百六十一夜 魔女の町
「――『塊』を側溝に流すんです、そうすれば寄ってくる害虫も減ります」
「はぁなんで町中を耕してるのかと思ったら、そんな事のために」
「いやこいつは帝都にある設備だってよ、領主が自慢げに語ってたぞ」
「へえ帝都に……そう聞くとなんだか、よさそうだねえ」
「皆さんがお風呂に入って衛生に努めれば、必ずや生活環境はよくなります」
「――今通った! 杭の間を確かに通った!」
「間っていうかボールが高すぎるよ、あれじゃあ杭の間とは言えんよなあ」
「そうですねゴールを認めるのは、杭の高さまでとしましょう」
「それを早く言え――! ん……じゃあ分かりやすく、杭の上に紐を張ろう!」
「こうしてルールや用具が、整えられていくんだなあ」
「――同じライ麦ですが、レーズン酵母を使用した製品です」
「レーズンの召集……? ああいや、コウボーか。こんなパン食べたことないっ」
「これも帝都で売ってるのか? なっなあ坊主、もっと詳しく教えてくれ!」
「ロック兄ちゃ――ん! 今日は2ゴールしたよ!」
「おおっ凄いな! ハイファ――イブ!」
「町がなにやら騒ぎになってると、話には聞いていたが……」
12月になり寒さも本格化するなか、その町は熱気にあふれていた。
休耕地にサッカー場が作られ歓声があがっている。子供中心だが大人も混ざり、応援に指示にと夢中になっていた。
近くの町や他領から来たのか、荷馬車が数台停まり行商人が集まっている。
そばには練習場まで作られ、簡易的な観客席が並び、屋台からは良い香りがし、大笑いが高く低く木霊していた。
久々に修道院から戻ってきたルーシーが、あまりの変化に茫然とする。
「サッカーってんです、オルロックが始めたんですがね。あれよあれよという間に評判になっちまった、いやあ面白いスポーツなんすよ――!」
ペールが御者席で空想のボールを蹴った。
試合でもゴールが決まり拍手と苦笑が響く。称える声援と後押しの激励が続き、次だと盛りあがっている。
「あいつを放置するとこうなるのか……目を離しては危険とジジイも察してたが、こんなのは想定もしてなかったゾ」
母娘団らんに気を緩め過ぎた――。
聞き慣れぬ笛の音と笑い声、喧騒に打ち消され誰もルーシーに気がつかない。
滅んでしまえと恨んだ人々の見たこともない表情。娘はただ呆然と、相容れない情景を前にたたずんでいた。
「クァアア――…」
肩に止まったズキンガラスが、心情を察して小さく鳴く。
「――んでさっきのがフェイントって技術だ。ボールを蹴るふりをしてまたぐと、相手が騙されて突破できる……はずなんだが、これが難しくてなあ」
「あれはズキンの姉御!? 皆さんすいません、本日はここまでで――す!」
ペールの止まらぬ解説中、オルロックが主人の荷馬車に気がつく。
すでに審判は数人の大人にまかせている。見慣れない姿から見慣れない姿へと、身なりを整え駆けてきた。
「ええっおいおい少年、そんな殺生な!」
「もう少し教えてください、親方――っ!」
レーズン酵母の説明を受けていた行商人から、引き留める声があがる。
「今日こちらへお見えになるとは思わず、失礼をいたしました。んっおやトゥ……トンちゃんはご一緒ではないのですね」
「……ぶつくさとボヤいてたが、お母さんの護衛においてきた。おいペールここはもういい、さっさと町へ入るゾ」
「もっと練習できりゃいいんだが、遊ぶ時間があるガキがうらやましいよ」
試合を眺めていたペールが、ほとんど無意識に鞭を上げる。
荷馬車は娘を乗せたまま、サッカー場を迂回して通り過ぎた。大騒ぎが風の音に消され、徐々に遠のいていく。
「オルロックよそんなに気になるのなら、恋女房の下へ連日通ってはどうだ?」
「っ……ご冗談を」
「なあ後でもう一回、フェイントのコツを教えてくれよ――」
追従する少年が本気で苦悩するので、娘の心が少しだけ浮上した。行商人の心は白と黒のボールに釘付けのようだ。
それぞれの表情を張りつけ、荷馬車が市門を潜る。
「これは……」
町の中は重い空気が吹き飛んでいた。
ルーシーの記憶と重なった、流れのない淀んだ沼のはず。何も変わってなかった町の雰囲気が、塗り替えられていたのだ。
「あの『サッカー』といい、この町を自分色に染めてしまった訳だ。オルロック、本当にあんたという奴は……っ」
湧きあがるのは遺憾か哀愁か。
幼い自分が立っていた影となる路地。側溝に流れるお湯が白い湯気をまとわせ、陽光に乱反射し消えていく。
