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M属性 ~嗚呼、あなたに踏まれたい~  作者: 高谷正弘
第五章 プールヴァ帝国
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百六十八夜 20世紀最大の発明

「――脚側行進(ヒール)っ!」

「っダメ(ノー)! 待って待っ……待機(プレイス)! お座り(シット)なさい、お座り――~(シィ――――ット)っ!!」

「もう……っ貴方(あなた)たち! 言うことをお聞きなさい!!」

 帝都から離れた平原に、令嬢の甲高い声が響く。

 12月はすでに本格的な冬だが、欧州の南は比較的に温暖な気候である。平野部であればそれほど寒くはなく、夜半や明け方だけ急激に冷えこむ。

 だがその光景を見た者がいれば、心胆寒からしめただろう。

「ガルゥウウウ……」

 30数頭の狼が、十人近い人影と荷馬車を取り囲んでいたのだ。

 黒と灰色の冬毛に覆われ、立ち上がれば令嬢より背が高い。暑さを好まず快適な気候に興奮し、走り回っては威嚇を繰り返す。

 非友好的な気性は、犬と見間違えようがなかった。

「とても訓練に入れる状態じゃありません、いったん集合しましょう――招呼(カム)!」

「ガガゥ!」

「ガルルルル……ッ」

 ひと噛みで死にいたる脅威を前に、令嬢は臆することなく指令を下す。

 口元には「タラーク」に酷似した文様が浮かび、淡く発光している。「カルマ」による強制的な命令に、牙をむく狼もいた。

 しかし令嬢の後ろに控えた巨漢に二の足を踏む。

 マントの隙間からプレートアーマーが鈍く輝いている。短杖を十数本束ねて斧を結び留めた、太い棒も肩に捧げ持っていた。

 古代ローマでは権威の標章として使用された束桿(ファスケス)である。

 グレートヘルムのスリットから放たれる眼光。不届き者には非情な戦斧と化し、打ち振るわれるのは想像に難くない。

「グルルル……ガウウゥ」

 狼は不承不承ながら、一ヵ所に集っていく。



「はぁ……訓練士の方! 今までどういった教育(しつけ)をなさってこられたの!?」

「仁王」のフェスティーナが、夜会巻きにした髪を若干乱して叫ぶ。

 十代の令嬢に詰問され、6名の訓練士は一瞬眉をひそめる。だがぎこちなくとも狼を従わせていたのは事実。

 この方は因果伯だと思い返し、顔を見合わせ瞳を伏せた。

「その我らは訓練士と呼ばれちゃいますが、役割的には飼育係なんだ……でス」

「餌付けして食欲の有無を確認し、寝床を用意し排便の掃除と……狼の体調管理が主な仕事なんス。そんな我らにすら、警戒心が強く接触を嫌がるほどで」

「狼は人になつきません……犬とは違い、けっして従わないのです!」

 主従関係を教育し、服従訓練を行うのは不可能――。

 訓練士が不本意ながらも声を荒げる。荷馬車には太い鉄柵の頑丈な檻が繋がれ、常なる危機感の懸念が見て取れた。

「戦獣部隊」を表すケルベロスの軍旗が、一陣の風に音を立ててはためく。

 ――狼ほど両面的なイメージで語られた獣も珍しい。

 一方では人間を憎しみあざむく悪魔だと畏怖され。一方では勇気があり力強く、人間の兄弟だと崇拝された側面もある。

 古代の伝説に登場し、神話によってつづられ続けた存在。

 しかし近代以降は「人喰いの悪魔」となり、絶対的な根絶対象となっていく。

「ごっ誤解しないでください、我らもできる限りの任務は遂行しているのです!」

「ですが戦獣部隊としての統制など、軍務上の働きはつまるところ……因果伯様の『力』に頼る他ないのが、現状でして……」

 訓練士たちの声が徐々に小さくなっていた。反面相槌を打つ姿には自己保身と、正当化意識が絡みあっている。

 令嬢とて狼を飼い慣らせるとは思っていない。

 容易い手段なら帝国以外でも、戦獣部隊が組織されてしかるべきだ。その噂すら聞かないのは困難であるからに他ならない。

 理解はすれども訓練士のあきらめきった態度に、令嬢は無言で視線を切った。


「……ィーナ」

 同じく「仁王」のレンテが、甲冑を鳴らし声を詰まらせる。

 フェスティーナの背丈が胸にも届かない巨漢。背後に控え気配を発するだけで、まさしく仁王の迫力をもたらす。

 令嬢の心情を想い顔色をうかがう姿勢は、ひるがえって滑稽にすら映った。

「私は……口惜しいですけど私は、『綺人(きじん)』を不得手としています。『カルマ』の淡い光をとらえるのも……っ」

 令嬢が訓練士に背を向け、狼の集団へと歩を進める。

 弱音を隠すように、巨漢が後ろを追従していた。それだけで世界は2人を包み、高い空の下で本心が浮かび上がっていく。

「同ジO属性デモ、苦手ナ術ガアルト聞ク。気配ノ光モ『風舌(フウゼツ)』使イデナケレバ、日頃カラ視タリハシナイ……」

 グレートヘルムでさえぎられ、くぐもった声が優しく諭す。

「分かっていますわレンテ、ですけど私たちは帝国の要となるべき因果伯です! 光栄な爵位を叙勲していただいたんです!

