三夜 アラヤシキ
「――しかし閣下、危険ではありませんか?」
「問題ありません、このまま待機していなさい」
「は……ははっ!」
金属が摩耗する耳慣れない音が聞え、入ってきた扉に振り返る。
複数の足音が規律正しく重なり、部屋の外には兵士がいるのだと察せた。
「こちらに不慣れなぼくの、護衛をしてもらってたのかな?」
申し訳ない――。
暗闇の迷宮を出ると、教室の半分ほどの部屋に通される。
床には色彩豊かな絨毯が敷いてあった。変色の少なさから、あまり使用されていない部屋だと推測できる。
簡素だが調度品が多く、来客用ではないだろうか。
石壁で窓はなく、タペストリーと絵画が石の冷たさを和らげていた。空気からも重圧が伝わり、石壁の厚さを感じさせる。
「窓がないのは少し妙だけど、中学校の図書室と雰囲気が似てる……なんて静かで落ちつくんだろう」
気を遣わせたのではないかと、心配になるほどだ。
ふと周囲に、複数の陰影が踊る。
「……まあ薄暗いのは仕方ない、どうやら蛍光灯は期待できそうにないな」
見上げると車輪型シャンデリアが輝いていた。迷宮に比べて見栄えは良いけど、蝋燭は同じように揺らめく。
あらためて見回しても、扉付近にあるはずのスイッチ類がない。
部屋には電気の配線なども確認ができない。その変わりとばかり、レンガ作りの暖炉に炎が爆ぜている。
装飾がほどこされた椅子が2脚、寂しそうに影を浮かばせていた。
「背もたれが垂直で高く、全体的に四角い……これはゴシック様式かな?」
欧州において12世紀後半から、15世紀にかけて流行したデザインである。
「時代」が違う――?
使用期間が長すぎて判断材料とするには不適切。だけど時代がかっている割には新しく、「異なった世界」の予感が真実味を帯びていく。
「お待たせしました」
元グラマラスフードが、数人の女性従者を連れ入ってきた。
扉の隙間から、胸元と腕をチェインメイルで覆った兵士が見える。
「召喚の間にもプレートメイルの騎士がいたっけ。何世紀前かは分からないけど、アジア圏でないな」
地域までは分らないけど欧州なのは確か、ならばもう一つ――。
兵士と目が合って思わず会釈したら、なぜか胡散臭そうに睨まれた。
「本日晩方に引っ立て――ゴホン、ヴィーラ殿下との正式な謁見があります」
外の兵士が彼女を「閣下」と呼んでいた。
ならば「貴族」に属する者の敬称である。閣下は先ほどの失態を取り戻すべく、キチンと服装を整えておられた。
見た目は20代半だろうか、ハチミツ色の髪をサイドポニーテールにしている。
緑を基調とした足先まで覆うマーメイド風ドレス、腰帯代わりのガンベルトには複数のポシェットが備わっていた。肩に同系色のショールをかけ胸元で軽く巻き、手首や各所には派手にならないほどの装身具。
従者とは明らかに質の違う装い。
「気安い雰囲気を感じたんだけど……凛としたたたずまいや周囲の丁寧な接し方、身分の高い方なのだな」
「そのまま殿下に応じるのは失礼ですので、お召し替えください。その間に簡単な事情聴取もさせてくださいね」
「あっはい、そうですね」
当然の受け答えなのだが、閣下は緊張からの息を吐く。
どうやら衣服を着る常識はあるようね――そんな呟きまで聞こえそうだった。
閣下が目配せすると、従者たちは無言のまま一礼する。ぼくを取り囲み無表情で「テキパキ」と採寸を行いだした。
「廊下の兵士たちにも、ご挨拶した方がいいでしょうか?」
知らずのうちに無礼な態度をとっていたのかと、気をもんでしまう。
閣下はなんとも言えない微妙な表情のまま、「必要ありません」と目を伏せる。
用意された衣服は全て落ちついた色あいの成人用。子供服を仕立てるのはかなり近世になってからで、通常は大人の古着を着回す。
ぼくは165センチ、14歳の平均身長だけどサイズに問題はなかった。
「成人男性の身長が、現代の女性と変わらない時代ってことか……」
以前図書室で閲覧した、「ファッションの歴史」を脳内でひもとく。
