プロローグ 貴方に恋に落ちました
冒頭部分だけ前に投稿していたものを推敲しています。
はぁ、と小さく息を吐いて足を動かした。
走る速度はそう早くないから息を切らしたわけではない。この零れた溜息はあの班長達に対するものだ。
先日、わたしは久しぶりにローブという鳥型のお菓子を食べていた。このお菓子は東国にしか売っていないもので時々行商人が仕入れてくれるのをわたしは毎度欠かさず買っていた。理由は簡単。このお菓子がわたしの大好物だからだ。カラリと揚げられた衣のなかにとろりとした甘いクリームが入っていて、売られているものは出来立てではないからそれをもう一度揚げて食べるのがこの時期のわたしのお決まりだった。
そのローブを食べているときだ。あの三人の班長達のうちの第二班班長が言った。そろそろローブの群れがこの中立都市を通るころだな、と。もちろんわたしはローブは生き物じゃないと知っているから否定したけれど、生き物の詳しさにおいては隊の中で右に出るものがいない第三班班長がローブの生態について語りだした。ローブという鳥は群れで行動し…、と詳しくは覚えていないがそれは世間知らずなわたしをローブという鳥が実在すると納得させるに足るものだった。加えて第一班班長が捕りたてのローブのおいしさを語るものだからわたしはすっかり信じてしまった。もっとローブが食べられるならと彼らにお願いして何とかローブの群れが通る穴場を聞いたのが3日前。
そして大きな網を持ったまま東の城壁の上で待ち構えていたのがさっきまでのこと。
「また騙された――――!!」
キーっと悔しさを噛みしめた。
この数日間寝ずにローブを待ち続けたが、もちろん通るわけがなかった。城壁自警員が親切心で教えてくれなければきっともう一週間はそこで待機していた自信がある。だってローブが好きなんだから。用意した自分の顔の3倍は直径がある網の重みがむなしいったらありゃしない。
教えてもらったときのわたしはきっと顔を真っ赤にしていたと思う。その中にあるのは城壁自警員にそんな鳥はいないと諭された恥ずかしさとわたしを騙した隊長たちに対する怒りだ。きっとこの3日間、あの班長達は笑って過ごしただろう。今すぐにでも仕返しをしないと気が済まない。
そもそも班長達がわたしを騙したのは今日が初めてじゃない。もう何度も何度も世間知らずなわたしで揶揄って遊んでいる。毎度騙されるほうが悪いかもしれないけど、わたし自身常識に疎い自覚があるし、本当のことを教えてくれることもあるものだからつい信じてしまう。本当に質が悪いと思う。
わたしの方が年下だけど上司のはずなのに!
「あいつらー!! 城壁15周を訓練に加えてやる!!」
わたしは大きく腕を振り上げて叫んだ。これが叫ばずにいられるか。
―――だが、同時に駆け上がっていた階段で足を滑らせた。
普段のわたしならこんなミスなんて絶対にしない。でも今日はローブを捕まえるために三徹している。眠気のせいで足元が狂ってしまったのだ。
「あ」
ふわりと浮遊感が身体を包み、家々の間から空がよく見えるようになった。今日の中央都市は雲一つない晴天だった。昨日は曇りだっただけに余計にその青が鮮やかに見えて、綺麗だなぁとゆっくりと降下しながら呑気にも思った。
―――そんな時だった。
「君っ!!」
着地に備えて力を入れていたわたしの身体はいつの間にか誰かに抱き締められていた。なにかが地面を擦った音が静かな路地にやけにはっきりと聞こえた。
城壁から顔を出したばかりの太陽を反射した金色が、視界の端に見えて目を細めそうになる。
「大丈夫ですか!?」
突然見えた風に吹かれる金糸があまりにも美しくて、目を奪われてしまったわたしはそれが助けてくれた男の髪だと分かるのに数秒を要した。そして彼の言葉を理解するためにもう数秒かかってから、
「……うん」
と、ぼぅっとする思考のまま小さく返事をした。
その言葉に彼はホッとしたようだった。分厚い眼鏡の奥の瞳を細めると、にこりと嬉しそうに笑った。
「よかったです。一瞬間に合わないかと思ったので」
そういう彼の息が少し上がっていることに気づいた。太陽に煌めく髪しか見ていなかったからだ。もしかして、わたしを助けるためにここまで走ったのだろうか。そう思うと、なんだか胸が温かくなった。
「どこか怪我はしていませんか? ぶつける前に受け止めたつもりですが…」
彼は心配そうにわたしの顔を覗き込んだ。すると彼の綿あめのようにふわふわとした髪が滑り落ちて頬を撫で、くすぐったくなってついふふっと笑ってしまう。
「おや、大丈夫そうですね」
「うん、ありがとう」
礼を言うと、彼はわたしをゆっくりと立たせた。優しく受け止めてくれたおかげで体に痛みは全くなかった。だが、彼も立ち上がった時に気が付く。彼のズボンの膝の部分に穴が開いていた。そういえばさっき私を受け止める時に地面を擦りむく音がしていた。
「あ、血が……」
「ああ、先ほど擦りむいてしまったようですね。しかしこれくらいの傷は魔法で治るので大丈夫ですよ」
「でも、ズボンが…」
片足は大きな穴が開いている。足は魔法で治っても、ズボンは繕わなければ使えないだろう。
今回のことはもとはといえばわたしの不注意が招いたことだ。もっと元を辿ればわたしを騙した班長達のせいであるがそれはこの際置いておく。足を滑らせたとはいえもっと早くに回避行動をとっていれば彼はズボンを犠牲にすることはなかったはずだ。そう思って弁償すると言ってみたのだが、彼はまるで子供にするようにわたしの頭を撫でて笑った。
「気にしなくてもいいですよ。貴女が無事ならこのズボンも悔いはないでしょう」
そう言って、次は気を付けてくださいねともう一度目を細めて笑うと、彼はその場から去っていった。撫でられた頭が妙にくすぐったくて、去る彼の背中を見つめると心臓がなぜかドキリと跳ねた。
それからわたしはぼんやりと何を考えるでもなく駐屯所に帰った。さっきまでしようとしていたことはどこか彼方に吹っ飛んでしまって、思い出すのはあの美しい金の髪と、彼の笑顔だった。理由はわからないけれど、頭から離れない。
「……名前聞くの忘れた」
この感情が分からないまま、わたしはそんな言葉をぽつりとつぶやいたのだった。
とりあえず、書いたところまで。