百六十八夜 20世紀最大の発明
「――脚側行進っ!」
「っダメ! 待って待っ……待機! お座りなさい、お座り――~っ!!」
「もう……っ貴方たち! 言うことをお聞きなさい!!」
帝都から離れた平原に、令嬢の甲高い声が響く。
12月はすでに本格的な冬だが、欧州の南は比較的に温暖な気候である。平野部であればそれほど寒くはなく、夜半や明け方だけ急激に冷えこむ。
だがその光景を見た者がいれば、心胆寒からしめただろう。
「ガルゥウウウ……」
30数頭の狼が、十人近い人影と荷馬車を取り囲んでいたのだ。
黒と灰色の冬毛に覆われ、立ち上がれば令嬢より背が高い。暑さを好まず快適な気候に興奮し、走り回っては威嚇を繰り返す。
非友好的な気性は、犬と見間違えようがなかった。
「とても訓練に入れる状態じゃありません、いったん集合しましょう――招呼!」
「ガガゥ!」
「ガルルルル……ッ」
ひと噛みで死にいたる脅威を前に、令嬢は臆することなく指令を下す。
口元には「タラーク」に酷似した文様が浮かび、淡く発光している。「カルマ」による強制的な命令に、牙をむく狼もいた。
しかし令嬢の後ろに控えた巨漢に二の足を踏む。
マントの隙間からプレートアーマーが鈍く輝いている。短杖を十数本束ねて斧を結び留めた、太い棒も肩に捧げ持っていた。
古代ローマでは権威の標章として使用された束桿である。
グレートヘルムのスリットから放たれる眼光。不届き者には非情な戦斧と化し、打ち振るわれるのは想像に難くない。
「グルルル……ガウウゥ」
狼は不承不承ながら、一ヵ所に集っていく。
「はぁ……訓練士の方! 今までどういった教育をなさってこられたの!?」
「仁王」のフェスティーナが、夜会巻きにした髪を若干乱して叫ぶ。
十代の令嬢に詰問され、6名の訓練士は一瞬眉をひそめる。だがぎこちなくとも狼を従わせていたのは事実。
この方は因果伯だと思い返し、顔を見合わせ瞳を伏せた。
「その我らは訓練士と呼ばれちゃいますが、役割的には飼育係なんだ……でス」
「餌付けして食欲の有無を確認し、寝床を用意し排便の掃除と……狼の体調管理が主な仕事なんス。そんな我らにすら、警戒心が強く接触を嫌がるほどで」
「狼は人になつきません……犬とは違い、けっして従わないのです!」
主従関係を教育し、服従訓練を行うのは不可能――。
訓練士が不本意ながらも声を荒げる。荷馬車には太い鉄柵の頑丈な檻が繋がれ、常なる危機感の懸念が見て取れた。
「戦獣部隊」を表すケルベロスの軍旗が、一陣の風に音を立ててはためく。
――狼ほど両面的なイメージで語られた獣も珍しい。
一方では人間を憎しみあざむく悪魔だと畏怖され。一方では勇気があり力強く、人間の兄弟だと崇拝された側面もある。
古代の伝説に登場し、神話によってつづられ続けた存在。
しかし近代以降は「人喰いの悪魔」となり、絶対的な根絶対象となっていく。
「ごっ誤解しないでください、我らもできる限りの任務は遂行しているのです!」
「ですが戦獣部隊としての統制など、軍務上の働きはつまるところ……因果伯様の『力』に頼る他ないのが、現状でして……」
訓練士たちの声が徐々に小さくなっていた。反面相槌を打つ姿には自己保身と、正当化意識が絡みあっている。
令嬢とて狼を飼い慣らせるとは思っていない。
容易い手段なら帝国以外でも、戦獣部隊が組織されてしかるべきだ。その噂すら聞かないのは困難であるからに他ならない。
理解はすれども訓練士のあきらめきった態度に、令嬢は無言で視線を切った。
「……ィーナ」
同じく「仁王」のレンテが、甲冑を鳴らし声を詰まらせる。
フェスティーナの背丈が胸にも届かない巨漢。背後に控え気配を発するだけで、まさしく仁王の迫力をもたらす。
令嬢の心情を想い顔色をうかがう姿勢は、ひるがえって滑稽にすら映った。
「私は……口惜しいですけど私は、『綺人』を不得手としています。『カルマ』の淡い光をとらえるのも……っ」
令嬢が訓練士に背を向け、狼の集団へと歩を進める。
弱音を隠すように、巨漢が後ろを追従していた。それだけで世界は2人を包み、高い空の下で本心が浮かび上がっていく。
「同ジO属性デモ、苦手ナ術ガアルト聞ク。気配ノ光モ『風舌』使イデナケレバ、日頃カラ視タリハシナイ……」
グレートヘルムでさえぎられ、くぐもった声が優しく諭す。
「分かっていますわレンテ、ですけど私たちは帝国の要となるべき因果伯です! 光栄な爵位を叙勲していただいたんです!