見れば女性従者が着ている体にピッタリとしたワンピース――「コタルディ」のウエスト位置が低い、これは欧州で14世紀に流行した装いである。
「あっでも……閣下が着けておられた女性用下着の普及は、16世紀以降のはず」
14世紀ならまだ女性に下着はなく、せいぜい肌着くらいでほぼ裸。
ローブをまくられると思った殿下が、怒るのも無理はない。ならば貴族と従者、身分格差のせいだろうか。
「――いや確か15世紀の古城で、布地こそリネン製だけど……現代と変わらない立体成形のロングラインブラが、発見されてたっけ」
仕立てが整っておりその推移から、さらに数十年前には女性用下着があったのではと推測されていた。
胸の大きな貴族用とみられ、グラマーな閣下に適してるといえよう。
「時代の変遷には沿ってるし、過去の欧州にタイムリープしたみたいだ……まあ、それはないんだけど」
それにぼくの知る限り、現代に「召喚」などという幻想技術は伝わっていない。
「名称が記憶にないし、どちらかといえば並行世界かな」
ファンタジーがSFになっただけか、とセルフツッコミ。
「すいません、できればこういった感じにしてもらえませんか?」
「色は黒と白で、無地で統一したいんです」
「あっそこの丈は切り詰めないでもっと長く……ええ、今の3倍ほどに――」
従者が十重二十重に取り囲み、袖丈をあわせ仕立てている。用意してもらう立場でありながら、どうせならとデザインの要望を伝えた。
着心地の良さなど気がついた細かな不備を指摘し、反論を待ち――。
「あっ!」
胸中に叫びが満ちる。
遠雷の響きを感じ取ったのか、数人の従者が心細げにぼくを注視した。
「ぼくはバカだ、従者に『いい加減にしてください』と叫ばれるのを待っていた」
だが彼女たちはぼくの無茶な要求に、なんの疑問も持たずただ従う。当然だ――「閣下」が連れてきた客に、従者の立場で意見できる訳がない。
見れば無表情ではない、失礼にならないよう臆していたんだ。
「主従関係にない間柄で『征服欲を強要』するなんて、ぼくの身勝手じゃないか。愛のない罵倒など、単なる暴力でしかないのに……っ!」
彼女たちは殿下とは違う、けっしてぼくを踏んではくれないのだ――。
激しい心得違いが全身を押し包み、己を激しく罵る。
幸いにも従者たちはぼくに関わりたくないのだろう。腫れ物に触るように、ただ「モクモク」と服を仕立てていく。
ぼくは自責からの荘重なため息をつくと、それ以降は押し黙った。
「なによりヴィーラ殿下に、誰でも良いと思われるのも心外だしね」
☆
「私はスーリヤ……あっ、マナスル! 伯爵です」
マナスル卿と呼んでください――と、閣下は言い間違いに照れて挨拶をする。
「一応ここの領地を拝領し、領主を拝命しています。なにか至らぬ件があったら、まずは私に尋ねてください」
「えっ領――!? それは……っそれは領主自らご足労いただき、あっありがとうございます!」
土地を所有し、領民の人事から裁判まで、あらゆる支配権を持つ諸侯。いえいえと軽く手を振るが、かなり高い地位の貴族である。
グラマラスフードから完熟リンゴへ変貌遂げた閣下は、ついに領主となった。
マナスル伯爵はA5ほどの蝋板を取り出すと、細い金属棒をかざす。木板に蝋を張り引っかいて記録する、欧州では18世紀まで使用されたノートである。
「あっもちろん紙も使用しますし、重要な書類に羊皮紙はかかせませんね」
ぼくの視線に気がついたのか、そういって鼻歌が続きそうな笑顔を見せた。
兵士や従者に対する、貴族然とした態度よりよほど自然。
「領主より、学者姿が似合いそうですね」
失礼になるかもしれない独り言が、聞こえてなくて安堵する。
「名称、アーユム・ヴェ…ウラ――失礼、アユム卿ですね。
製作されて14年……と、その「チュウガクセイ」とは?
ほう専門知識ではなく一般教養を吸収ですか、教会教育みたいですねえ。
アユム卿を製造した――いえ「親」に該当する物質は、存在するんですか?
生殖器は見受けられましたし、生物なら同種類の個体を生み出せるはずです。
いや単体で形成する、無性生殖の可能性も考えられますね!
