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M属性 ~嗚呼、あなたに踏まれたい~  作者: 高谷正弘
第一章 城郭都市マナスル
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十八夜 魔獣

 悲鳴がだんだんと大きく響いてきた。

 中心部にいたぼくらのほうへ、東の市民が駆けてくるのだ。状況を判断した人、呆然自失から覚めた人が逃げ惑う。

 まだ理解できない人が「それ」を確かめるため、むしろ東へ行こうとする。

「逃げなくては!」「どこへ?」「何があった!?」 

「それ」が悠々と首をくゆらせているだけで、パニックが発生していた。

 周囲を小さい光が、矢が幾重にも飛んでいる。だが外皮で弾かれ火花を散らし、効いているとは到底言いがたい。

 そして思い出したように、外側城壁をスルリと乗り越えた。

 尻尾の先が入りきるまで、いったい何秒かかったのか。「それ」が通ったあとの外側城壁が大きくえぐれ崩られている。

「…――ん、だァ! ありゃ、蛇かあっ!?」

 ウールドの声が呟きから叫び声に変わっていく。

 姿が見えなくなったおかげで、むしろ息がつけて声が出せたのだ。イーシャ卿も振り返った姿のまま固まっていた。

 アカーシャが手袋越しに、ぼくの手のひらを強く握る。

無欲(むよく)」で視た(・・)のは――あれ、なのか。

「霊山モルディブにいると聞いた魔獣は、本当にいたんだ……」

 あまりにも現実離れした光景に、当たり前の感想が浮かぶ。

 城に戻るべきか!? それしかないだろう!

 建物の隙間からウロコが見え隠れし、反射する光が幻想的だ。

 市民を放って? お前になにができる!?

 思考が疑問と停止をくり返し、体の石化が解けぬまま――。


『我はヴィーラ殿下の名代である! 皆の者心して聴け!』


 突然耳にではなく、脳に(・・)声が響く……痛いほどの強制介入。

『ヴィーラ殿下のお言葉である! 全霊をもって恭順せよ!』

「――っテレパシー!? そうか、これが『風舌(ふうぜつ)』か!」

 スーリヤ様の研究発表で聞いた。思考の隙間に無理やり別の意思をねじこまれ、抗えずに脳がかきむしられる感覚。

 むしろ何も考えないほうがいい。

「抵抗しないで、受け入れたほうが楽だ……っ」

 そして「ヴィーラ殿下」は、領民にとって絶対的支配力を持つ名称。誰もが心を開き逆らう者はいない。

 パニックになっていた市民は、「声」を聴こうと立ち止まっている。

『脅威は東の職人住居区から発生し、北西のウッティ門へと続いている!

 北の市民は野外施設へ、南西の市民は城へ避難。道を開いて(・・・・・)ただ通してやれ! 兵も同様だ、攻撃せずともいい!