この身をして帝国の礎とするに、なんの抵抗がありましょう。
訓練士への憤りも、本来は己へと向かうべきなのです。西征を前に出奔している『三悪党』に任せてはおけないと、立ち上がったのですから。
私が戦獣部隊を率い、先陣を承ってこそ本懐を遂げれるのです!」
己の不甲斐なさに歪めた眉が、決意も新たに上がっていた。
蒼穹から天使の梯子が身体を貫き、帝国への忠誠心が奮い立つ。胸を張り頬すら赤く染めて、狼の集団へ奮起する。
「さあ畜生の皆さ――ん!」
「フェスティーナ、言葉使イ」
「人に準じない獣であれど、帝国の理念を説けば必ずや胸打たれるはず! 神聖な戦列にくわわり、華々しい戦果を挙げましょう――~!!」
「ウウウゥ……」
狼たちからは嫌な奴が来たと、迷惑そうな視線を向けられてはいたが。
「では訓練を再開いたします! まずは待てを完璧にしましょう、それができたらお手とおかわりまで! ビシビシいきますわよ――っ!!」
「ウガァ!」
「ガウウゥ……ガァアアア!!」
「演習でこれじゃな、あの嬢ちゃ……因果伯様もがんばっちゃいるが望み薄だろ。やっぱ狼のリーダーを、連れてくるべきじゃねえか?」
「確かに統率者がいれば、格段に指示を聞くようにはなるが……」
平原に再び、狼の唸り声が解き放たれる。訓練士たちは矛先が向かないように、肩を寄せあい身を縮こませていた。
襲われれば一切の抵抗もできないまま、その牙で引き裂かれるだろう。
「だがあいつは帝国の信条に反するし、難しいと思うぜ」
「まして今回の西征は、皇太子直属の騎士団が出っ張るってんだ。教義を順守するお貴族様だろ、話も聞いちゃくれねえよ」
誰もが吐いた白い息の中に想像する。
輝く甲冑をまとった騎兵に続く、場違いな訓練士と獣の檻。イラだった狼が吼え市民が怯え、失笑と軽蔑にさらされる行軍。
「隊長が遠征先で名誉の負傷をしたとか、しばらく部隊行動もしてねえからなあ」
「よっぽど酷えケガをされたのか、復帰はしないそうだ。だからこそ金払いのいい貴族の前で、戦果を上げなきゃいけねえんだが」
「オイへたすりゃあ役立たずの金食い虫ってんで、戦獣部隊ごと……っ」
お払い箱になっちまう――口に出すのもはばかられ、ため息と共に呑みこむ。
けして楽しいといえる仕事ではないが、解雇となれば話は別。戦場で慣れぬ剣を振り命をかけるのに比べれば、まだマシではないのか。
「狼のリーダー……アレに、俺らの命運を託すのか」
「ハッ愉快な気分だなあ、ええおい」
皮肉気な笑みのあと、姿を思い出したのか頬に光が伝う。
できれば関わりたくないと、合わせた目が互いに了承していた。
「託さないといけないのか、あの……ジェヴォーダンに」
「ハイ皆さんが静かになるまで、日がずいぶんと傾きました! 教育の第一歩は、お互いの意思疎通からと文献にも――え?」
「ウウゥ……」
狼の鼻がビクリと弾くと、いっせいに一方を睨んだ。
フェスティーナが釣られて視線を向けるが、遠くの森が微かに揺れるだけ。何があったのかとレンテを見ても、分かろうはずもない。
「フッフッ……グゥウウ」
「ウルルルゥ」
だが駆け出しこそしないが狼の唸り声は止まらず、異常事態なのは明白だった。
光も視えぬ遠い気配が、暗雲とした不安をもたらしてくる。
「あっあの因果伯様、いったい何が?」
「分かりません、ですが何かが起こっているのは確かなようです! 訓練士の方は待機していてください、少し様子をうかがってきますわ!」
訓練士も狼の不自然さにようやく気がつく。
荷馬車に戻った令嬢が馬を曳き、騎乗すると即座に駆け出した。甲冑を着こんだ巨漢が並走するさまは、一種異様だったかもしれない。
「皆は小屋に……ちょっ小屋! 小――屋っ!」
