01 黒服隊副隊長の初恋
本日2話目。
始祖の魔物アミア。
数多く存在する魔物の中で唯一『災厄』を体現するその化け物は、神話によると地母神から怒りを買ったためにその身を魔物へと変貌させられたと言われている。
水辺に咲く小さな花の精であった彼女は正体を隠した太陽神と恋に落ちた。しかし、夫である太陽神の浮気を知った地母神の憎悪によって姿を魔物へと変えられた。花の精は、『災厄』の魔物へと変わる意識の最中、神からの理不尽な罰に世界を呪った。
―――こんな世界滅んでしまえ、と。
その呪いは『災厄』が英雄神に打ち倒された後でも今でも人間界に残り、生き物を魔物へと変え、世界を滅びへと導いているといわれる。
人間たちは災厄アミアによって生まれた魔物に何年も何百年も苦しめられてきた。家族を、友人を、隣人たちを守るために戦い、そして彼らを亡くしては嘆く。そんな歴史を繰り返してきた。
だが、悲しい歴史をもう繰り返さないためにと立ち上がった人間たちがいた。
それは4つの大国の主たちだった。彼らは己の国の中から突出した力を持つ人間を集め、確実に魔物を倒すことをシステム化した。
その魔物を殲滅するためだけに創られた組織を黒服隊という。
災厄アミアを倒したといわれる英雄神フィトスのフォロメオスをその名に背負い、かの神の色である黒を纏い、そしてかの神のように魔物を一掃する。
砕けて言うとつまりは魔物を狩るためだけに存在する―――脳筋集団である。
今代、そんな脳まで筋肉集団には天才がいる。
入隊してたった一年で史上最年少の副隊長に就任し、身体強化魔法では歴代黒服隊でも右に出る者はいないといわれる鬼才。自身の身の丈を超す大剣を携え、先陣を切って戦う歴代最強の女戦士。
―――名をノエミという。
はふん、とノエミは今日何度かもわからない溜息をついた。なぜか今朝から調子がおかしいのだ。
朝、ノエミは数日間の行方不明から戻ってきた。隊員たちは何事もなかったように出迎えてくれ、普段通り朝の訓練を始めたのだがなぜか気分が乗らない。走ろうにも魔法を使おうにも、何をしようとしても先ほどのことが思い出されて手につかないのだ。
―――あの金髪の男は誰だったのだろうか。
そればかりが頭を占めていた。
ぎゅっと抱き締めてくれた体温、穏やかに笑った表情、撫でてくれた手のひら。
どれも鮮明に思い出せる。しかし、思い出すたびになぜか顔が熱くなって訓練に集中できなくなってしまうのだ。何度か攻撃系の魔法を暴発させそうになったので無理矢理隊員たちに休めと訓練所を追い出されてしまった。確かに髪の毛を燃やしたのは申し訳ないと思っている。
訓練所脇の木陰に座り込んでノエミは訓練を続ける部下たちをぼんやりと眺めた。風が柔らかい黒い髪を軽く梳いて通り抜けていった。
「なんで頭から離れないんだろう……」
「なんか言ったか?」
「んなっ!?」
てっきり一人だと思っていたのに、先客がいたようだ。普段ならば常に魔力探知をして周囲の様子を把握しているというのにどこまで気を抜いていたのだろうか。横に人がいるのにも気が付かなかった。
「なぁに、こんなところでさぼってるんだ」
「ロイク!」
寝そべったまま芝生に肘をついて、「お兄さんに話してごらん」と綺麗に笑ったのは黒服隊第二班班長ロイクだった。自分だって訓練から抜け出しているというのに人のことを言えるだろうか。
「もうお兄さんって年じゃないと思うよ?」
「うるせーなぁ! 俺は永遠のお兄さんなんだ! ……んなことより、どうしたんだ? 副隊長が訓練を抜け出すなんてめったなことじゃあないだろう?」
「うーん、なんか帰ってきてからおかしいんだよね……」
「副隊長がおかしいのなんていつものこと……、って、痛い痛い痛い! 俺の耳はそれ以上伸びないっつーの!」
「ロイクのバカ! せっかく相談してみようと思ったのにっ! んもうっ、なんでロイクはサボってるのさ!?」
「俺は今日朝帰りだったからな……」
ふわぁと可愛くもない欠伸をロイクが零した。生理的な涙を目に溜めたその顔をノエミはジトっと軽蔑するように見下ろす。
「どうせ花街でしょ?」
「俺はモテるから引く手数多なんだよ」
にやりと笑うその顔に一発拳をお見舞いしてやろうかと思った。
黒服隊にたった三人しかいない班長の内の一人であるロイクはこの都市で誰もが知っているほどの女ったらしだ。黒服隊に所属しているだけで女性たちから熱い視線を浴びせられるというのに、ロイクは顔もいいものだから余計にモテる。毎日のように連れている女性が変わって、隊員たちはあきれてばかりいる。
ノエミと言えば黒服隊に入ってから3年も経つというのに付き合ったことがある人がいたこともなければ言い寄られたことさえないというのに!
