっと病院特有の薬の臭いが鼻の奥を通り抜け、薬が苦手なノエミは顔を顰めてしまう。ついでに身構えていた肩の力が抜け、少しほっとした。だが、会えると思っていた分残念でもあった。小さく溜息をつきながら構えた時に投げ上げたお土産をそっと受け止める。

 気を張って忘れていた魔力探知で辺りを探すが、周辺に彼はいないようだった。ロイクによると赴任したばかりだというし、外でやることがあるのだろう。せっかくここまで来たのだから待つことにした。来客用だと思われるソファに腰を掛ける。何もすることがないので、部屋を見回した。

 場所は知っていたが、都市議会塔(ヒュートル)の医務室の中に入るのは初めてだ。扉から見て片側にカーテンで仕切ることのできるベッドが並び、ノエミがいるもう片側が応接間と医務官用の机が並んでいる。奥には扉があり、調合室と書いてあった。

 都市議会塔(ヒュートル)に知り合いが数人いるが、医務室は基本的に頭痛薬や眠気覚ましの薬をもらいに行く場所で、彼らは近くに居室を持つためベッドを利用する人はほとんどいないらしい。たまに仕事に追い込まれた文官が運び込まれるらしいが、数時間眠って帰ってくると馬鹿みたいに笑い狂って仕事を再開するので医務室は変な人体実験をしているんだろうと恐れられているそうだ。

 黒服隊(フォロメオス)にも専用の医務官がおり、医務室も駐屯所にあるのだが、隊員たちは戦闘回数が多い割にはほとんど怪我をしない。もし怪我をしても唾つけとけば治る精神で元気なので、その部屋は今や脳筋たちの昼寝用となっている。


「ふゎぁ……」


 ソファで寛いでいると、眠気が湧き上がってきた。そういえば、ローブ捕獲のために三日ほど寝ていなかった。加えて朝から頭を使って疲れている。数日間なら寝ていなくても動ける訓練はしているが、それでも眠いものは眠い。

 こんなところで寝るわけにはいかない。そうは思っても段々と頭が舟を漕ぎ、力が抜けた身体がソファに倒れこむと、いつの間にか眠りこけてしまった。




 夢を見た。

 誰かと並んで歩いている、幸せな時間だった。




 ハッと目を覚ますと、すっかり雨は止み、窓の外から月明かりが注いでいた。どれくらい眠っていたのか検討がつかないが、この場所に昼過ぎに来たことを考えると、随分と時間が経ってしまっている。

 さすがにそろそろ帰らないと黒服隊(フォロメオス)の隊員たちから心配させてしまう。前に一度、申告せずに森で夜遅くまで狩りをしていたら叱られた。誰かに怒られた経験がほとんどなかったものだから、あの時は竦みあがってしまったのをよく覚えている。もうあんな思いはしたくない。


「おや、おはようございます」


 慌てて帰ろうと窓に手をかけると、後ろから声がかかってびくりと肩を揺らしてしまった。聞き覚えのある声だった。ドクンと耳の奥で鼓動が鳴った。

 振り返ると、彼が自分の机であろう場所に座っていた。ボサッとした髪は雨が降ったせいか朝見た時よりもぴょんぴょんと跳ねている。


「今朝ぶりですね」


 ゆっくりとした話し方で、優しく笑いかけてくれた。

 しかし、ノエミはなにも返すことができなかった。口は動くのに、声が出てこない。なんていったって、彼がかっこよすぎるからだ! 黒服隊(フォロメオス)の隊長や三人班長達はモテるからそれなりに顔がいいと思うが、彼のように光が舞って見えることはない。きっと、彼が世界一かっこいい証拠だ。目が離せない。

 月明かりと蝋燭だけで薄暗かった部屋で輝く彼に目が釘付けになっていると、寝起きでぼーっとしていると思ったのか、お茶を淹れましょう、と用意してくれた。薬の臭いにはいつの間にか慣れてしまったようで、紅茶の香りが漂う。

 どうぞ、とカップをノエミに渡すと、彼は目の前に座った。


「疲れていらしたのですね。帰ってきたときにソファで人が眠っていて驚きましたが、今朝よりも顔色がよくなったようで良かったです」

「あ、ありがとう……」


 やっと出た言葉は尻すぼみに小さくなって消えていった。


「それにしても、黒服隊(フォロメオス)の副隊長さんだったんですね。今朝は慌てていて全然気づきませんでしたが、あとから同僚に聞いて驚きました」


 そういって紅茶を口に運ぶ彼の所作は、優雅だった。よく見ると、姿勢が、仕草が、指の先まで洗練されている。きっと、貴族や大商家の出身だろう。

 彼は朗らかに笑って自身をリュシアルと名乗った。

 それがとびっきりの笑顔で、心臓が鷲掴みにされたかと思うくらい痛くなった。リュシアルがかっこよすぎてこのままでは早鐘を打つ鼓動が勢いに任せて止まりそうだ。『僕は先日医務官任命されました、リュシアルと言います』と笑った彼が脳内で何度も再生される。周りに散った光など細部残らず完璧に再現されたそのシーンがあまりにも素敵で、これ以上リュシアルが頭の中を占拠したらきっと本当に心臓が止まるだろう。目の前で死ぬのはさすがに出来ないので、泣く泣く脳内のリュシアルと別れを告げ、話を続けた。

 それはリュシアルが名乗ってからおよそ二秒後のことだった。


「わ、わわ私は、ノエミ!」

「ええ、黒服隊(フォロメオス)のノエミ副隊長といえば四方國同盟で知らぬ人はいませんからね。東国の僻地に住んでいたころもその噂は届いていました。ノエミ副隊長のお蔭で魔物の被害が激減した、と」