 この身をして帝国の(いしずえ)とするに、なんの抵抗がありましょう。

 訓練士への憤りも、本来は己へと向かうべきなのです。西征を前に出奔している『三悪党』に任せてはおけないと、立ち上がったのですから。

 私が戦獣部隊を率い、先陣を(うけたまわ)ってこそ本懐を遂げれるのです!」

 己の不甲斐なさに歪めた眉が、決意も新たに上がっていた。

 蒼穹から天使の梯子が身体を貫き、帝国への忠誠心が奮い立つ。胸を張り頬すら赤く染めて、狼の集団へ奮起する。

「さあ畜生(ちくしょう)の皆さ――ん!」

「フェスティーナ、言葉使イ」

「人に準じない獣であれど、帝国の理念を説けば必ずや胸打たれるはず! 神聖な戦列にくわわり、華々しい戦果を挙げましょう――~!!」

「ウウウゥ……」

 狼たちからは嫌な奴が来たと、迷惑そうな視線を向けられてはいたが。

「では訓練を再開いたします! まずは待て(ステイ)を完璧にしましょう、それができたらお手(ハンド)おかわり(チェンジ)まで! ビシビシいきますわよ――っ!!」

「ウガァ!」

「ガウウゥ……ガァアアア!!」


「演習でこれじゃな、あの嬢ちゃ……因果伯様もがんばっちゃいるが望み薄だろ。やっぱ狼のリーダーを、連れてくるべきじゃねえか?」

「確かに統率者がいれば、格段に指示を聞くようにはなるが……」

 平原に再び、狼の唸り声が解き放たれる。訓練士たちは矛先が向かないように、肩を寄せあい身を縮こませていた。

 襲われれば一切の抵抗もできないまま、その牙で引き裂かれるだろう。

「だがあいつ(・・・)は帝国の信条に反するし、難しいと思うぜ」

「まして今回の西征は、皇太子直属の騎士団が出っ張るってんだ。教義を順守するお貴族様だろ、話も聞いちゃくれねえよ」

 誰もが吐いた白い息の中に想像する。

 輝く甲冑をまとった騎兵に続く、場違いな訓練士と獣の檻。イラだった狼が吼え市民が怯え、失笑と軽蔑にさらされる行軍。

「隊長が遠征先で名誉の負傷(・・・・・)をしたとか、しばらく部隊行動もしてねえからなあ」

「よっぽど酷えケガをされたのか、復帰はしないそうだ。だからこそ金払いのいい貴族の前で、戦果を上げなきゃいけねえんだが」

「オイへたすりゃあ役立たずの金食い虫ってんで、戦獣部隊ごと……っ」

 お払い箱になっちまう――口に出すのもはばかられ、ため息と共に呑みこむ。

 けして楽しいといえる仕事ではないが、解雇となれば話は別。戦場で慣れぬ剣を振り命をかけるのに比べれば、まだマシ(・・・・)ではないのか。

「狼のリーダー……アレ(・・)に、俺らの命運を託すのか」

「ハッ愉快な気分だなあ、ええおい」

 皮肉気な笑みのあと、姿を思い出したのか頬に光が伝う。

 できれば関わりたくないと、合わせた目が互いに了承していた。

「託さないといけないのか、あの……ジェヴォーダンに」


「ハイ皆さんが静かになるまで、日がずいぶんと傾きました! 教育(しつけ)の第一歩は、お互いの意思疎通からと文献にも――え?」

「ウウゥ……」

 狼の鼻がビクリと弾くと、いっせいに一方を睨んだ。

 フェスティーナが釣られて視線を向けるが、遠くの森が微かに揺れるだけ。何があったのかとレンテを見ても、分かろうはずもない。

「フッフッ……グゥウウ」

「ウルルルゥ」

 だが駆け出しこそしないが狼の唸り声は止まらず、異常事態なのは明白だった。

 光も視えぬ遠い気配が、暗雲とした不安をもたらしてくる。

「あっあの因果伯様、いったい何が?」

「分かりません、ですが何かが起こっているのは確かなようです! 訓練士の方は待機していてください、少し様子をうかがってきますわ!」

 訓練士も狼の不自然さにようやく気がつく。

 荷馬車に戻った令嬢が馬を曳き、騎乗すると即座に駆け出した。甲冑を着こんだ巨漢が並走するさまは、一種異様だったかもしれない。

「皆は小屋(ハウス)に……ちょっ小屋(ハウス)! 小――屋(ハ――ウス)っ!」

 狼たちとすれ違うさい指示をするが、ノソリと立ち上がると追従してくる。

 巨漢が束桿(ファスケス)を構えて令嬢を仰ぎ見た。あきれて首を振っていたが何かを決心し、狼たちを見下ろしている。