「こちらは側溝と申します、町民に推奨した石焼き風呂の排水に必要な設備です。ズキンの姉御も入浴をされてから、体調がよくなったのではないですか?」
「あんたが入れ入れとしつこいから、このクソ寒いのに肩まで浸かってやってる。あんな醜態、お母さんには絶対話せないゾ」
「……母君にも、お勧めすべきでしたね」
親子で仲良く背中の流しっこなど――うるさいうるさい――。
文句を叫んではいるが、修道院でも入浴してたのだろう。カレンデュラの香りが髪や肌を優しく包んでいる。
騒がしい荷馬車に次いで、曲がりくねった路地に子供の声が響いてきた。
「早く早く――今日こそゴールを決めるんだ――!」
「ぼく昨日は1点取ったんだよ――!」
「そんでさあボールを蹴ったら……あっロック兄ちゃん!」
数人の子供が親の手を引き駆けてくる。
1人がオルロックに気がつくと、速攻で子供たちに囲まれた。少年が発する妙な気配は、いつしか好奇心によって裏返っている。
パンにサッカーにと興味が尽きぬ人気となっていた。
「……っ魔女」
変わらないのは大人ばかり。肩にズキンガラスを止まらせた娘に、手を引かれた親が恐怖の目を向ける。
たまらずもれた声を、オルロックの耳だけが明確にとらえた。
「っ……!」
息を呑んだルーシーの気配が、再び闇に染まっていく。
「……さあ早く行かないとチームを組めないよ、私も後で顔を出すからね」
「「は――い!」」
空気を打ち消すように、少年が手を叩いて発破をかける。
子供たちが大騒ぎで駆け出した。数人は同年代に思えるかわいい娘を盗み見て、頬を染めつつ眉を上げている。
追従する親の背を見送りながら、荷馬車は路地を歩く。
「マレフィクの町――側溝を掘っている時に、住民から町の名を聞きました」
「魔女……?」
少年が頷き、誰ともなしに言葉を紡ぐ。
「残念ながら名の由来は、詳しくは聞けませんでした。知っているはずの大人は、誰もが口を閉ざしてしまうのです。
けっして真実を語ろうとはしません。ですが『魔女を討った』と誇るのならば、そのようには呼ばないでしょうね。
これではまるで魔女が治めている町、住んでいる町の名です。
ただ事情を知る大人たちの顔は、後悔の念に駆られていました」
『――ごめんなルーシー』
娘の記憶が瞬き映像を浮かばせた。名も覚えていない壮年が、正面から見つめて真摯に頭を下げている。
先ほどの親も同じではなかったか。
驚き顔をそむけ、胸に当てた手が震えていた。揺れた瞳はルーシーにではなく、己に向けてはいなかったか。
表すのは自責の念。
娘は今まで奇異の目を向けられ、うとましがられた経験しかない。それは記憶にはない所作であり、憤りと疑問で二の句が継げなくなる。
「い……まさら、そんな……」
荷馬車は教会前にさしかかり、そこでも子供たちがボールを蹴っていた。
下は石畳であり転ぶと危険と少年が告げる。笑いながら返事をする子供の顔に、意識が引き寄せられた。
さっきの子もそうだ、こんな子供たちは知らない。
他所から移住して来たのか、見知らぬ住民も増えている。魔女の噂は聞いているだろうけど、目の前の娘とは思わないだろう。
「あの子たちからすれば、ズキンの姉御はごく普通の娘なんでしょうね」
「クッ……この私が、ごく普通だと!?」
悪魔の子、混血児カンビオン、神さまの教えに反する亜人――魔女。
自虐の笑みが汗を浮かべ、娘の頬を引きつらせた。
「ええそうです、ここにいる容姿端麗、色白で犬歯が長く、成績はトップ、教師の覚えもよく将来の懸念などまるでない――ごく普通の少年と同じです」
漆黒のマントをまとった死神に、少年は平然と反論する。
「何一つ変わりませんよ」
「今夜はここでお休みですね明日ベッドを整えます、朝食はいつも通りお風呂なら窯に石を入れてあります、タオル置いてありますからおやすみなさい」
オルロックはスラスラ唱えると、扉を開け出ていってしまう。
ペールも石焼き風呂の桶や荷を下ろすと、サッカーボールを手に走りだす。その後ろ姿は子供たちと同じだった。
「……あいつらは主人をなんだと思ってるんだ」
深いため息を吐くとマントを外し、さして広くもない家を眺める。
独りでいると幼い自分が駆けてきた。何か仕事をしている祖父と、優しく微笑む祖母の横を通り過ぎていく。
通りが見える二階の窓に張りつき、お母さんが帰ってくるのを神さまに祈る。