「ノエミでいいよ! 副隊長って言っても、私にできることをやってたらなっちゃっただけだし!」

「自分にできることを行えるのが素晴らしいのですよ」

「そ、そうかなぁ」


 彼にそう言われると照れる。

 話しているうちに動悸は相変わらずだがノエミが言葉に詰まることは減っていった。頭はまだ少し上せていて回ってないからきっと変なことも言っているかもしれないが、考えなしに話しているのは普段も変わらないから気にしないことにした。


「そういえば、これ!」


 紅茶を飲み終えたノエミはずっと忘れていた紙袋を渡した。お昼に買ったお詫びの品だ。

 中には最近ノエミが気に入っている南国のお菓子が入っている。チョコレートという新しいお菓子で、豊かな香りとほんのり苦みのある濃厚な味がとても美味しい。ユートリアで今流行りつつあるスイーツだ。


「その、朝は私が寝不足で反応が遅れてただけで、本当はあのままでも姿勢を変えたら怪我なんてすることなかったんだ。それなのに、膝擦りむいてたし、ズボン破れちゃったし、ごめんね……」

「いいえ、大丈夫ですよ。お詫びの品までいただいてしまって、返って気を遣わせてしまったようですね。あの服も随分と擦り切れていたので、買い替えるいいきっかけになりました」


 彼は優しい。今朝もノエミが気負いしないようにと気を遣ってくれたのに、今もこうして思い遣ってくれる。


「こちらは、チョコレートですか?」


 リュシアルは紙袋から箱を出すと、中身を見て驚いていた。チョコレートは流行りだしたとはいえ、その範囲はまだ南国とユートリアくらいだろう。先日まで東国にいたため、聞いたことはあっても初めて見るそうだ。


「師匠が甘い物好きなので、今度ゆっくり食べさせていただきます」


 彼は大事そうに自分の机までそれを移動させた。

 お礼とお詫びの品も渡せたし、今日やるべきことはもうない。だが、まだここから離れたくなかった。

 早く帰らなければ叱られてしまう、という考えと、折角話ができたのだからまだここにいたいという思いが鬩ぎあう。


「そろそろ戻らなければいけないのではないのですか?」


 しきりに窓の外を確認していたからだろう。気を遣うようにリュシアルがそう言った。

 ノエミはその一言で、肩を落とした。確かに帰らなければいけないのはその通りだ。叱られるのはもうこりごり。でも、でも! 一緒にいたいんだもん!


「そ、そうなんだけど、まだ、」

「保護者の方が心配されますよ」


 駄々を捏ねる子供をあやすかのようだった。リュシアルはノエミの頭をポンポン、と優しく撫でた。それがこの時間の別れを告げているようで、悲しかった。


「…………わかった」


 しょんぼりと肩を落としつつも了承するしかなかった。

 寝ている間にかけてもらった布団をたたみ、窓枠に手をかける。この場所から屋根を伝えばすぐに駐屯所までひとっとびだ。


「今日は朝からいろいろとありがとう」


 またね、と言いかけて、気づいた。本当にまた会えるだろうか。

 リュシアルは都市議会塔(ヒュートル)の医務官でノエミは黒服隊(フォロメオス)。この二つは管轄が全く違う。

 ―――これから先接点があるものだろうか。いや、ない。現にノエミに医務官の知り合いは一人もいないのだから。

 もう会えないのは、イヤだ。それなら―――


「リュシアルはユートリアに知り合いは師匠しかいないって言ってたよね!?」


 食い気味に先ほど談話していた時に聞いた話題を出した。


「え、ええ」

「ユートリアに来るのも初めてって言ったよね!?」

「そうですね」

「じゃあ、今度ユートリアを案内してあげる!」


 リュシアルは窓を背に笑う少女の言葉に驚いた。そもそも窓から出ようとしていることに先ほどから驚いているというのに、予想だにしていないことが続いている。


「そ、それはありがたいですけれど、お詫びの品もいただいているので大丈夫ですよ」


 どうやらお詫びの一環だと思ったらしい。


「ち、違うよ! 今日のお詫びじゃなくて、私が案内したいの!」

「いえ、お手を煩わせるのは申し訳ないですから……」


 なぜこうまで頑ななのか。分からないけれど、この機会を逃してはいけない気がした。


「もーっ! じゃあ、治療費!!」

「えっ?」

「リュシアルは医務官だから膝の怪我を自分で治したけど、本当はお金がかかるものでしょう? だから、治療費!」

「それは先ほどチョコレートを、」

「あれはズボンのお詫び!」


 ノエミが譲る気がないことが分かったのだろう。リュシアルはフッと笑うと、仕方がなさそうにわかりました、と折れてくれた。


「しかし、僕の休みは五日後です。その日になってしまいますが、よろしいでしょうか?」

「うんっ! 私は招集さえかからなければいつでも大丈夫!」

「では、よろしくお願いします」


 約束が取り付けられて満足したノエミは、「五日後に!」と今度こそ駐屯所に戻るために窓から飛び出した。

 屋根を静かに、けれど強く蹴って一直線に帰路を急ぐ。その足取りは普段と違って踊りだしそうなくらい軽やかだった。

 なんとなく、リュシアルが最後仕方がないと笑った笑みが、優しいとは違うものな気がしたけれど、そんなことはどうでもよかった。


 今宵の空には小さく鼻歌が響いていた。




時間と相談しながら続きを書いています。

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