 口元の「タラーク」が一層激しく瞬くと、違和感の方向へ手をかざす。

「んもうっ仕方がありませんわね! 何が気にかかるのか、捜索(サーチ)なさい!」

「ガガァ――!!」

 令嬢の指令を受け、黒と灰色の影が散弾銃の勢いで疾走した。



 ☆



「――物資を運ぶ木箱を新調? それが行軍に、必要不可欠だというのですか?」

 軍旗こそ取り外されているが、外郭十二門会議を開いた皇宮の居室。

 行軍に至る経路や準備をつめていたさなか。片隅で参画していたオルロックが、またしても提案をしたのだ。

「双璧」のコルポレが、あまりにも意外すぎて聞き返す。

「とても重要な案件です、まずは模型をご覧ください。こちらが一般的な荷馬車、こちらが推奨する貨物輸送用(・・・・・)の荷馬車です」

 少年は小さなテーブルの上に手製の模型を取り出す。荷馬こそ繋いでいないが、居室に飾っておきたくなるほどの精巧さだった。

 通常の荷馬車には荷が落ちないよう、荷台には柵や(へり)をつけて箱状とする。

 しかし推奨した荷台は、金具で補強されてはいるが梯子(ハシゴ)状の車台(シャーシ)だけ。これでは荷を積むどころか隙間からこぼれてしまう。

「オルロック君、遠征の提案は確かに承服しました。帝国を勝利へ導くといった、大言壮語も含めてね……」

 意図が分からずコルポレが眉をひそめ、冷酷な秘書の眼差しを向ける。

「ですが立場を履き違えぬように、ルーシー嬢の従者とはいえ戯言が過ぎます!」

「おいおいコルポレ卿、話くらい聞いてやっても良かろう」

 同じく「双璧」のオーランドゥムが、妙に突っかかる朋輩に苦笑を返す。軍隊の司令官さながら寛容さをしめした。

 重臣2人のやり取りに、少年は戸惑うことなく笑う。


「荷馬車を扱うのはほとんどが商人だろう、この場で議論してもはじまらんゾ」

 さして興味もなく椅子に座っていたルーシーが、一応の口添えをする。

 軍議があるからと律儀に来たが、「双璧」しか居室にいない。顔を会わせた手前帰るに帰れず、愚痴をこぼしてはいたが。

「ですが騎士団にも輜重兵がいます。先んじて進めておけば臣民に効果が伝わり、理解が得られやすいでしょう」

 将来的には規格を合わせたいですしね――。

 想定した質問だったのか、オルロックは肩をすくめて返答した。

「しかし見事な細工だなオルロック、まるでドワーフの仕事だ! だが馬がいないのは残念だ、今度は軍馬と騎士を作ってくれないか!」

「この梯子(ハシゴ)のような台車が、そこまで有用とはとても思えないのですが!?」

「輸送部隊が運ぶのは食料に武具など、行軍に必要な物資ですね。それらを木箱はもちろん樽や(ジュート)の袋など、保存されていた容器のまま荷台に積んでいます」

 オーランドゥムは玩具を前にした子供の好奇心で瞳を光らせている。コルポレは武器を扱う慎重さで、荷馬車の模型を角度を変え検めていた。

 少年はさらに積み荷の模型を並べ、通常の荷馬車へと納めていく。

「大雑把に積んでしまいましたが、これで限界でしょう。これ以上は小石を踏んだだけで倒れるか、荷台からずり落ちかねない」

 それは思わず支えたくなる荷馬車の状態。

 少しでも稼ごうと無理に詰み上げる。街中でぶちまけ街道で立ち往生する姿を、誰もが一度は目にしたことがあった。

「おおっまるで天からの情景! 市井の一部をここに再現したかのようだ!」

「オーランドゥム卿、少し黙っていてください! これがどうしたというのです、軍議を中断してまで子供の遊びにつき合ってはいられません!」

「私が推奨する輸送用の荷馬車には、規格を統一した木箱を乗せるのです」

 梯子(ハシゴ)状の車台(シャーシ)の上に、ピタリと乗る木箱。

 金具で押さえ、紐で縛って固定する。通常の荷台のように柵や(へり)をつけて箱状にするのではなく、箱ごと(・・・)取り外せる仕組み。

「なんと木箱をそのまま、荷台にしてしまうのか……っ!?」

「……っ!」


「そうです木箱ごとなので、積載の手間が格段に省けます。四隅には 担金具(にないかなぐ)が取り付けてあり、附属の(さお)を通せば2名~4名で運べます。荷馬車と拠点まで、何度も往復する必要がありません」