狼たちとすれ違うさい指示をするが、ノソリと立ち上がると追従してくる。
巨漢が束桿を構えて令嬢を仰ぎ見た。あきれて首を振っていたが何かを決心し、狼たちを見下ろしている。
口元の「タラーク」が一層激しく瞬くと、違和感の方向へ手をかざす。
「んもうっ仕方がありませんわね! 何が気にかかるのか、捜索なさい!」
「ガガァ――!!」
令嬢の指令を受け、黒と灰色の影が散弾銃の勢いで疾走した。
☆
「――物資を運ぶ木箱を新調? それが行軍に、必要不可欠だというのですか?」
軍旗こそ取り外されているが、外郭十二門会議を開いた皇宮の居室。
行軍に至る経路や準備をつめていたさなか。片隅で参画していたオルロックが、またしても提案をしたのだ。
「双璧」のコルポレが、あまりにも意外すぎて聞き返す。
「とても重要な案件です、まずは模型をご覧ください。こちらが一般的な荷馬車、こちらが推奨する貨物輸送用の荷馬車です」
少年は小さなテーブルの上に手製の模型を取り出す。荷馬こそ繋いでいないが、居室に飾っておきたくなるほどの精巧さだった。
通常の荷馬車には荷が落ちないよう、荷台には柵や縁をつけて箱状とする。
しかし推奨した荷台は、金具で補強されてはいるが梯子状の車台だけ。これでは荷を積むどころか隙間からこぼれてしまう。
「オルロック君、遠征の提案は確かに承服しました。帝国を勝利へ導くといった、大言壮語も含めてね……」
意図が分からずコルポレが眉をひそめ、冷酷な秘書の眼差しを向ける。
「ですが立場を履き違えぬように、ルーシー嬢の従者とはいえ戯言が過ぎます!」
「おいおいコルポレ卿、話くらい聞いてやっても良かろう」
同じく「双璧」のオーランドゥムが、妙に突っかかる朋輩に苦笑を返す。軍隊の司令官さながら寛容さをしめした。
重臣2人のやり取りに、少年は戸惑うことなく笑う。
「荷馬車を扱うのはほとんどが商人だろう、この場で議論してもはじまらんゾ」
さして興味もなく椅子に座っていたルーシーが、一応の口添えをする。
軍議があるからと律儀に来たが、「双璧」しか居室にいない。顔を会わせた手前帰るに帰れず、愚痴をこぼしてはいたが。
「ですが騎士団にも輜重兵がいます。先んじて進めておけば臣民に効果が伝わり、理解が得られやすいでしょう」
将来的には規格を合わせたいですしね――。
想定した質問だったのか、オルロックは肩をすくめて返答した。
「しかし見事な細工だなオルロック、まるでドワーフの仕事だ! だが馬がいないのは残念だ、今度は軍馬と騎士を作ってくれないか!」
「この梯子のような台車が、そこまで有用とはとても思えないのですが!?」
「輸送部隊が運ぶのは食料に武具など、行軍に必要な物資ですね。それらを木箱はもちろん樽や麻の袋など、保存されていた容器のまま荷台に積んでいます」
オーランドゥムは玩具を前にした子供の好奇心で瞳を光らせている。コルポレは武器を扱う慎重さで、荷馬車の模型を角度を変え検めていた。
少年はさらに積み荷の模型を並べ、通常の荷馬車へと納めていく。
「大雑把に積んでしまいましたが、これで限界でしょう。これ以上は小石を踏んだだけで倒れるか、荷台からずり落ちかねない」
それは思わず支えたくなる荷馬車の状態。
少しでも稼ごうと無理に詰み上げる。街中でぶちまけ街道で立ち往生する姿を、誰もが一度は目にしたことがあった。
「おおっまるで天からの情景! 市井の一部をここに再現したかのようだ!」
「オーランドゥム卿、少し黙っていてください! これがどうしたというのです、軍議を中断してまで子供の遊びにつき合ってはいられません!」
「私が推奨する輸送用の荷馬車には、規格を統一した木箱を乗せるのです」
梯子状の車台の上に、ピタリと乗る木箱。