 市民の安全と避難だけを最優先とせよ!』

 端的な情報伝達と、わかりやすい行動指示。

『くり返す! これはヴィーラ殿下の下知であるっ!!』


「――っ切れ、た?」

 ぼくは肩で息をしていて、アカーシャが心配そうに覗いてくる。

 因果伯の三人は慣れているのか、少し眉をひそめただけだった。

 周囲の市民も肩で息をしながら、誰に対してか一つ頷く。けして焦らず騒がず、急いで城に向かっていく。

風舌(ふうぜつ)」を知らぬ市民にとっては未知の「声」、しかし――。

「ヴィーラ殿下のお言葉に従おう!」

「そうだ我らには、殿下がおられるではないか!」

 幾度か叫ばれ、同調し呼応する声もあがる。

 こういったときは、絶対的な存在がいると本当にありがたい。市民のパニックは急速に沈静化していった。

「残ったのはジャーラフだったのか……っ相変わらず、頭に響くなァ」

 側頭部を軽くたたきながら、ウールドがぼやく。

「因果伯の一人だね……ジャーラフ、伯爵?」

 それにしてもなんて大胆なんだ。

 確かに矢を弾く魔獣の前に兵を集めても、盾になるかも怪しい。それでも街中を素通りさせるなんて、思い切った手段は取り難い。

 この方は確実に、何かが(・・・)視えているんだ。

「いや単なるジャーラフ、名か爵位号かは聞いたことねえな――…っ!?」

 今度は三人にだけきた(・・)のか、アカーシャもイーシャ卿も息を止めている。

「広範囲に、そして任意に選んでも伝えられるのか……やっぱり便利そうだ」

「――しっ、わかった!」

 ウールドは一つ深呼吸をし、汗を振り払う。

「アユム、俺らはあの蛇の親玉を止めにいく! お前はアカーシャと城に戻れ」

そういって貴族の服をぼくに放り投げる。

「あっ……あの巨大な魔獣を、二人で相手取るんですか? 城壁の兵士がどんなに攻撃しても、手傷を負ってもいませんでしたよ!?」

「なに今まで(・・・)のに比べりゃちっとばかし大きいだけだ、すぐあの色男も合流する。心配すんな、曲がりなりにも俺らは『因果伯』だしな」

 魔獣討伐も俸給のうちだ――なんてウールドがおどけてみせた。特殊な「力」、「カルマ」を啓くことができる方たち。

 そしてアカーシャの頭をなでる。

「アカーシャはあの蛇公が視えて(・・・)たんだな? 確かにねーちゃんとトリの坊主でもいなけりゃ、どうしようもなかったわ。うまくやった、偉かったぞ!」

 アカーシャは無言でウールドを見上げている。

 マナスルに残る因果伯を選ぶさいに、トラブルがあったと言っていた。つまり、「もう一つ」……。


「んでねーちゃん、どんな塩梅だ?」

「魔獣の『カルマ』は感じます、建物の陰でよく……どのような姿(・・・・・・)でしょうか?」

 意識を集中してるのか。イーシャ卿が錫杖をまっすぐに構え、先端の輪になった部分をおでこ近くにかざしている。

「でっかい蛇だ」

「――それは言外からわかります! あなたに訊いたのが間違いでしたわ!」

「どんな姿……外見がわかればいいんですか?」

 武器とはいえウールドは短剣だし、イーシャ卿は錫杖しか持っていない。

 ジャーラフ……さんが大胆なのは、因果伯(なかま)への信頼があるからにほかならない。

 ぼくでも何か役に立てないか。

「アユム卿! 我らに干渉する権利はないと申したでしょう!」

「このねーちゃんの『力』は、相手を知れば知るほど効――っくそが!」

「それ」が黒に近い緑の煙を吐き、発火して巨大な火炎放射器(ブレス)と化す。

 次いで建物数軒が爆発炎上する振動が響いた。

 周囲の市民はすでに避難して……いや煙を吸ったのか、人が倒れている。離れた路地ではブタが折り重なり、距離のあった鳥が落ちた。

 蛇の吐く煙は単なる引火性ガスじゃない――毒の息。

「あんの蛇公ぉ! ふざけやがって!!」

「いきましょう! 餓狼、乗せて――…」

「――あの魔獣はバジリスクです! 俗に『蛇の王』と呼ばれます!」

 ぼくにできるのは、思考――。

 ウールドとイーシャ卿の意識がぼくに集まる。

「周囲の地形と建物の幅から判断して、体長約七五メートル! 胴体部分の直径はドアと比べて一・八メートル、比重〇・八として推定体重一五〇トン以上!!」

 側溝のマップ作成時を思い出せ、記憶を掘れ――。

「大きさ以外は蛇と酷似していて、頭部には王冠に似た突起があります。矢が外皮に弾かれ、火花を確認しました。黒に近い緑のブレスを吐き、爆発した経緯からも引火性の危険があります。毒性もあるのか昏倒している人がおり生死は不明!」

 考えろ、考えろ、考えろ――。

「東の外側城壁から侵入し、市民や兵士に目もくれず北西のウッティ門へ移動中。一連の行動から無秩序ではなく目的を持っていると推測ができ、突如方向が変わる可能性もあります! ――ここからわかるのは以上です!」

 有無を言わせず早口でまくしたて、息を整える。

「ぼくは何も訊いていません(・・・・・・・・・)、単に独り言を呟いただけです!」

「うむ、俺もでっけえ独り言は聞こえなかったな」

 ウールドが耳をほじりトボケながら乗ってくれる、ありがとう。

 事前に情報が必要な「力」なら、探究部屋で見せてもらったO属性。ならばあの魔獣にも対抗できるかもしれない。

 だけどこれ以上は、詮索してはならない。

「えっええ、そうですわね! ええですが大変――大変助かりました、アユム卿」

「ではぼくらは城で待機します、ご武運を!」

 イーシャ卿は虚をつかれたのか、ポカンと似つかわしくない表情をしていた。

 ぼくができる最善は、戦いが待つ二人に気を使わせないこと。アカーシャの手を引きニコリと笑い、足の震えをごまかしながら走りだす。

「悔しいけどここにいては、単なる足手まとい……っ」



 ☆



「だからあたしは言ったんだ、新王都へ引っ越すべきだって!」

「おっお前いまさら、そんな……」

「俺は見たんだ! 城壁を乗り越えてくる、でっかい魔獣だったぞ!」

「そんなの相手に城に立てこもったぐらいで、無事でいられるのか?」

 城の周囲は避難する市民がつめかけていた。

 しかし不安や嘆き声はあるがパニックにはならず、整然と進み騒ぎは少ない。

「脅威はこちらに向いていない! 皆落ちついて入城しろ――!!」

 兵も誘導だけに集中していて、ほかに意識を向けないですむ分楽なはずだ。

「ジャーラフさんのおかげだね」

 アカーシャに笑いかけてると、子供の泣き声がした。

 聞き覚えのある声だったので意識が向く。行列から少し離れ集まっているのは、側溝を手伝ってくれた通りの皆さん。

「どうしたんですか? 早く避難しないと――」


「――いない? あの手伝ってくれてた、女の子だよね?」

「小人のくつ屋さん」がお気に入りで、何度もせがまれて話した。

 いつも手を繋いでたお兄ちゃんが、ぐしゃぐしゃの顔で泣いている。

「いっしょに、逃げてたら……誰か、にぶつかって……はぐれちゃったんだ」

「今この子たちの親を探してるんです、もしかしたら保護してるかもって」

 側溝通りに住むおばさんが補足してくれた。

 人混みではぐれ、運よく両親と出会う……確率からいってもそれは……。

 アカーシャがぼくの袖を力いっぱい握っている。不安と、危惧と――あきらめ?