「へえ確かに、これは便利そうだな」

 ルーシーが模型に興味を持ちテーブルに寄っていた。

 しかし「双璧」の2人は雷に打たれている。口に手を当てあるいは開け放って、荷馬車の模型をこれでもかと凝視していた。

「にっ荷の運搬が……たった一度、だけですむ?」

「いっいやしかし、そのような……」

「木箱の規格を統一するのは、重ねて二段にできるからです。よほどきつい傾斜でなければ、倒れないよう組み合わせれます」

 小物も収納できるので、落とすこともありませんね――。

「なるほどっ資材用の天幕も限りがある! 積み上げれるなら場所を取らないし、空き箱もまとめて置けるから管理も手軽だ!」

「……物資がどれだけ残っているのか、算出もしやすい……ですね」

 樽や麻の袋は積み上げるのに限界がある。必然広い場所に敷き詰めねばならず、上部はデットスペースとならざるを得ない。

 遠征のさい物資の補給と撤収に、どれほどの時間を費やしてきたか。

「待ってくださいオーランドゥム卿! 行軍に追従する商人も同じ木箱にすれば、空き箱を繰り返し使用する『通い箱』にできるのでは!?」

「それだコルポレ卿! 過去に類を見ない、合理的な遠征が行える!」

 戦争の形が変わる――。

「さらにはクレーンを使い船に乗せ、荷馬車に移し替えて運び、木箱ごと降ろす。統合した輸送システムが確立できれば、物流に革新をもたらすでしょうね」

 それは国が領民がうるおう流通ネットワーク。

 少年が木箱の模型をかざしニコリと笑う。2人が到達したより遥か先の局面を、当たり前のようにしめしたのだ。

「軍議に――帝国の未来に、必要不可欠な提示(プレゼン)です」

 主人が再び軍議への参画を求められ、少年は怪訝に思う。

 すでに西方の情報は伝えられ、遠征に従軍しない主人がなぜかと。以前の会議で「双璧」の値踏みする視線は、誰に向けられていたか……と。

 そこで旅の合間に作っていた模型を持参し登城したのだ。

「このように規格を統一した外箱を、『コンテナ』と呼びます」


 ――物流に多大な影響を与えた「コンテナ」の登場は、20世紀も半ばである。

 当時は業者による梱包のサイズがバラバラだった。そのため貨物の荷役において人手と時間が膨大にかかり、コストの大半が人件費とまで言われている。

 さらには崩落による損害や盗難など、現場での不手際が横行した。

 だが規格化されたコンテナは、そのままトレーラーに搭載できる。物資の開封や積み替えの必要がなくなったのだ。

 効率的で安全な輸送システムの確立は、世界の在り方も変えていく。

 それまでは国単位での生産と消費。しかし海外から安定的な輸入が可能となり、世界規模での分業体制が確立していった。

 海上と陸上がシームレスとなり、一貫輸送が実現したのだ。

 物流コストが削減され、輸送中のトラブルがなく安全性も高い。あって当たり前と思えるほど、急速に世界へと普及。

「コンテナ」は20世紀最大の発明とも呼ばれている――。


軽蔑する(コンテムン)……? ああいや、コンテナーですか。確かにこれまでは劣ったやり方をしていたと、反省したくなるほど有益な輸送法ですね」

 コルポレが深く息を吐き、複雑な視線でオルロック見つめた。

 秘書に似合わない感情の起伏に、オーランドゥムが目を瞬く。

「荷台が梯子(ハシゴ)状なのは、少しでも重量を軽減するためです。木箱に変わる素材か、軽量化できる材質があれば良いのですが……」

 アルミニウムはあるけどアルミ板へ圧延は難しい、プラスチック(・・・・・・)があれば――。

「……っ!?」

 少年の呟きに、模型で遊んでいたルーシーが反応する。

「ぷらっちっく……? オルロック君、それはいったいなんです?」