日が沈み闇が町を覆うまで、私はどんな顔をしていたのか。
「よく見ればあんな建物はなかったゾ、あの家も改築したのか形が変わっている。変わらないのは……この窓ばかりか」
手の平に顎を乗せ、同じ姿勢で空を見た。
肌寒い風が髪をなぶり、どこか遠くで笑い声がする。
「全て吹き飛ばせばスッキリしたのに……つまらん」
自分の呟きが面白く、目を伏せ喉で笑う。
『10年経ったんだよ、ルーシー……』
幼なじみのカルペントが、子供の姿でささやいた。
☆
「ゴ――――~ルっ!!」
アニーのひと蹴りが、見事に杭の間に決まる。
息を乱してしばし呆然と見ていたが、両拳を天に突きあげて吼えた。
「ぃよ――し! だいぶ枠をとらえてきた、コツがつかめてきたぞ――! これでオルロックに、一泡吹かせてやれるっ!!」
町の周辺に広がる休耕地。
さすがに早すぎて、サッカー場にいるのは修道服の集団だけである。
「やはり私とグラウィス、そしてインベルとペンナは中盤の立ち位置が向いてる。攻守の入れ替わりを素早く行う、機動力は申し分ない!」
少女が振り返って破顔した。
そしてポエッタとステッラとミラは前線で攻撃、カーニスとソルスとヨークスは自陣地で守備となる。
チームによる集団戦に、手ごたえを感じていたのだ。
「ははっ! 吾輩どこまでもお供いたしますぞ!!」
「どうも……」
「隊長の指揮通りってこった、全体の得手不得手を熟知してるんでしょうな」
「む……っ?」
グラウィスが整然と敬礼をし、インベルが目を伏せて片手を挙げた。
そして息を吐いたペンナの主張に、少女の頬がふくれる。
これはオブリが指示した作戦であり、その的確さには舌を巻く。しかし少女は、どうにも素直に賞賛できなかった。
「そそっその辺は、とと年の功ですよアニー嬢」
察したポエッタが、四角い体を揺らしてフォローする。
「……ふんっ分かってる、だが実際に動かしてるのは私じゃないか!」
親指の爪を噛みそうな勢いの少女に、大人たちは苦笑を隠しもせずに頷く。
立場や身分の差はあれど、アニーの資質は認めていたのだ。
「だがなお嬢、一つだけ条件がある」
ステッラが脚よりたくましい腕を腰に当てつけ足す。
「徹夜はするな睡眠不足はいい仕事の敵だ、それに美容にもよくねえ」
アニーが夜に教会を抜け出し、練習しているのを皆は知っていた。
少女に限って何か起きるとは思えない。だが中心的人物であるのに変わりなく、身を案じていたのだ。
「ああ……そうする」
バツが悪かったのか、少女が後ろを向いて表情を隠す。
皇族に名を連ねる皇女殿下の、あまりにも真っ直ぐな心根。少女の不器用さに、仲間たち相好を崩した。
「……っ」
「どうしたアニー、大丈夫か?」
ふいに少女の頭が揺れ、気がついたインベルが手を伸ばす。
「ん……いやなんでもない、ところでそのオブリはどうした」
大人たちは顔を見合わせ、思い出したミラが返答した。
「あっ今日も確か、子爵のとこへ挨拶に行ってるよ」
「今後の先触れだな、隊長は貴族の出自だってえから話もあうんだろう。そういやどことなく雰囲気も似てるな」
「たたた頼もしいね、平民だけだったらおおおお手上げだった」
ペンナとポエッタが補足すると、振り向いた少女の眉が上がっていく。
「なんだとっ!? あいつはサッカーをなんだと思ってる、やる気があるのか! ええいっメンバーから外す、補欠だ補欠――っ!!」
「はっ! 御意にご……っザルゥ!?」
いや俺たちはいったい、何の集まりだったのか――。
アニーの憤りにイマイチ乗れず、グラウィスの声が裏返った。失礼な態度だったかどうかは諸説あるだろう。
自陣地にいた3人が、なにを揉めてるんだと歩いてくる。
☆
「この溝に合わせた木枠を製作してください、大切なのはサイズの統一で――」
町に張り巡らされた側溝を前に、オルロックが大工に手順を伝えている。
石畳を剥して溝を掘るのは、アニーの助けでどうにかなった。
問題は木を伐採して乾燥させ、板に切り出し同一サイズの木枠を製作するのに、職人の手を借りなければならないのだ。
こればかりは「力」の有無は関係ない。
「いきいきとしやがってまあ……」
ルーシーはなんとなく、妙に手慣れた指示を出す少年を眺めている。
漆黒のマントはまとっておらず、町の娘にしか見えない。だがその心境の変化に少年はなにも言わなかった。
ただ町角に座り、オルロックを瞳に映して白い息を吐く。