「別に羨ましくなんてないし!」
ノエミは口を尖らせた。
本当の本当に羨ましくなんてない。確かにちょっと恋人と手を繋いでデートしてみたいなぁとか思ったことはなくはないけど? でもそんな人いなくてもいいし? 恋人がいなくても毎日が楽しいし? 全く困ってなんかいない。ドキドキとかは魔物狩りのスリルで味わってるもん!!
「副隊長は嘘が下手だなー。前に言ってただろ? 素敵な恋がしたい……って、ぷはっ」
「っ! もーっ、聞いてたの!? あれはシルヴァンにしか言ってないのに!!」
「隊長に言ってどうなるんだよ」
「うるさい!!」
ふんっと鼻を鳴らした。
ロイクは怖くもない視線で自分を睨むノエミに小さく笑う。
「副隊長だってモテるだろう? なんで恋人作んねーんだよ?」
「モテたことないけど!? っていうか告白もされたことないけど!?」
「おっと、これは言っちゃいけねぇんだった」
「なんか言った!?」
「いいやなにも」
ロイクが言うと嫌味にしか聞こえない。
そりゃあノエミだって恋人が欲しい。隊内では結婚して幸せそうな隊員や恋人と仲睦まじい隊員もいる。18歳の年頃の女の子だ。周りが筋肉にまみれた生活をしていても憧れるに決まっている。―――でも、そうじゃないのだ。
「だってさ、告白されて付き合ったりするのもいいと思うけど、わたしだけを好きになってくれる人と、こう、……恋に、落ちてみたい、から……」
「ぷはーっ!!」
「わーらーうーな!!!」
寝そべっていたロイクは腹を抱えて笑い転げだした。
確かに乙女チックだとは思うけどいいじゃないか。まるで物語のように一途な男性と互いに恋に落ちて、想い合い、幸せになる。なんて素敵なことなんだろうか。
ノエミは顔を真っ赤にしてロイクに説明するが、当のロイクは芝生を体に巻き付けるようにまだ転げまわっている。
「―――で、恋には落ちたのか?」
そろそろ蹴り飛ばしていいだろうかと思っていたころにロイクはやっと体を止めて体勢を戻し、ノエミに尋ねた。答えなんて分かり切っているだろうに。
「そんなわけないでしょ!?」
「やっぱりな」
「うるさいっ!」
つん、と顎を上げる。
そもそも恋になんてそう落ちるものなんかじゃない。それに意識の落とし方は知ってるけど、恋の落ち方なんて知ってるわけがない。ノエミが聞いたことのある恋に落ちる話なんて、随分と昔、生みの母親に聞いた村娘の逸話くらいだ。森で崖から落ちた村娘が見知らぬ男に助けてもらい、お互いに一目惚れした二人はそのまま結ばれたというもの。恋が恋だと一瞬で分かるなら、ノエミはまだその相手と出会っていないだけだ。まだこれからがある。
―――と、そこまで思ってノエミは首を傾げた。思い出した逸話がどこか聞いたことがあるような気がするのだ。そう、確か今朝、同じようなことが、
「階段から落ちて。それから知らない男の人に、助けて、もらって……」
ぼんっと顔から火が出た気がした。
ロイクと話していて少しの間だけ頭から抜けていた記憶が鮮やかに脳内で再生される。
ノエミを助けるために息を切らしていた彼。無事だと分かったときにホッとした表情が優しくて、美しい髪と同じくらい目が離せなかった。繰り返し彼の表情が頭の中を駆け巡る。
何かが自分を納得させようとしてるのに、それがまたわからなくて頭がぐるぐるする。なぜか心臓が早鐘を鳴らしていて、耳元がドクドクとうるさい。まさか、と思った。
まさか、まさかまさか、―――わたし、彼に恋に落ちちゃったの!?
だが、恋に落ちたら、それは恋だと分かるものではないのだろうか。初めての感情で訳が分からない!
「どうしたんだ、急に黙り込んではブツブツ話し出して」
ノエミの中で沢山の考えが渦のようにまわる最中、ロイクの声がし、それが天啓のように思えた。分からなければ恋豊富なロイクに聞けばいい!