金具で押さえ、紐で縛って固定する。通常の荷台のように柵や縁をつけて箱状にするのではなく、箱ごと取り外せる仕組み。
「なんと木箱をそのまま、荷台にしてしまうのか……っ!?」
「……っ!」
「そうです木箱ごとなので、積載の手間が格段に省けます。四隅には 担金具が取り付けてあり、附属の棹を通せば2名~4名で運べます。荷馬車と拠点まで、何度も往復する必要がありません」
「へえ確かに、これは便利そうだな」
ルーシーが模型に興味を持ちテーブルに寄っていた。
しかし「双璧」の2人は雷に打たれている。口に手を当てあるいは開け放って、荷馬車の模型をこれでもかと凝視していた。
「にっ荷の運搬が……たった一度、だけですむ?」
「いっいやしかし、そのような……」
「木箱の規格を統一するのは、重ねて二段にできるからです。よほどきつい傾斜でなければ、倒れないよう組み合わせれます」
小物も収納できるので、落とすこともありませんね――。
「なるほどっ資材用の天幕も限りがある! 積み上げれるなら場所を取らないし、空き箱もまとめて置けるから管理も手軽だ!」
「……物資がどれだけ残っているのか、算出もしやすい……ですね」
樽や麻の袋は積み上げるのに限界がある。必然広い場所に敷き詰めねばならず、上部はデットスペースとならざるを得ない。
遠征のさい物資の補給と撤収に、どれほどの時間を費やしてきたか。
「待ってくださいオーランドゥム卿! 行軍に追従する商人も同じ木箱にすれば、空き箱を繰り返し使用する『通い箱』にできるのでは!?」
「それだコルポレ卿! 過去に類を見ない、合理的な遠征が行える!」
戦争の形が変わる――。
「さらにはクレーンを使い船に乗せ、荷馬車に移し替えて運び、木箱ごと降ろす。統合した輸送システムが確立できれば、物流に革新をもたらすでしょうね」
それは国が領民がうるおう流通ネットワーク。
少年が木箱の模型をかざしニコリと笑う。2人が到達したより遥か先の局面を、当たり前のようにしめしたのだ。
「軍議に――帝国の未来に、必要不可欠な提示です」
主人が再び軍議への参画を求められ、少年は怪訝に思う。
すでに西方の情報は伝えられ、遠征に従軍しない主人がなぜかと。以前の会議で「双璧」の値踏みする視線は、誰に向けられていたか……と。
そこで旅の合間に作っていた模型を持参し登城したのだ。
「このように規格を統一した外箱を、『コンテナ』と呼びます」
――物流に多大な影響を与えた「コンテナ」の登場は、20世紀も半ばである。
当時は業者による梱包のサイズがバラバラだった。そのため貨物の荷役において人手と時間が膨大にかかり、コストの大半が人件費とまで言われている。
さらには崩落による損害や盗難など、現場での不手際が横行した。
だが規格化されたコンテナは、そのままトレーラーに搭載できる。物資の開封や積み替えの必要がなくなったのだ。
効率的で安全な輸送システムの確立は、世界の在り方も変えていく。
それまでは国単位での生産と消費。しかし海外から安定的な輸入が可能となり、世界規模での分業体制が確立していった。
海上と陸上がシームレスとなり、一貫輸送が実現したのだ。
物流コストが削減され、輸送中のトラブルがなく安全性も高い。あって当たり前と思えるほど、急速に世界へと普及。
「コンテナ」は20世紀最大の発明とも呼ばれている――。
「軽蔑する……? ああいや、コンテナーですか。確かにこれまでは劣ったやり方をしていたと、反省したくなるほど有益な輸送法ですね」
コルポレが深く息を吐き、複雑な視線でオルロック見つめた。
秘書に似合わない感情の起伏に、オーランドゥムが目を瞬く。
「荷台が梯子状なのは、少しでも重量を軽減するためです。木箱に変わる素材か、軽量化できる材質があれば良いのですが……」