「プラスチックは、なくてはならない製品なんです。ガラス製品だった、メガネのレンズに至るまで幅広く――…」

「おおっとヤバイ! ジジ……『老雄』との密約に遅れてしまう!」

 秘書の疑問に少年が答えようとするのを、娘が大声でさえぎった。

 模型を乱暴に置くと後ろも見ず早足で扉へ向かっていく。両手で両耳を押さえる仕草が何を意味するのか、この場で理解できる者はいない。

「あっ待ってくださいズキンの姉御! 私もご一緒します!」

「お前はそいつらに訳の分からん呪詛を唱えてろ! あとルーシー様と呼べ!」

 室内に扉が閉まる音が響き、しばしこだまする。

 まあ皇宮で因果伯に弓をひく者はいまいと、少年は腰に手を当て頭を振った。

「……ルーシー嬢は何を恐れているのだ?」

 模型が壊れていないかと気にかけながら、司令官が首を傾げる。

 くるりと2人に向き合った少年が、とても楽しそうに手を打った。

「さて皆さん! プラスチックの使い捨てできる便利さが生活には必要で――」



「木箱の寸法は商人の意見も聞くべきだろう。四隅の 担金具(にないかなぐ)は、職人にこの模型を見せた方が早いかな」

「今回の遠征には、商人の荷馬車まで手が回せないですね。ですが輜重兵が使用し利便性が証明できれば、確かに臣民の理解も得られやすい」

「フッ……すべてオルロックの手の内か」

「口惜しいですか?」

「さてな、頼もしくもあるが……ところでどうしたものか」

「……」

 皇太子直属の家臣、得難き因果伯である「双璧」が顔を見合わせる。

 チラリと盗み見る先に、手を振り回して熱弁する少年。

「――しかしセルロースを原料とする半合成樹脂(セルロイド)には、発火しやすい欠点があったのです。さらなる実用性が求められ研究が続き――~」

 何だか分からないどこか遠い異国の話を、とうとうと語って終わらない。

 さりとて聞いた手前止めづらく、さすがに辟易しながら小声で話す。

「……なにやらかなり妙な、逆鱗に触れたようだな」

「軍議を口実に本質を見極めようと挑発したのですが、どうにも上手くいかない。どうやらオルロック君の感情を刺激できるのは、ルーシー嬢だけのようですね」

 オーランドゥムが眉を下げ頭をかくと、コルポレが髪をかき上げ苦笑を返す。

 秘書が何をしたかったのか、司令官はやっと理解できた。

「やけに反発するはずだ、そんなことを考えていたのか。しかしこうしていると、普通の少年にしか思えないな」

「普通とは……少々語弊がありそうです。M属性ならばこの感覚も『予感』だと、割り切れるのですが」

 忘れることのできない奇妙な気配。

 立て板に水のごとく語られる知識は、どこで学んだのか。少年との間にけっして相容れぬ深き川が浮かんで見えた。

「すでにフェノール樹脂の工業化に成功していたので、置き換えが可能で――」

「ああオルロック熱い弁舌中にすまないが、先日に提案されていた『ソッコウ』に『石焼き風呂』、そして『薪の財産(ボナー)』の件なんだが……」

「…――はい?」

 少年の意識がやっと戻って来て、「双璧」はある意味安堵する。

「悪いがやはり、決議はされなかった」

 司令官の言に、少年の世界が一瞬止まった。

 暗闇の中で息を吸い、膨れ上がる鼓動を押さえどうにか吐き出す。

「そう……でしたか」

「まあ確かに、私も必要性だけなら……なんとなくは理解できるのですが。評議会の意見はどうだったんです?」

「我らの反応と同じだな。汚物が邪魔なら穴を掘ればいい、湯に浸かるなど精神の堕落だと。因果伯(オレ)の手前あしざまに批判はしないが、神への冒涜だとな」

「なるほど、ですがこの『コンテナー』は有用です。すぐに手配をして――…」

「双璧」の言葉が耳を通り抜けていく。

 少年は自分でも驚くほど落胆していた。無理矢理にも精神を復帰させ、どうにか笑顔を張りつけ会釈する。