「わ、わたし、恋に落ちちゃったかも!」
「はぁ!!!??」
突然大声があたりに響いた。ロイクのその体勢は崩れ、目が零れそうなほど見開いて、そんなに驚かなくてもいいのではないかと突っ込みたくなるくらいだった。
ぐるぐると渦巻いていたノエミの思考が一瞬止まる。なぜ恋愛経験豊富なはずのロイクがこんなに狼狽えているのだろうか。
「そ、そんなに驚くこと?」
「いやいやいや、待て、待てって。……だってなぁ? ほら、なぁ?」
「んん…っ?」
「全く分からないですよ」
まさにそれが言いたかった。
ノエミの思いを口にしてくれたのは黒服隊の第三班班長エタンだった。先ほどまで訓練所で魔法訓練をする様子が見えていたのだが、恐らくロイクの声を聞きつけて来たのであろう。
「エタン!! いいところに来た!」
「どうやらそのようで」
ロイクはエタンの腕を引いて座らせると一息ついてノエミを見た。そしてノエミに先ほどと同じことを言えというのでそれに従った。
「―――ふむ、本当にいいところで来ることができました。面白い話です。たまにはロイクさんのうるさい声も役にたちますね」
「一言多いぞ……」
「まずは副隊長がその人に恋していると思った理由を聞きたいですね」
ロイクの低い声を何事もなかったように聞き流し、エタンは興味深そうにノエミを見た。
改めて聞かれると困る。だってまだ恋かどうかなんてわからないし。顔が火照って仕方がないし。なんだか恥ずかしくなって顔が下を向いてしまう。
「その、な、名前は聞きそびれたんだけど、彼には今朝助けてもらって……、」
「彼ぇ!!??」
「ロイクさん黙って」
「その姿が頭から離れないし、それに、なんか思い出すとドキドキするし……」
「そいつぁ、どこのどいつだぁ!!?」
「うるさい」
ドゴッと鈍い音が聞こえると、いつの間にかロイクが芝生の上でのびていた。横ではまるで気づいていないかのようににこにこと笑うエタンの姿。ノエミは何も見なかったことにした。
「副隊長、貴女は彼が好き、なんですね?」
さわさわと木々が音を立てた。木陰にまばらに差す小さな陽の光が揺れて金色に見えた。今度は彼の金色の髪を触ってみたいな、と思った。
「…………うん」
少しの時間をおいてノエミは答えた。口に出すとそれが自分の想いであると心の中ですとんと収まった。
そうか、彼が好きなんだ。まさか恋がこんな突然だなんて思ってもみなかった。
「よかったじゃないですか。素敵な恋がしてみたかったのでしょう?」
「え、エタンも知ってたの!?」
「ええ、ロイクさんとバジルさんが酒の肴にしていたので」
「もーっ、二人はいつもそうなんだから!!」
今度シルヴァンに怒ってもらわなきゃ、と頬を膨らませた。
「恋と分かったのですから、次は告白ですね」
「なんだとぉ!」
エタンの提案にノエミは固まり、代わりに顔中を芝生まみれにしたロイクが起き上がって反応した。そのままエタンの襟首をつかみ、激しく振り回す。
「ノエミにはまだ結婚は早い!」
「貴方はどこぞの親バカですか? そういうのは隊長だけで間に合っているんですよ」
「いうならせめてシスコンにしてくれ……、ってすぐ殴ろうとするな!」
ロイクは軽々と拳を避けると、服が伸びてしまうじゃないですかとため息をつくエタンを横目に姿勢を改めた。これだけはきちんと言っておかなければならない。
「ノエミに、男は、まだ早い」
一言一句、強調するように。
「ロイクのばかぁ!」
「ぐはぁ! 見事な左ストレートだ……」
エタンに告白と言われて早すぎる展開に思考が止まっていたノエミだったが、流石にロイクの声は届いた。あまりにも失礼極まりないので拳をお見舞いする。
「わたしはもう立派な大人なんだからね!? 成人にだってこの間なったし!」
「さっきエタンにやられたところを的確に狙いやがって……。しっかし、お前、大人ってその見た目でいってるのか?」
フッとロイクが笑った。その視線が、ノエミの上から下まで滑る。
ノエミの身長は低く、歳は確かに18ではあるが、体の成長はまるで10歳ほどの子供とそう変わらない。
「こ、これから成長するんだもん!」
思えば、身長はここ数年伸びていない。けれど、これから伸びないということはないだろうし、大人になってからも成長する人はいるわけだし、む、胸だってこれからたぶんだけどおっきくなるし、今後に期待なんだから!