アルミニウムはあるけどアルミ板へ圧延は難しい、プラスチックがあれば――。
「……っ!?」
少年の呟きに、模型で遊んでいたルーシーが反応する。
「ぷらっちっく……? オルロック君、それはいったいなんです?」
「プラスチックは、なくてはならない製品なんです。ガラス製品だった、メガネのレンズに至るまで幅広く――…」
「おおっとヤバイ! ジジ……『老雄』との密約に遅れてしまう!」
秘書の疑問に少年が答えようとするのを、娘が大声でさえぎった。
模型を乱暴に置くと後ろも見ず早足で扉へ向かっていく。両手で両耳を押さえる仕草が何を意味するのか、この場で理解できる者はいない。
「あっ待ってくださいズキンの姉御! 私もご一緒します!」
「お前はそいつらに訳の分からん呪詛を唱えてろ! あとルーシー様と呼べ!」
室内に扉が閉まる音が響き、しばしこだまする。
まあ皇宮で因果伯に弓をひく者はいまいと、少年は腰に手を当て頭を振った。
「……ルーシー嬢は何を恐れているのだ?」
模型が壊れていないかと気にかけながら、司令官が首を傾げる。
くるりと2人に向き合った少年が、とても楽しそうに手を打った。
「さて皆さん! プラスチックの使い捨てできる便利さが生活には必要で――」
「木箱の寸法は商人の意見も聞くべきだろう。四隅の 担金具は、職人にこの模型を見せた方が早いかな」
「今回の遠征には、商人の荷馬車まで手が回せないですね。ですが輜重兵が使用し利便性が証明できれば、確かに臣民の理解も得られやすい」
「フッ……すべてオルロックの手の内か」
「口惜しいですか?」
「さてな、頼もしくもあるが……ところでどうしたものか」
「……」
皇太子直属の家臣、得難き因果伯である「双璧」が顔を見合わせる。
チラリと盗み見る先に、手を振り回して熱弁する少年。
「――しかしセルロースを原料とする半合成樹脂には、発火しやすい欠点があったのです。さらなる実用性が求められ研究が続き――~」
何だか分からないどこか遠い異国の話を、とうとうと語って終わらない。
さりとて聞いた手前止めづらく、さすがに辟易しながら小声で話す。
「……なにやらかなり妙な、逆鱗に触れたようだな」
「軍議を口実に本質を見極めようと挑発したのですが、どうにも上手くいかない。どうやらオルロック君の感情を刺激できるのは、ルーシー嬢だけのようですね」
オーランドゥムが眉を下げ頭をかくと、コルポレが髪をかき上げ苦笑を返す。
秘書が何をしたかったのか、司令官はやっと理解できた。
「やけに反発するはずだ、そんなことを考えていたのか。しかしこうしていると、普通の少年にしか思えないな」
「普通とは……少々語弊がありそうです。M属性ならばこの感覚も『予感』だと、割り切れるのですが」
忘れることのできない奇妙な気配。
立て板に水のごとく語られる知識は、どこで学んだのか。少年との間にけっして相容れぬ深き川が浮かんで見えた。
「すでにフェノール樹脂の工業化に成功していたので、置き換えが可能で――」
「ああオルロック熱い弁舌中にすまないが、先日に提案されていた『ソッコウ』に『石焼き風呂』、そして『薪の財産』の件なんだが……」
「…――はい?」
少年の意識がやっと戻って来て、「双璧」はある意味安堵する。
「悪いがやはり、決議はされなかった」
司令官の言に、少年の世界が一瞬止まった。
暗闇の中で息を吸い、膨れ上がる鼓動を押さえどうにか吐き出す。
「そう……でしたか」
「まあ確かに、私も必要性だけなら……なんとなくは理解できるのですが。評議会の意見はどうだったんです?」
「我らの反応と同じだな。汚物が邪魔なら穴を掘ればいい、湯に浸かるなど精神の堕落だと。因果伯の手前あしざまに批判はしないが、神への冒涜だとな」