「いえ……ご面倒をおかけしました、なにか別の手立てを考えてみます。

 ズキンの姉御にも方々で仲介を頼んでいただいてます。これ以上何から何まで、頼るわけにはいきません。

 できる事は、自分でやれる事はやらないと!」

 しかし資金もなく信用もなければ、何年の事業になるのだろう。

 下手をすれば「側溝が必要な理由」の説明に、奔走し続けなければならない。

「帝都周辺の領地だけでも、説いて回るしかないのか。しかしそれでは遅すぎる、急がなければ時が来てしまう――」

 少年は、焦って(・・・)いたのだ。




「……っこれ、ですわね」

 森を切り開いて続く街道に、赤黒い血だまりが散見している。

 人が乗る屋根が付いた馬車と荷馬車が2台、共に荷を山積みにしていた。そして周囲には、動かぬ人影が伏していたのだ。

 すでに事切れている者、微かだが命を繋ぎ止めていた者。

 フェスティーナが到着したころには、すべての光が絶えている。遺体にはなぜか焦げ跡もあったが、むせかえる血の匂いで判断がつかなかった。

「盗賊が隊商を襲撃したようですね、狼は彼らの争う気配を察したのでしょう」

 目頭を押さえていた令嬢が顔を上げ、状況を分析する。

 整った服装の10数人は、隊商に雇われた護衛だろう。元傭兵にも思える粗野な装備をした20数人が盗賊団。

 護衛は倍する敵と相対し、撃退して見せたのだ。

 因果伯として死は幾度も経験していた。しかし惨劇の現場に慣れるはずもなく、手を組んで護衛の安らかな眠りを祈る。

「フェスティーナ、油断シナイデ」

「ええ分かっていますわ、倒れている者だけとは限りません。逃げた商人(・・・・・)を追った盗賊が、戻ってくる可能性もありますね」

 希望を含めた可能性――。

 レンテがくぐもった声で注意を呼びかけ、束桿(ファスケス)を隙なく構えなおす。

 令嬢は周辺に意識を集中し光を追う。結果からすれば日が傾き暗くなった森に、気配を感じることはなかった。

「フッフッ……」

「ガルウウゥ」

 むしろ異変は足元で起こっていた。

 亡骸を嗅ぎまわっていた狼が馬車に集まっている。怯える荷馬を無視し、屋形の扉に鉤爪を立て打ち破ろうとしていた。

『生存者――!?』

 意識の統一を見た令嬢が下馬し、巨漢をともなって屋形に寄る。急いで扉に手をかけた所を、巨大な篭手(ガンドレット)が制した。

『中ニイルノガ商人トハ限ラナイ』

 グレートヘルムのスリットから眼光が瞬き、令嬢は息を呑んで手を離す。

 巨漢が束桿を構えたまま慎重に扉を開ける。矢で射られ剣を突きこまれようと、けっして揺るがぬ盾となって。

 だが巨漢の意に反して動きはなく、暗い室内には倒れた人影が一つ。

「うっ……ぐ……っ」

 商人が肩に矢を受け呻いている、だがどうにか命は繋ぎ止めていた。

 20代半ば、赤茶色の巻き毛を低い位置のポニーテールでまとめ。旅に相応しい商人の出で立ちで、長めのブーツだけ若干の違和感を醸し出している。

「馬車ニ逃ゲコミ籠城ガ功ヲ奏シタヨウダ、命ニ別状ハナイ」

 運ノイイ商人ダ――。

 巨漢が上半身を検め、武器の類がないと判断して馬車から降ろす。

 訓練士のいる平原まで戻って治療を行おう。馬に乗せれば時間もかかるまいと、そばに突っ立っている令嬢を見上げた。

「……運では、ありませんわ」

 だが令嬢は手を貸しもせず、呆然と商人を視ている。

「門」が小さく直接視てやっと分かった。煙のように淡く立ちのぼる、一般人とは思えない太さを持つ光。

「その商人、啓いて(・・・)います……っ!」


 商人の右手の中指と左手の薬指のリングが、小さく瞬いた。

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