「ふーん、へー」
「もーっ、ロイクのばかぁ!」
「全く、人の身体的特徴を揶揄うものじゃないですよ。貴方だって、歳とってお腹が出てきたんですから」
「え、マジで……?」
「それよりも副隊長、告白、するんですか?」
「えっ!?」
なぁそれマジで? とエタンに戸惑いながら問いかけるロイクを無視して、ノエミはうつむいた。
「わからない。……さっき好きって、気づいたばっかりだし、ど、どうすればいいの!?」
正直、告白と言われても、どうすればいいのかわからない。
彼のことが好き。思い出すと沸騰するくらい顔が熱くなって思考が鈍る。この好き、が初めてで何もかもがまだわからない。
すると、小さく笑い声が聞こえた。
「ふふっ、すみません、揶揄いすぎました」
「え…っ?」
「そんな拍子抜けしなくても。副隊長がいつもと違う変な表情ばかりするものですから、おもしろくて、つい。――さて、ロイクさん、貴方のお腹の出具合というどうでもいいことで悩んでいないで、きちんと妹分にアドバイスをしてあげてください」
「おまっ、俺にはどうでもよくねーんだよ! くそっ、……まあ、ノエミは一度、そいつに会いに行ってみろ。告白とかは置いておいて、まずそいつのことを知るべきだ。名前、聞きそびれてるんだろ?」
「ロイクさんってまともなことも言えるんですね」
「んだと、コラァ!」
彼を知るべき。確かにそうだ。
ノエミは彼に会ったったばかりで、何にも知らない。名前でさえも。
ならば、ロイクの言った通り、会いに行くのが一番だ。今朝のズボンのお詫びと、礼もきちんとしたい。
「彼に会いに行ってくる!」
すくっと立ちあがった。
彼はもしかしたらこの都市の人じゃないかもしれない。それならばすぐ探さなければ出入りが多い都市であるこのユートリアから出立してしまう。
「おやおや、可愛い妹分の門出ですよ。ロイクさん、妹はやらん! ってしないんですか?」
「また話を逸らしやがって……。その顔、あとで揶揄う気満々じゃねーか! その男がどんな奴かわからないうちはそんなことしねーよ」
「ふむ、それもそうですね。―――ところで副隊長、その『彼』とはどんな人なのですか?」
今にも一歩を踏み出そうとしていたノエミをエタンは引き止めた。うずうずとしながらもノエミは今朝会った彼の特徴を覚えてるだけ答える。
「ふわふわってした金髪で、身長はシルヴァンと同じくらい。あと眼鏡をしてたかな?」
「なるほど、しかしそれだけではわかりそうにないですね。隊長ほどの身長の人で少しは絞れそうですけれど、この都市の人かさえ分からないんですよね?」
「……うん。あっ、そういえば、回復魔法使えるみたい! あと笑うとかっこよかった、かな?」
「はい、ごちそうさまです。ですが、回復魔法が使えるというのはいい手がかりです。回復魔法の使い手は少ないですからね。……あとは話し方に訛りはありましたか?」
「うーん、たぶんだけど西国だと思う。綺麗な発音だった」
「………まさか」
「ロイクさん、心当たりでも?」
どんどんと情報を限定していくうちに、ロイクに覚えがある人がいたようだった。しかし、その様子はどこか困っているようにも見える。
「たぶん、アイツだな」
「知ってるの!?」
「昨日医務室のナタリーちゃんに会いに行った時に見た。さっき言った特徴に合致する奴がな」
「ホント!?」
「ああ、確か一昨日配属されたばかりの医務官だ」
その話を聞くとパッとノエミはロイクの腕の中から飛び出した。すぐにでも駆け込む気であろう。だがそうはせずに一度足を止めて振り返り二人に大きく手を振った。
「ありがと、ロイク! エタン!」
「おう、まあ、頑張ってこい」
「うんっ!」
「朝すごい剣幕で俺たちを怒鳴ると思ってたのに落ち込んでた時はどうしたものかと思ったが副隊長が元気になってよかった」
「あ、そういえば」
「ロイクさん、貴方って人は……」
ノエミはぶんぶんと振っていた手をぴたりと止めた。そういえばあの怒りは飛んで行ってしまった気がしていたがどうやら気のせいだったようだ。
「明日、城壁15周だからね!!!」
ローブいっぱい食べたかった。
「じゃあ、いってきます!」
そう言い残すとノエミは黒服隊の副隊長の肩書に恥じないほどの速さで去っていった。
「ロイクさん恨みます」
そんな言葉を聞きもせずに。