 手を重ねて頷く、ありがとう。

「あの辺りは浴場の調査で何度も周ってます。皆さんより詳しい自信ありますし、ぼくが見てきましょう!」

 やっと皆の、お兄ちゃんの表情に日が射した。

 アカーシャを頼みますと、貴族の服も渡す。苦い表情で見上げる赤毛の幼女に、佩刀した剣をたたく。

 二番煎じだけど、少しでも明るくなるよう笑いかける。

「アカーシャ、ほらね。ぼくは曲がりなりにも『騎士』なんだよ、いかなきゃ!」

「ダメ――――っ!!」

 この騒ぎのなか、誰もが振り返る絶叫が響く。

 アカーシャは叫んだことに気がつき、口を押さえ真っ青な顔で後ずさった。

「ごめんね……アカーシャ」

 ぼくは公衆浴場「アラヤシキ」に向かって走りだす。

「――~…っ!」

 アカーシャがどうしようもなくなって、ただ言葉につまる。

 せめてもう少し気の利いた説明ができたら。ごめんねアカーシャ、うまく流してあげられなくて……。

 話させて(・・・・)しまって。

 そうだアカーシャは視たんだ、「魔獣(バジリスク)の出現」と――そして「もう一つ」を。

 二つ(・・)視ていたんだ。

 なぜもっと早く気づけなかったのか。一つ目はヴィーラ殿下がうまく流してる、軽口の形で因果伯にもそうと悟られないよう。

 改悪(・・)されないように。

 そして昼食会で二つ目を視た。誰にも話せない未来を――つまりこれから起きる「もう一つ」は、悲劇……。


 そうして異世界に来て初めて、ぼくは独りになった。


「アラヤシキ」から側溝通りに出て、貴族区を抜けて走る。

 女の子の、迷子の行動範囲は主に二タイプ。

 一・迷子の自覚がない場合――これは今回は除外される。

 魔獣の出現で大人まで逃げ惑ってるのに、一人で遊んでいるわけがない。

 二・自覚があり親を探してる場合――顔を確かめるため、人の流れに逆行する。

 不安がつのり、見知った場所へ引き返してしまう。

「ならばよく遊んでいた場所、側溝通りの農民区!」

 農民区は細かい路地と空き家が多い。

 全部を周ってる猶予はない、大声は極力避ける。バジリスクが目的を持っているのだとしても、動きが読めるわけではない。

 では、どうする!?

 ぼくは一つ深呼吸して、気持ちを無理やり落ちつかせた。

「――小人さんは仕事に取りかかりました。チクチクトントン……」

 手伝ってくれていた側溝通り、歩きながらお話をした場所で語りだす。


「……小さな指で、チクチクトントン。すてきな靴ができました――」

 二度目の暗唱中、背後で小さいが確実な物音がした。

 振り返る、右手、あの空き家。

 駆けよって扉を開く、闇に目が慣れるまでがもどかしい。思う間もなく、なぜか部屋の隅に小さい光が浮かぶ

 女の子がこっちを見ていた。

「ぅわあああああ――――んっっ!!」

 走ってくる、手を広げて迎える。しがみつく……その痛いまでの力と温かさに、命の鼓動を感じた。

 遠くで地響きがして、大泣きしていた女の子がビクリと震える。

「大丈夫だからね、お兄ちゃんのとこへ帰ろうね」

 頷く女の子を優しく抱っこして、軽く背をたたきながら通りに戻った。

 大丈夫まだいない、あの巨体だ近くにいたら絶対に音が……。

「――っ!?」

 影に――おおわれる。

 風切り音が重なるのを聞くや、横っ飛びに避けた。

 奇跡か、あるいは予感だったのか。交錯した「死」は、コンマ数秒前立っていた足元に降ってきた。

 瓦が重なり落ちて、建物の屋根だったのに気がつき目を疑う。

 避けたはずが崩れた木材にたたかれ、地面に転がり石壁にぶつかる。背をしたたかに打ち息がつまった。

 破片があちらこちらに落ちて、地面に「振動」を伝える。

 女の子がいた空き家に大穴が開き、無残にも倒壊していく。埃と木材、石が舞い周囲を埋めつくす。

 喉がつまり咳きこむ、快く咳きこんでいたいけどそうもいってられない。

 気配を感じて、うめくように顔だけそちらに向ける。

 顕現した巨大な蛇(バジリスク)が鎌首をもたげ、街を見下ろしていた。

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