「――すまぬな師走の忙しい時期に、何日も逗留してしまって」
「なにをおっしゃいます、我が家と思いおくつろぎください。至らぬ点などお教え願えれば、私どもの誉となりましょう」
実はミノール卿の滞在を歓迎し、お祭りを行おうと企画しておりまして――。
通りから別種の騒めきが近づいてくる。なんとなく視線を向けた娘が、見覚えのある姿を見定めて顎を開けた。
「えっ……ええまさか、フラーテル様!? なぜまだこの町に……っ」
「おお、これはルーシー様! ごきげんようございます」
気がついたフラーテルが手を挙げ、嬉しそうにやってくる。
後ろには領主と3名の護衛、そして当然のように修道士がいた。どういった集団なのか判断できず、娘は何度も首を振る。
「月にかけて誓ったではないか、一緒についていくと」
「お初にお目にかかります、この町の領主です。いやかわいらしい娘さんですな、ミノール卿のご令嬢でしょうか?」
館にこもっていた領主はルーシーを見ていない。
魔女の噂は流していたが、目の前の娘とは思わないだろう。
「はっはっはっこれは面白い冗談だな。僕が子爵夫人にと切に望んでいるお方だ、失礼のないようにしてくれ」
「おおこれは申し訳――へっ? 子爵夫……っジンニ!?」
この娘と婚礼するとおっしゃる――。
どう見ても10歳ほどの娘を紹介され、領主の声が裏返った。失礼な態度だったかどうかは諸説あるだろう。
「フラーテル様、またそのように……ルーシーは困ってしまいます」
「僕の気持ちはけっして変わりませぬ! 例え――~…っいえ」
例えルーシー様が、魔女と呼ばれる存在であろうと――。
「ん"ん"……実は『ソッコウ』と『石焼き風呂』がすばらしく、オルロックを賞賛していたのです。
するとさらに『薪の財産』なる……ああいや、ボイラーでしたか。
財産と呼ぶにふさわしい設備があると聞き。ぜひ我が街にも取り入れないかと、相談しておったところでして」
「ああなるほど、オルロックに」
ルーシーがふいに向けた視線の先には、件のオルロックがいた。職人に説明する横顔がなぜか眩しく、数舜見つめてしまう。
フラーテルがその気配に気がつき、2人を見比べる。
「あれはオルロック……えっ? ルーシー様はここから従者を見て……まっまさかルーシー様の御心に住んでおられるのは、オルロックっ!?」
「えっ……? えええええ――――~!?? ちっ違うっ違います!!」
否定する娘だったが、その頬が耳が見る間に赤く染まった。
「以前そういう演技をしていただけですっ! わっ私はあんなガ……子供に好意を持つような趣味はございません!!」
演技だ、あれは演技だった――。
己に言い聞かせる否定はフラーテルに聞こえず、恋愛劇の世界へと旅立つ。
『どうしましょうフラーテル様、私オルロックと婚約させられそうなの』
『なんだって!?』
『お願いフラーテル様! 私を助け出して、貴方のものにしてください!』
「おのれオルロック! 婚約なんか許さない、決闘してでも止めてやる――!!」
「なぜそうなる!? あっいえ、決闘なんてだめ――っ!!」
「ええっと、それでですなミノール卿」
空気を読まなかったのか読めなかったのか、もめる2人の間に領主が割りこむ。
「謝肉祭あたりで大々的に開催しようとの提案もありました。ですがミノール卿がお越しくださっている機会にぜひと、皆が口をそろえておりまして」
状況を見守っていたオブリの目が光った。
「町で対抗戦を――『マレフィク杯』を、開催いたしとうございます――~!!」
「……ありゃあ何をやってンだい、なンだか騒がしい町だねェ」
「コンコルディア翁に聞いたがで、ここで間違いはないて思う」
「この寒いなか呆れたモンだよぉ、まあスチャラカ娘にはお似合いかねェ」
休耕地が望める、町へ続く街道に2つの影が現れる。
騎馬はしていたが、漆黒のマントをまとい奇妙なマスクをかぶっていた。とても貴族には見えない風体である。
土まみれで走り回り、ボールを蹴る修道士を見てため息をつく。
「はぁまったく、こンな田舎まで連れ回すなンてさ……かといって放っといたら、素直に帰ってきやしないしねェ」
コウモリマスクが教鞭を上げ駆け出すと、ペストマスクが追従した。
休暇だと告げて勝手に出奔した、トゥバーを連れ戻しにきた「三悪党」である。
「あのスットコナース! 因果伯には待降節も降誕祭も、ないってンだよぉ!」
「世知辛い世の中やがいちゃ」