ああアユム卿と混在されてないと、そこんとこもっと詳しく訊きたいですねえ。
まああとのお楽しみってことで、ひっひっひっ……なるほどなるほどぉ。
ではアユム卿――…」
「あの閣下、マナスル卿……大変恐縮ですが敬称はいりません、どうか呼び捨てにしてください」
「…――あら?」
マナスル伯爵が記録の世界から戻ってきて、やっと意思の疎通がかなった。
「それでは従者か使用人と、間違われてしまいますよ?」
「伯爵様に『卿』付けで呼ばれる方が、よっぽど心臓に良くないです」
「簡単な事情聴取」が始まると、マナスル伯爵の目つきが一変する。
椅子に浅く腰掛け、表情を歪めるほど真剣に蝋板と向きあう。時に上唇を舐め、低い笑い声をあげている姿はちょっと怖い。
「妙な質問もだけど、なんだかマッドの方に片足が入ってそう……」
「う――~ん……私からあんまり詳しくは、話せないのだけど」
マナスル伯爵は前置きをし、細い金属棒を顎につけて小首をかしげた。
想いが表情に出てしまう方だな。領主が胸の内を簡単に晒すのはどうかと思う、だけど友人としてなら好意が持てる。
「おそらくアユム卿は、そう呼ばれるだけの地位につきますよ」
愕然とするセリフが胸に突き刺さった。
「今のうちに慣れておいた方がいいです、苦労しますよ――~」
「個人名」に「卿」の敬称は騎士の呼び方であり、まぎれもなく「貴族」である。
おそらくはマナスル伯爵自身の体験談なんだろう。親切心からの忠告なだけに、追い打ちとなっていた。
「ぼくは殿下にお仕えしたいのであって、地位が欲しい訳ではないんです!」
――っいやそれは結局、地位が必要となるのだろうか?
叫ぶのは戸惑われかろうじて口内で止める。爵位や貴族階級にうとく平民意識の強いぼくにとっては、想像もできない世界。
「アラヤシキの記録は少なくって……こちらとは常識が違うかもしれないですね」
ぼくの内心をよそに、マナスル伯爵は申し訳なさそうに告げた。
「アラ、ヤシキ?」
困惑が聞き慣れない単語をオウム返ししてしまう。
「アユム卿が召喚される前、元居た世界の名称です」
ではやはり、ここは「異世界」なのだ。
ならばもう一つ――なぜ、ぼくなのか?
「此処ではない何処かに……『影供の丘』で浮かんだ願いが、かなったのかな」
自問しながらも答えは得ていた、ぼくがそう望んだのだ。
ふいに呟いたぼくを、マナスル伯爵が不思議そうに眺めていた。
「無限の知識や喜びがある不滅の世界……と言われているんです、けど?」
蝋板で口元を隠し、「訊いていいのかな?」といった雰囲気で尋ねられる。
「近い部分はありますね、中学校の図書室だけでも世界の歴史が垣間見えました。まあ無限とまでは言えないですけど」
「チュー、ショー室……っほほう!」
マナスル伯爵はパッと閃き、何枚目かの蝋板を大急ぎでかき抱く。
いそいそと必死にメモを書きつける姿を見て、向こうへ行ったら飛び回って喜ぶだろう……そんな姿が浮かんだ。
意識が少しばかり向こうの世界を想い漂う。
――思考があっちこっちにズレる。これも一種の現実逃避かもしれないと、ついため息をついてしまった。
「アユ……卿んんっ分かりました、ではこうしましょう」
それは突如召喚され、帰れぬ故郷への懐郷に見えたのだろうか。
マナスル伯爵は蝋板を膝に置き、背を正して目をつむる。
「プライベートでなら、アラヤシキの常識に沿う! ――ってのはどう?」
その代わりと手招きし、手の平で互いの口が隠れるほど前かがみに接近する。
従者に聞こえないよう、コッソリと交換条件を持ちかけた。
「私もスーリヤって呼んでね、アユム! 実は閣下なんて偉そうに呼ばれるより、こっちの方が気楽なんだ!」
いたずらっ娘が共通の秘密を持ちかけ、目を細めて歯を見せた。
まるでナイショ話をする姉のように――思わず視線があって頬が緩み、2人して吹き出すのをこらえる。
なんだか気分が楽になり、感謝をこめて満面の笑みで答えた。
「分かりましたスーリヤ様! どうぞ下僕のように扱ってください!」
「ゲボ……っ」
「とっとにかく、こちらで肝心なのは――」
マナスル伯爵……スーリヤ様は数秒かけて意味を吟味し、言葉を呑みこむ。
曖昧で引きつった笑い声が、なにかを語っていたのかもしれない。
「肝心なのは細心の注意を払い、ヴィーラ殿下を怒らせないことです! アユムも十分に理解したでしょうけど、場合によっては命に関わりますからね?」
髪に隠れてはいるけど、おでこには痣ができているのではないか。
ぼくの鈍い痛みを確かめるように、スーリヤ様は幾分真面目な瞳で訴える。
「命に関わる……確かにそれは、重要な案件ですね!」
まだ殿下の足の裏を、十分に堪能していないのだから――。
「あの本当にこれで、よろしいのでしょうか……?」
仮縫いの上着を手に従者がたたずむ。努めて無表情だった彼女たちに、不審さと疑問の仮面が張りついていた。
ぼくは借りっぱなしだったローブを脱ぎ、衝立の影で試着してみる。
「ええ大変結構です、このまま進めてください!」
現れたぼくの姿に、スーリヤ様は絶句した。