「なるほど、ですがこの『コンテナー』は有用です。すぐに手配をして――…」
「双璧」の言葉が耳を通り抜けていく。
少年は自分でも驚くほど落胆していた。無理矢理にも精神を復帰させ、どうにか笑顔を張りつけ会釈する。
「いえ……ご面倒をおかけしました、なにか別の手立てを考えてみます。
ズキンの姉御にも方々で仲介を頼んでいただいてます。これ以上何から何まで、頼るわけにはいきません。
できる事は、自分でやれる事はやらないと!」
しかし資金もなく信用もなければ、何年の事業になるのだろう。
下手をすれば「側溝が必要な理由」の説明に、奔走し続けなければならない。
「帝都周辺の領地だけでも、説いて回るしかないのか。しかしそれでは遅すぎる、急がなければ時が来てしまう――」
少年は、焦っていたのだ。
「……っこれ、ですわね」
森を切り開いて続く街道に、赤黒い血だまりが散見している。
人が乗る屋根が付いた馬車と荷馬車が2台、共に荷を山積みにしていた。そして周囲には、動かぬ人影が伏していたのだ。
すでに事切れている者、微かだが命を繋ぎ止めていた者。
フェスティーナが到着したころには、すべての光が絶えている。遺体にはなぜか焦げ跡もあったが、むせかえる血の匂いで判断がつかなかった。
「盗賊が隊商を襲撃したようですね、狼は彼らの争う気配を察したのでしょう」
目頭を押さえていた令嬢が顔を上げ、状況を分析する。
整った服装の10数人は、隊商に雇われた護衛だろう。元傭兵にも思える粗野な装備をした20数人が盗賊団。
護衛は倍する敵と相対し、撃退して見せたのだ。
因果伯として死は幾度も経験していた。しかし惨劇の現場に慣れるはずもなく、手を組んで護衛の安らかな眠りを祈る。
「フェスティーナ、油断シナイデ」
「ええ分かっていますわ、倒れている者だけとは限りません。逃げた商人を追った盗賊が、戻ってくる可能性もありますね」
希望を含めた可能性――。
レンテがくぐもった声で注意を呼びかけ、束桿を隙なく構えなおす。
令嬢は周辺に意識を集中し光を追う。結果からすれば日が傾き暗くなった森に、気配を感じることはなかった。
「フッフッ……」
「ガルウウゥ」
むしろ異変は足元で起こっていた。
亡骸を嗅ぎまわっていた狼が馬車に集まっている。怯える荷馬を無視し、屋形の扉に鉤爪を立て打ち破ろうとしていた。
『生存者――!?』
意識の統一を見た令嬢が下馬し、巨漢をともなって屋形に寄る。急いで扉に手をかけた所を、巨大な篭手が制した。
『中ニイルノガ商人トハ限ラナイ』
グレートヘルムのスリットから眼光が瞬き、令嬢は息を呑んで手を離す。
巨漢が束桿を構えたまま慎重に扉を開ける。矢で射られ剣を突きこまれようと、けっして揺るがぬ盾となって。
だが巨漢の意に反して動きはなく、暗い室内には倒れた人影が一つ。
「うっ……ぐ……っ」
商人が肩に矢を受け呻いている、だがどうにか命は繋ぎ止めていた。
20代半ば、赤茶色の巻き毛を低い位置のポニーテールでまとめ。旅に相応しい商人の出で立ちで、長めのブーツだけ若干の違和感を醸し出している。
「馬車ニ逃ゲコミ籠城ガ功ヲ奏シタヨウダ、命ニ別状ハナイ」
運ノイイ商人ダ――。
巨漢が上半身を検め、武器の類がないと判断して馬車から降ろす。
訓練士のいる平原まで戻って治療を行おう。馬に乗せれば時間もかかるまいと、そばに突っ立っている令嬢を見上げた。
「……運では、ありませんわ」
だが令嬢は手を貸しもせず、呆然と商人を視ている。
「門」が小さく直接視てやっと分かった。煙のように淡く立ちのぼる、一般人とは思えない太さを持つ光。
「その商人、啓いています……っ!」
商人の右手の中指と左手の薬指のリングが、小さく瞬いた。